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2010⁄12⁄23(木) 01:12
代議士の主人は国民です
小沢一郎先生と森ゆうこ先生の思想には、国民への信頼が貫かれています。国民は必ず真実を発見する、という揺るぎない愛情を感じます。
人間には限界がある。国民は判断を誤ることもある。それでも代議士の主人は国民であるというのが畏敬の念です。間違いも含めて国民に従うという姿勢です。そして間違いに気づいたらいつでも修正するという覚悟です。
二人には官僚機構にミスリードされて朽ちるより、君民共治の原点に還って再生する、という思想を感じます。
森ゆうこ先生には不思議な母性を感じます。敵陣に乗り込み、国民を官僚機構に売り渡そうとするマスメディアと本気で闘う姿をYouTubeで見たとき、森ゆうこ先生の気構えに勇気を得ました。
天の秩序によって後継者は必ず育つようになっているようです。
一方、テレビの中で森ゆうこ先生に襲い掛かるコメンテーターの姿は前田検事と重なって見えました。
国民は閉ざされた「電波の密室」で作られた調書にサインを強要されて来たのだと思います。無意識に、娯楽の血祭りに乗せられて。
「よくわからないが小沢が悪いということだな」と。
印象操作はよくわからないようにすることが重要で、よくわからないと人は不安をおぼえます。すぐに答えが欲しくなります。論拠を見せないことで不安にさらされた国民は即時充足を求めます。この反応パターンに慣らされた国民は、閉塞感の原因をとりあえず誰かのせいにすることが習慣になってしまったのです。
事実関係を精査せず感情的反応に吸い寄せられる癖はマスメディアの刷り込みによって固定化されて来ました。その刷り込まれた反応回路の蝶番を一旦解き放ち、天と国民(つまり君民共治)へ繋ぎ直してくれたのが小沢一郎先生でした。
前田検事はフロッピーの物証を改ざんしました。テレビは石川ともひろ先生の金銭授受のイメージ映像をねつ造しました。
小沢ネガティブキャンペーンの中で行われた「世論調査」は印象操作のオウム返し(反応の計測)です。
誘導された世論調査を「民意」として偽装する司会者は、被疑者の関係者からウソの供述調書を取って「お前以外はみんな認めているぞ」と村木さんを脅した検事と重なります。
世論調査は供述調書とそっくりです。マスメディアのストーリーは検察のストーリーと同じプロセスで作られます。
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「はやぶさ」の再突入カプセルは樹脂を塗ったカーボン紙を何層にも重ねて焼いて作るといいます。冤罪は事実関係にネガティブな印象を塗り重ね、ねつ造ビデオの興奮熱で焼き上げる作品です。しかし森ゆうこ先生の国民を信じる情熱の方が強かった。
事実を積み重ねれば「思考する世論」は必ずウソに気づいて解釈の蝶番を繋ぎ直します。
弘中弁護士がこの手法に徹しているのは、思考する世論の集合的無意識が人間の潜在的領域で影響し合い、検事のミスを引き出し、裁判官の勇気を触発する不思議な力を知っているからだと思います。
啓示や黙示という言葉がありますが、覆われていた目隠しが取れると、後は勝手に本人が真実を発見する。誰が本当の嘘つきかを見抜く、ということです。
国民の真実を求める情熱が、天を通じて小沢先生や森先生とシンクロしているのだと思います。天とは無意識です。目に見えないが確かに在る言挙げ出来ない何かです。
小沢一郎、森ゆうこ、鳩山由紀夫、鈴木宗男、佐藤優の五芒星が官僚機構に結界を張ってくれた。高天原の織りなす美しい黄金比がマスメディアのウソに「揺らぎ」を起こした。揺らぎは国民の目覚めです。気づきの契機となりました。
これから最終決戦が起きるのではなく、日々が最終決戦の繰り返しであることが自覚されていくのだと思います。
日日是好日が日々坦々と流れていくのは、今という時間が毎回最終決戦を完結しているからだと思います。瞬間は繋がりながらも瞬間ごとに完結しています。ラグビーの選手は自分が潰されるまで自己完結して走り続ける。同胞にパスした後は再び立ち上がり新しい行動を開始する姿に似ています。
泣き寝入りした人が生き残った人に無念を託してパスをする。託す方も受ける方もそれが出来るのは「最終ラウンドなど誰にも分からない」という天の感覚があるからです。小沢先生の至誠通天の感覚です。
天のみぞ知るです。しかし天は我々国民と一体です。双魚図のように区別されても分離は出来ない関係です。ですから小沢先生と我々は天を通じて一体です。よって、我々の思想と行動が小沢先生と連動します。小沢先生は言外に我々国民にシグナルを投げています。渡辺さんによる小沢先生のインタビュー記事はそういうメッセージだと思います。
「天と小沢と国民と」という連歌が聞こえて来ます。
小沢先生は北極星の天台に託して自分の分を越えないから強い。達観しています。
君と民が主人であり、国民から選ばれた政治家は国民と約束した政策を実行して責任を取るだけのこと。天から分かれて地上で見つけた自分の役割。「自分」という分の出自が天にあることを知っているからこそ小沢先生の国民への信頼はぶれないのです。
この流れの中で自分の守備範囲を守って闘えばよいのだと思います。分を越えず、自分の役割を遂行する。
私は政治家ではないので政治は出来ません。ヤクザではないのでケンカで落とし前はつけられない。しかし自分の小さな役割は知っているつもりです。小さな役割ですが、天を通じて繋がっていることは感じています。
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ドラマチックに見える政局の風景は表層です。目に見える材料だけを組み合わせても陳腐で朝ズバ的な物語に回収され、「自分」の役割が商品化されてしまいます。
今、世の中を惑わす排他的ナショナリズム、過度な人権思想、合理性を崇拝する啓蒙主義を一旦脇に置いて社会を見直せば、自分が何に動かされていたのかが見えてくると思います。
すると、自分が地上の世俗で依拠しているナショナリズム、人権意識、啓蒙志向との「ちょうどよい距離感」が見つかると思います。
小沢先生は、社会が閉塞すると極左極右のイデオロギーが台頭し官僚機構がその情念を利用した戦前の反復を警戒しています。
行き過ぎた民族意識、行き過ぎた人権意識、行き過ぎた合理性が社会を閉塞させることを知っているからこそ、寛容で多元的な社会をつくろうとしている。
だから中国とパイプを作り、在日の民族問題が起きる前に地方参政権を模索する。
人をバラバラにする新自由主義の合理性を修正するために「地方社会の繋がりから居場所を作って魂の自由を立ち上げる」社会をつくろうとしているのだと思います。
このような世俗との距離感(調整)が至誠通天を発見する道筋だと小沢先生は伝えようとしているのだと思います。
マスメディアで小沢先生を非難する人は、この至誠通天の感覚がわからないから小沢先生がお化けのように見えてしまう。だから怯えて攻撃してしまうのだと思います。
マスメディアが国民への畏敬を持たず、国民との対話も出来ず、ありがとうとごめんなさいが言えないのは、国民を商品化して見る新自由主義に呪縛されているからです。
官僚たちが国民を無知蒙昧な目くそ鼻くそだと愚弄するような態度を取り続けるのは外部から収奪する共同体だからこそ内部の市民社会を怖れている現れです。
官僚も官報も世俗のシステムを過度に怖がり過ぎている。そして集団発狂して社会を壊し始めた。だからこそ小沢先生は「天を思い出せ」と揺らぎを起こしてる。怖いのは地上のシステムではなく天の秩序に反することなのだと教えてくれている。
換言すれば、小沢先生は目が曇った官僚と官報を救おうとしているのだと思います。
(岩上安身さんの小沢先生へのインタビュー中継では、小沢さんは主人である国民にたくさんシグナルを送ってくると思います。)
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