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週刊・上杉隆 【第155回】 2010年12月23日
2010年、日本の政治とメディアに起きた「5つの革命」を回顧する
http://diamond.jp/articles/-/10561
2010年は日本の政治とメディアにとって大変革の年であった。とりわけ伝統的な記者クラブメディアにとっては、いくつもの変化の波の押し寄せた、象徴的な一年でもあった。
おそらく将来、この2010年こそが、日本にとって、情報の大変革の年として歴史に刻まれることだろう。
なぜ、そこまで断言できるのか。それは今年、「革命」といってもいいほどの政治とメディアの大改革が日本で進行したからである。
今回は2010年の最後のコラムということで、政治、とくにメディアの世界で起きた「5つの革命」について振り返ってみる。
■ 原口前総務大臣の政務三役会議開放は世界にも例のない大英断だった
1月、原口一博総務大臣の「政務三役会議」のオープン化宣言で衝撃的な一年はスタートした。
前年、政権交代により、外務省、金融庁などの記者会見が戦後初めて開く、という変化は確かに訪れていた。記者クラブ制度にようやく穴が開いたということでそれも当然に画期的なことに違いはなかった。
ところが、年明け早々、原口大臣の打ち出したこの政策はそれどころではない。おそらく、かつて世界のどの国の政府もやったことのない完全な形での行政の透明化であったからだ。
省庁の政策の最高意思決定機関である「政務三役会議」をフルオープンにして、それをメディアのみならず、インターネットで全国民に公開するというやり方には、正直、私自身も度肝を抜かれた。
そんなことをして果たして政策決定ができるのか、あるいは、なにか危機管理上の問題でも発生するのではないか、と逆に心配したものだった。
ところが、それは杞憂に過ぎなかった。むしろ、政策決定のプロセスがオープンになることで、国民の目が届き、役人たちからの雑音も入らず、民主党の求めていた政治主導が達成できたのである。
もちろん、役人を排除したことで、何年も前に済んでいた議論を蒸し返すことや、混乱が生じることもあった。
だが、そうした混乱の中からまた新たなアイディアの生まれることもあり、長い目で見れば効用の方が多かったように思う。
これが一つ目の「革命」だが、残念なことに、その原口大臣は菅首相に「更迭」されてしまった。そして、後任の片山善博総務大臣の最初の仕事は、なんとこの「政務三役会議」をクローズに戻すことだった。これによって、原口大臣の革命的な実験はいったん消滅してしまっている。
■ 鳩山前首相は憲政史上初めて首相会見をオープン化
3月、鳩山由紀夫前首相が憲政史上初となる首相官邸での記者会見のオープン化に踏み切った。これが二つ目の「革命」である。
首相会見のオープン化を阻んできた日本のメディアは、いまや中国人ジャーナリストからですら、「反社会的態度」(安替)と名指しで非難されている。そうした世界中からの批判的な目は、日本だけにしかない「記者クラブ制度」の限界を示す、象徴的言葉である。
当時の本コラムから引用しよう。
〈そもそも記者会見のオープン化は、国民の知る権利や情報公開の見地から言っても、ジャーナリズム自身が追求すべきことである。それは先進国であろうが、独裁国家であろうが世界中で不断に行われているメディアの当然の仕事のひとつだ。
ところが日本の記者クラブメディアだけは逆なのだ。戦後65年一貫して自らの既得権益を守ることに汲々とし、同業者を排除し、世界中から批判を浴び続けているにもかかわらず、自らの都合のみでその不健全なシステムを維持してきた。
それはまさしく、「カルテル」(孫正義ソフトバンク社長)であり、「人権侵害」(日本弁護士連合会)であり、官僚と結託して国民を洗脳し続けていた「日本の恥」(米紙特派員)なのだ〉(第120回)
首相会見のオープン化は、国民の大部分にとっては、まったくどうでもいいことかもしれない。だが、将来の日本、また日本人にとっては極めて重要な改革の一歩である。
その理由は、繰り返しこのコラムで述べてきたことであるので、ここでは省略する。
■ 岡田前外相が外務省の文書公開を推進する歴史的政治判断
5月、岡田克也外相が、外務省の文書公開についての「ルール」を定めた。原則30年経過したものはオープンにするというものだが、これも遅れた日本の情報公開制度にとって、小さくない「革命」の第一歩となった。
以下、外務大臣会見録の大臣発言から抜粋する。少し長くなるが、歴史的な政治決断なので当該部分をそのまま引用する。
〈外交記録公開・文書管理対策本部でありますが、3月16日に第1回を開催して以降、5回開催をいたしました。昨日の会合で、一連の対応策 がとりまとめられましたので、その概要を説明したいと考えております。詳細は、別途配付する資料をご参照いただきたいと思います。
4つ申し上げますが、第1点は、国家行政組織法14条に基づく外務大臣訓令として、外交記録公開に関する規則を制定することにいたしました。本日付で施行であります。
いわゆる密約問題に関する有識者委員会の報告書も踏まえ、「30年自動公開原則の徹底」、「政務レベルの関与」ということを明確化いたしました。そして、例外的に非公開とする場合について、具体的にその規則の中に明記する。
例えば、「現在または将来にわたって具体的に国の安全が害される場合」、或いは「他国との信頼関係が損なわれる」といった具体的に最小限のものを列挙して、それに当たらない場合には自動的に公開するということにしたものであります。
しかし、最終的に公開しないという場合には、或いは文書を30年経って廃棄するという判断をする場合には、政務レベルの了承を必要とするということも明記をいたしました。今後はこのルールに則って定期的に対外公表し、外交史料館で閲覧できるようにするということでございます。
第2は、福山副大臣を長とする外交記録公開推進委員会を新たに設置することにいたしました。ここで、膨大な30年を超えた資料の公開審査の優先順位、或いは非公開部分の是非などについて総合的に判断し、最終的に外務大臣の了承を得るという形にしたものであります。この外交記録公開推進委員会には、外部の有識者も加えて意見を得ることにしております。
第1回が6月中旬に開催予定であります。ここで、まず、何から公開していくかということを決めてもらい、最終的には私(大臣)のところで判断するということであります。恐らく日米安全保障に関わる部分を、まず集中的に公開していくことになるのではと思っております。
第3に、こういった文書管理部門について、体制を人員、組織面で強化をするということで、外務省OBを活用するなどして順次増員することにいたします。 現在70人体制を100人体制ということにしたいと考えております。本年夏をめどに文書管理部門の組織を再編し、新たに外交記録情報公開室を設置したいと 考えております。
4番目、最後ですが、文書の作成管理の改善のために、既存の文書管理規則を一部改定する予定であります。また、具体的な文書管理のためのマニュアルの整 備や省員の意識改革のための研修の強化、そして、外交史料館の設備の整備などを行う予定であります。
こういったことを昨日決めまして、今後、順次実施をし ていくということでございます〉(外務省HPより)
この省令によって、外務省においてはようやく同じG7国家のレベルまで肩を並べる制度ができたのだ。
この岡田大臣の決断のおかげで、私たち日本人はここ数ヵ月間だけで、過去の自民党政権が密かに行ってきた政策決定の舞台裏を知るようになったのだ。
たとえば、今月(12月)になって沖縄密約、琉球政府との取り決め、米政府との裏約束などのニュースが次々と報じられているが、それもすべて、この情報公開制度の創設によって真相が明らかになったものばかりなのである。
■ メディアの主役交代を告げた「尖閣ビデオ」問題
4つ目の「革命」は、9月の「尖閣ビデオ」問題である。
これは事件そのものではなく、その一報を伝えるメディアの主役が交代したという意味での「革命」である。
この事件によって、ニュース速報は、これまでの伝統的なテレビ・新聞などの記者クラブメディアではなく、「ユーチューブ」や「ツイッター」というマイクロメディアによって、圧倒的な速さで伝えられることが確定したのである。
事件は、結果として、海上保安庁の巡視船と中国漁船と衝突は、発生から2ヵ月後、「ユーチューブ」の動画によって全世界にその真相が伝えられることになった。
「速報」に強いとされたはずのテレビが最初にその動画を伝えたのは、ユーチューブの動画が世界中に配信され、ツイッターでネット中に広まり、詳細な検証がなされた後のことであった。
この件については、メディアのみならず、政治側もまったく対応できていないことも判明した。
たとえば、その映像は、日本政府の意識的な情報公開によって明らかになったのではなく、ひとりの海上保安官のリークによる伝播という、国家の危機管理上、最悪の方法によって国民の知るところとなったことがその象徴だ。
船長の拘留時、国連総会にいた菅首相と前原外相は決定的な判断ミスをしでかした。国民のほとんどがそのビデオの存在を知り、その中身を知るべきだとしている情報を「隠蔽する」という考えられない愚挙に出てしまったのだ。
それは、現代の民主主義国家としては最もやってはいけないことであり、先進国としてはうんざりするような危機意識のなさを世界中に露呈させることになってしまったのである。
政権発足当初から、菅内閣のことを「情報暗黒内閣」と呼んできた筆者の危惧が図らずも悪い方向に向かってしまった悲しい事件となった。
ちなみに、発生当時、筆者は本コラムでこう書いている。
〈問題は海上保安庁が撮影したビデオである。このビデオを速やかに公開していれば、少なくとも国際社会に対して、日本の正当性を主張する強力な材料になったはずである。
日本国内では、中国と日本の言い分は圧倒的な差でもって決着がついているように思える。中国の詭弁に対して、日本の正当性は決して揺るがないと日本人ならば誰もが信じていることだろう。だが、それは所詮国内だけに通用する理屈だ。
国際社会では証拠もなく、さらに船長を無条件で釈放した日本の方に問題があると思っている勢力が少なくない。現実に、欧米のメディアの中では、日本にも負い目があったのだという論調が広がっている。それは、証拠を示さない日本に対する国際社会からの当然の評価である。
仮に、ビデオを公開できないというのならば、なぜ日本政府はそれを国際社会に発信しようとする方策を怠ったのか。少なくとも、相手国の中国にはそうしたスピン戦略が存在している。
たとえば事件後、中国政府は日本向けレアアースの禁輸措置を採ったが、それは公式に発表されたものではなかった。ニューヨークタイムズはじめ世界で影響力を持つ3つのメディアにリークしたものだったのである。
戦略的なリークは巧妙にその責任を回避することができる。おかげでレアアースの禁輸を行っているにもかかわらず、中国はWTO違反を問われずに済んでいるではないか。
日本政府は国内の記者クラブへのリークばかりに血道を注ぐのではなく、こういったときこそ海外メディアに向けて戦略的なリークを行うべきだったのではないか〉(第143回)
こうしたスピンコントロールへの無理解、いやスピンコントロールという言葉すら知らない菅政権は、さらに危険な過ちを犯し続ける。それは、すでにメディア社会での「中抜き」が進行し、革命が発生していることを直視しない既存の記者クラブメディアにとっても同じことが当てはまる。
■ 世界中に激震をもたらしたウィキリークス
11月、ウィキリークスによる米国務省の外交公電の意図せぬ「公開」がはじまった。
世界中の政府とメディアが、創設者ジュリアン・アサーンジが引き金を引いた「情報戦争」の勃発に騒然とし、緊急対応を行う中、日本政府とそのメディアだけが、のんきに傍観を決めている。
〈ウィキリークスによって世界中が揺れている。
先月(11月)末に一斉に暴露された米国務省の秘密文書約25万点をめぐって、世界中の政府、メディアが大騒ぎになっている。
なにより長年、世界中の米国大使館から集約した情報が一気に漏洩したのだ。おかげで米国の培ってきた安全保障・外交政策は一夜にして危機を迎えている。
イタリアのフラティニ外相が、「外交の9.11だ」と評したように、それは外交上の信頼関係を崩壊させるに十分なインパクトを持つ「テロ事件」であった。
オバマ大統領は火消しに躍起になり、クリントン国務長官も機密漏えい者を厳罰に処すとの緊急の声明を出している〉(第152回)
こうした状況下、前原外相の姿勢は、外交放棄ともいえるひどいものであった。外務省大臣会見録からみてみよう。
〈【ニコニコ動画 七尾記者】視聴者の質問を代読します。ウィキリークスが米政府の外交公電を流しはじめました。クリントン国務長官はこれを強く非難。情報 をリークした関係者の責任を追及していく構えです。一方、海外では、「歓迎」、「自粛」とメディアによって反応に違いが見られます。ウィキリークスに代表 される内部告発サイトの存在について、大臣のご所見をお願いいたします。
【大臣】これはもう言語同断だと私(大臣)は思います。犯罪行為ですから。つまり、勝手に他人の情報を盗み取って、それを勝手に公開する。それがい かに未公開の秘密文書であれ、それを判断するのは、持っている政府であって、勝手に盗み取ってそれを公表することに評価を与える余地は全くないと私(大臣)は思っています。
【毎日新聞 西岡記者】ウィキリークスの件で、その中に日本の外務省の現職の幹部の名前が挙げられた文書が公開されていましたが、これに関して事実関係等の調査は指示されたのでしょうか。
【大臣】それについてコメントもしませんし、事実関係も調査しません〉(外務省HPより)
この「戦争」に関して、事実関係の調査もしないと断言したのは、世界広しといえどもおそらく日本政府だけだろう。それだからこそ、この発言にもあるようにウィキリークスへの認識不足としか取れないような外相発言が繰り返されることになるのだ。
そしてそれを追及すべきメディアは「暴露系サイト」という無意味な普通名詞を使うことでウィキリークスの存在を国民の目から遠ざけようとしている。
「革命」どころか、世界中で新しいマイクロメディアの登場による「世界情報戦争」が勃発しているにもかかわらずだ。
賢明な本コラムの読者ならば、すでにお気づきだろう。これら「5つの革命」は、すべて国民の知る権利、および情報公開の見地から、世界中で公開システムが確立され、オープン化が求められているものばかりである。
現代政治において、政治や行政のオープン化はそれ自体が武器になる。とりわけ、官僚政治と戦うことが求められ、周辺諸国との対立がある日本の場合はなおさらだ。
なにより、政府および、公的機関の情報は、最終的にはすべて国家共有の、また国民の財産に他ならない。その財産は断じて時の政権が恣意的に独占すべきものではない。
2010年、そのことに気づいた国民が少なからず発生したことで、間違いなく日本も情報社会の「革命期」に突入したといえるのである。
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