http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/793.html
Tweet |
http://blogs.yahoo.co.jp/tiqyuboy/50882868.html
小沢一郎と日蓮を考える!!! 傑作(1)
2010/7/17(土) 午前 2:28政治および憲法政界 Yahoo!ブックマークに登録 日蓮という鎌倉時代の宗教家は、先鋭的な反政府的宗教活動家であった。
当時の鎌倉幕府(政府)の政治と宗教を真っ向から批判して、幕府(政府)からにらまれた。
幕府はありとあらゆる方法で、日蓮教徒を懐柔しょうとしたり、その反対に弾圧したりした。
日蓮を幕府行政に楯突く反乱者として、暗殺しかけたことも何度もあった。
また、日蓮を幕府の裁判にかけて、流刑(流罪)にしたりもした。
流刑地は、一度目は伊豆半島、二度目は佐渡島というところであった。
佐渡島は新潟の沖の日本海の島である。
冬場は極寒の地である。
生きて出られるようなところではない。
たぶん、病気になって死んでしまいそうな流刑の場所である。
鎌倉幕府(政府)から、厳しい弾圧を何度も受け、極悪人扱いを受けた宗教家は、後にも
先にも日蓮ぐらいではないだろうか。
日蓮は佐渡島から刑を終えて帰ってくると、身延山にこもって、最後の余生を過ごすことに
なるが、宗教家として、また政治的な批評家として、特異な文才のある歴史的傑物だった。
最近、その日蓮に比すべき人物が、現代の小沢一郎ではないかという気がしてきた。
小沢一郎も、現代という政治の世界で、与党人として、人生の前半は政府の中で大きな仕事
をしてきたが、中後半は、どちらかといえば、政府に対して反骨的野党的な姿勢に転じ、その
言動は、野党側にあっても、政界の中心的人物として活躍することになった。
それゆえ、政府からにらまれ、敵視され、ついには、権力の弾圧をうける立場に立たされた。
あの日蓮のように、極悪人扱いを受け、悪口三昧、誹謗中傷をうけ、司法官憲から弾圧を
受けつづけている。
鎌倉時代の国民も、現代の国民も、政府側や野次馬連中の流布する根も葉もないうわさの
類で、突き動かされていく。
どれほど、情熱的な夢や志をもっていても、途中で、政府官憲の武力で弾圧されては、その夢
も志も中断してしまう。
この世の中、国家を思い、国民を思い、行動した熱情を理解できない人々がいるということだ。
政府と国民は油と水なのか。
油が政府で、水は国民なのか。
国民のことを真に思い、国民と同じ水のような心をもった政府は、なかなか現れない。
国民のことを思い、立ちあがり、政治の根本的改革に身命を懸けて活動する人を弾圧する
政府やマスコミというものは、油の心しか持てない人間の集まりなのだろう。
油とは、火にもなる武器(弾圧権力)を持つ。
自分達の政治の邪魔(抵抗)をする者を非合理にたたくことで権力を維持するような政府は、
所詮、国民の水の心が分からない者達だ。
検察審査会という火遊びで、一人の国民の代表の運命を弄び、「お前をどこへ流刑してやろ
うか」と、悪だくみをして喜ぶ低レベルな油のような人間達は、人間の屑(クズ)と言ってもいい
だろう。
そうやって、冤罪すれすれの火遊びを楽しむような検察審査会のような制度は、油でドロドロ
に汚れたドラム缶というしかない。
そんな油のような政府の火遊びの弾圧対象にされた鎌倉時代の日蓮も、現代の小沢一郎も、
誠にお気の毒だというしかない。
本当の剣とは、火の中で何度も叩かれ、鍛えられて、光り輝くものである。
艱難(かんなん)多き者こそ、それこそ、本物の人間だ!!!
日蓮を信奉する公明党の諸君が、いつから、油のような弾圧側の人間集団になってしまった
のか、実に不思議なことである。
国民のギリギリの生活用財布から、さらなる消費税をぶん取ることをめざすとは、どこからどこ
までも、日蓮の心とは相違するものだ!!!
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK102掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。