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表題に近いものを想定しているとすれば、
かつての南ベトナム政権や韓国の朴大統領暗殺後の盧泰愚政権の様なものを狙っていると見ることが出来る。
日本側の名目的指南役はこの世にしがみついているナカソネとナベツネだ。
首相は前原でも誰でも結構だ。石原ノビテルでも務まります。
筆先の様な髪型の渡辺でも務まります。
尤も、この様な植民地政府が誕生するかどうかは日本国民の対応を待つまでもなく、近隣諸国の警戒心が決定的にものを言うだろう。
今や性質が悪い”ヒモ”が働かせ続けられて衰弱した”オンナ”を逃げてゆかないように監禁しようとしている訳だ。
金を巻き上げ、貧しい食事をとらせてきて、さらにオンナの自立するのをを邪魔使用という訳だ。
ロシア革命に例えると、
菅政権はケレンスキー政権
次に狙うは、
売国政党連立の過激派ボルシェビキ政権という訳だ。
ひどくなるとスターリンの大量粛清にもなりかねない。
尤も、韓国も同時進行となるだろう。
しかし、である。
岸信介があの岸が安保改定の大功績?を成し遂げた後で直ぐにお役ごめんの使い捨てになった。
岸は賢い人間だったから自分への扱いを悟っていたであろうと推測する。
頭の軽いナカソネは自分への処遇が判らず使い捨てにされてからも何時までも目出度く使われている。
仮に売国政党連立政権が出来たとしても短期の使い捨てに終わる。
日本国民の政治への責任の自覚が確立するまではこの愚行が繰り返される事になる。
ベトナムや朝鮮半島は植民地支配から解放された直後に南北対立の分裂に追い込まれた訳であるが、日本は敗戦を通じて軍事的政治的に支配を受けた訳であり、この意味でベトナムや朝鮮半島よりも精神的打撃は大きい。
沖縄も支配されているが、沖縄県民の反基地感情は強固で揺るがしがたい。
この背景は、日本国土で唯一大規模な地上戦を戦いそれによる大きな被害を受けた事によるであろう。
沖縄と日本本土の違いを考える時、
陸軍大臣等の少数意見が主張した「本土決戦」をもしも運命として受け入れていたと仮定すれば、
日本国土は更に大きく傷つき、戦争は数年間は長引き、ソ連軍は北海道から東北北側まで占領し…という事になり、
しかし、
日本国民の心には強固な反占領国意識即ち反米意識と反ソ連意識が生まれて固定化したであろうと考えられるのだ。
そうならなかったのは、昭和天皇の御前会議に於ける閣僚から要請されてのご聖断出合った訳だが、
このさらなる長引く戦争被害を回避した回避できた意味というものを日本国民は再度、再再度、考慮する必要があると考える。
本土決戦の悲劇が起きていなければ、日本は何時までも占領国側の衰退にも拘らず一人立ちに向かう事が出来ないのであろうか。
そうであれば、本土決戦回避の選択が為された意味が無いではないか。
与えられた終戦、頂いた終戦 と日本国民が認識を続ける限りにおいては、
日本国民は一人立ち出来ないのではないのか。
本土決戦回避を有利な復興条件の獲得として捉え直し、その後の復興の継続として戦後の時代を捉える必要があるのではないのか。
何事においても主体的な捉え返しが必要である。
かつて知識人の間で戦後主体性論が論じられた。
これは大変に結構であったが、一般大衆には浸透しなかった。
知識人には知識人の主体性論が必要であったと言える。
だが、一般大衆にはそれとは又違った戦後主体性論ともいうべき戦後生活意識が巻き起こる必要が本当はあったと言えるだろう。
それは単純に言えば、生活への責任と言う事であり、自分自身への責任と言う事であろう。
自分自身を持て余せば自分自身を失う事になるのであるが、これは自然秩序の冷厳な愛の姿ではないのか。
自分を粗末にするものは生きながらえる事は出来ないし永遠の継続も得られないと言う事だろう。
日本国民の集合体に過ぎない日本国家も同様と言う事だろう。
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