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現行世論(セロン)調査は「国民総感情」調査である
http://opinion.infoseek.co.jp/article/1141
2010年12月24日 09時00分
リベラルタイム1月号(佐藤 卓己=京都大学大学院教育学研究科准教授)
輿論(ヨロン)は責任ある公論であり、世論(セロン)は世上の雰囲気だ。高次「世論」としての「輿論」こそ必要である
■ 世論の読み方
新聞各社の世論調査で菅直人内閣の支持率が急落し、「危険水域」といわれる二割台に落ち込んでいる。直接の原因は沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ロシア大統領の北方領土訪問等、外交問題への不手際だ。
一方、尖閣諸島沖の中国漁船衝突ビデオを流出させた海上保安官に対する、国民世論の支持は圧倒的である。十一月十六日付『朝日新聞』朝刊は、第一面トップに「海上保安官逮捕見送り」と「内閣支持率急落27%ー本紙世論調査」を並べ、第二面では「世論の波、迷う検察」を解説している。
こうした国民「感情」に対して、外交的マイナス面や公務員の守秘義務違反等を指摘する多様な「意見」も紹介されている。だが、この「感情」と「意見」の関係について世論調査を実施・報道した新聞は、ほとんど沈黙している。もちろん、「感情」と「意見」は入り交じっており、一刀両断に腑分けすることはできない。しかし、両者を複眼的に睨みながら思考することが、正しい「世論の読み方」ではないだろうか。
こうした世論調査のリテラシー向上のために、私は『輿論(ヨロン)と世論(セロン)』(新潮選書)等でヨロンとセロンの使い分けを訴えてきた。パブリック・オピニオンは、中国、台湾、韓国等、漢字文化圏で輿論と表記される。
一方、一九四六年公布の当用漢字表で「輿」を制限した日本でだけ「世論」が代用されてきた。
しかし、そもそも輿論と世論は別の言葉である。輿論は「多数の意見」を示す漢語だが、世論は明治日本の新語である。当然、現代中国に「世論」はない。初出例として福澤諭吉の『文明論之概略』(一八七五年)が引かれることもあるが、福澤は責任ある公論(輿論)と世上の雰囲気(世論)を区別していた。こうした区別が、ヨーロッパの市民社会論に由来することは、谷藤悦史の「世論観の変遷ー民主主義理論との関連で」(『マス・コミュニケーション研究』第七十七巻収録、二〇一〇年)に詳しい。
一七世紀の自由主義者ジョン・ロックにとって、感情的「世論」は議会討議を通じて、理性的「輿論」に結晶化されるべきものであった。
だとすれば、明治天皇が発した勅語における「輿論/世論」の用例は、古典的市民社会モデルを範としたものだ。五箇条の御誓文(一八六八年)で「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と表現された公論とは、公議輿論の短縮語である。
一方、軍人勅諭(一八八二年)の「世論に惑はず、政治に拘らず」が示す通り、世論とはその暴走を阻止すべき大衆感情であった。つまり、輿論は政治的正統性の根拠だが、世論は熱しやすく、冷めやすい「空気」と考えられていた。
しかし、日本でも一九二〇年代から「政治の大衆化」の中で、理性的な討議より情緒的共感を重視する「輿論の世論化」が進み、輿論と世論の区別は曖昧になっていった。
■ 「思考」ではなく「嗜好」
当然ながら、私たちが今日報道で接する「世論」調査の結果は、政治的正当性の根拠たる「輿論」ではない。
わかりやすい例で考えてみよう。夕食時に電話のベルが鳴り、唐突に「首相にふさわしい政治家」や「憲法改正の是非」を問われたとする。唐突な質問に対しては、周囲の空気を読むことで無難にやり過ごすのが普通だろう。
つまり、日頃マスコミが報じている多数「世論」を、オウム返しに回答する人が少なくない。
こうして増殖する雰囲気の合算が、どれほど統計的に正確であっても、それを「民意」と見なすことは理性的だろうか。しかも、この世論「調査」を世論「操作」にすり替えることはさほど困難なことではない。
そもそも今日の世論調査は、選挙予想システムとして、一九三〇年代のアメリカで発展した。ギャラップ等、世論調査会社の創業者はマーケティング業界の出身者が多く、ラジオ聴取率等も手がけていた。結局、世論調査主義と政治の選挙至上主義、放送の視聴率至上主義は三位一体である。いずれも、観客(有権者・視聴者)の「思考」ではなく「嗜好」を計量するものだ。
しかし、このセロン調査が現状では「ヨロン」という理想的響きを帯びて、あたかも国民投票のごとく、政治的正当性の裏付けに利用されている。こうしたセロン調査を、有権者自身が批判的に検討する足場として、たとえ調査による数値化が困難であっても、規範的な「輿論」概念を復権させるべきだろう。
それは認知心理学における、批判的思考の新しい知見と重ねて理解することも可能だろう。批判的思考とは「自分の思考の質を改善する思考法」であり、情緒的に働く「直観的思考」との対比で理解されている(『現代の認知心理学3 思考と言語』楠見孝編、北大路書房刊)。
もちろん、批判的思考には分析や反省の時間的コストが不可欠なので、目的志向的な努力が求められる。しかし、高速度社会で私たちは、自動化された「セロン」、直観的思考の総和に流されがちだ。
そこから生じる衝動的判断は、政治的に望ましいものではない。批判的思考への成熟を促すためにも、高次「世論」としての「輿論」は必要なのだ。
■ 「感情」調査と割り切る
もちろん、国民「感情」そのものは政治の重要ファクターである。それを軽視して、大衆政治は成り立たない。そのためにも、現行のセロン調査を「国民総感情」調査と割り切った科学的分析が必要なのだ。
そうした試みの一つは、マクロミル・ネットリサーチ総合研究所所長の荻原雅之が提唱している「世論観測実験調査」である。
インターネットで毎日一千人を対象に内閣支持率、支持政党等を問うと同時に、一日をふり返らせて八つの感情・気分項目(うれしい・楽しい・やすらぐ・わくわくする・悲しい・腹が立つ・憂鬱な・不安になる)から該当するものを選択させている(日本世論調査協会二〇一〇年度研究大会研究報告「オンラインサーベイによるデイリー世論観測とその活用について」)。
ポピュラー・センチメンツである「世論」の計量分析として、優れた試みだ。
こうした精緻な「感情」調査とは別に、「意見」調査の方法も新たに構想されるべきだ。その際には、明治維新のスローガン「公議輿論」に、私たちはいま一度思いを致すべきだろう。公に熟議する時間の中で生まれる輿論は、電話調査の数値とは別物である。
もちろん、公議輿論への道は険しいが、その理想を失ったジャーナリズムに「世論」を批判する足場はないのである。(文中敬称略)
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