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今年6月14日の衆院代表質問で、自民党の谷垣総裁が小沢一郎氏の証人喚問を求めさ
い、菅首相は「(幹事長を)辞任して大きなけじめをつけた」との見解を示した。
それから半年。参院選の敗北、党代表選での小沢氏との激突、尖閣衝突事件などをめぐ
る失政、閣僚の失言などを経て、菅首相は豹変した。
昨日の小沢氏との会談。1時間以上にわたり、何が話し合われたか定かではないが、政
倫審に出るように菅首相が小沢氏に強く求めたことは確かなようだ。
政倫審への出席を小沢氏が断ると、菅首相は態度をさらに硬化させ、証人喚問に引きず
り出すことまで考え始めたという。
政権に対する世間の厳しい目を、検察とメディアによってつくられた「政治とカネ」フ
ィクションにそらし、魔女狩り異端審問のごとき場に小沢氏を生贄として差し出すこと
によって、著しく低下した支持率の数字を反転させようという意図は、国民に丸分かり
である。
それによって一時的に支持率が回復するかもしれないが、戦略性と実行力に欠ける舌先
三寸の政治家が中枢を占める菅政権の構造的脆弱さが改善されるわけではない。
もとより、内閣支持率の急落は、ぶち上げた政策さえ実行できない菅首相のリーダーシ
ップの欠如や、失政、失言の類にあるのであって、国を危機的状況に陥れている「政治
責任」を問われるべきは菅首相や仙谷官房長官らではないか。
21日の朝日新聞社説は「政治責任を果たそうとしない小沢氏のかたくなさに驚く」と
して、菅首相と党執行部に「より強い姿勢で小沢氏に対さなければならない」と、けし
かけている。
では、小沢氏の「政治責任」をこの朝日社説はどう捉えているのかというと、以下の通
りだ。
例えば、長く続く政治とカネの問題をどう解決するのか、政治資金の不透明さをどう解
消していくのか。そうした問題に立法府の一員として取り組むべき政治家が、自ら疑惑
を招いてしまったとあれば、国会で説明するのは当たり前すぎることだろう。
「政治とカネの問題」「政治資金の不透明さ」。つねにマスメディアは、こうした定番
フレーズを用い、あたかも百貨店の「金権政治」コーナーの棚に商品を並べるがごとく
小沢問題を扱うが、その疑惑の実態については語ろうとしない。
それゆえに、小沢の「政治とカネ」とは何かをあらたまって問われると、多くの人がい
まだに「何億円も裏金をもらってたんでしょ」などと、事実とかけ離れた答えを返して
くる。
「政治とカネ」の悪徳ファンタジーを捏造したのは、ほかでもない検察の片棒を担いだ
マスメディアそのものだった。小沢氏が「自ら疑惑を招いてしまった」のではなく、小
沢氏に政権を渡したくない日米の特定勢力が検察とメディアを操作して「疑惑」をでっ
ち上げたのである。
村木冤罪事件も、民主党国会議員を血祭りにあげて政権交代を阻止しようと画策した一
連の無理筋捜査の結果、生み出されたに過ぎない。
その事件捏造をスクープし、特捜検察の取り調べに対して深刻な問題点を指摘したはず
の朝日新聞が、なぜ、小沢氏とその元秘書らへの、政治資金収支報告書への記載方法を
めぐる強引な捜査手法に疑念を抱かないのかが、筆者にはミステリーであり、大新聞と
しての「説明責任」を求めたいところだ。
小沢氏の資金問題を議論するときは、まず出発点を検証しなければならない。ハナから
「小沢はダーティ」と決めてかかり、それを前提とした一方的な論理を展開しても、小
沢冤罪論を打ち負かすだけの力はない。
岩手県内の工事のゼネコン談合に、小沢事務所が「天の声」を出していたという検察ス
トーリーを吹聴し、水谷建設が石川議員に5000万円を渡したなどとウソの報道を繰
り返したマスメディア。
TBSは、都内のホテルの喫茶店で土産用の紙袋に入れた5000万円を受け渡すCG
の再現画像まで流して事件を捏造した。
読売新聞は「小沢氏4億円不記載了承、石川容疑者が供述」という虚報をでっち上げ
た。
石川氏は「裁判が決着するまでは」と、これらの虚報に対し法的措置をとるのを我慢し
ているという。
小沢氏も石川氏らも、いっさい裏献金を受けていないと主張し、有力証言や物証もな
く、検察の描く裏金ストーリーは崩れて、小沢氏は不起訴になったが、検察審査会の
「市民感情」が、強制起訴に追い込んだ。
数々の妨害を乗り越えて政権交代を実現した立役者でありながら、身に覚えのない罪に
問われて、マスメディア対応に苦慮したあげく、強制的に法廷に引っ張り出されること
になった政治家を冷たく切り離すことによって、菅首相は何を得られるだろうか。
菅首相に対する党内の不信感は確実に、彼のもとにはね返ってくるだろう。
自民政権時代から続く日本政治の深刻な問題は、政権中枢の不在である。すべての政策
立案や根まわしを官僚に丸投げしてきたことにより、官庁縦割り組織の、タコツボ型論
理がこの国を支配してきた。
その硬直化した既存統治システムを破壊し政治主導を確立すべく緒に就いたところで、
鳩山・小沢ラインが、日米の既得権勢力に潰され、あとを引き継いだはずの菅政権は、
かつて党代表をつとめた岡田克也が小沢一郎に語った次のような考えに“避難”する方
策を選んだ。
「民主党の政策に自民党と重なり合う部分が多いほど、国民は安心して民主党に政権を
まかせる」(小沢一郎政権奪取論)
代表だった岡田から、これを聞いた小沢が「我々は旧来の自民党的、官僚的な手法や発
想とはまったく違った理念や政策を打ち出さなければならない。自民党と同じでいいな
ら、何のために民主党が存在するんだ」(同)と反論したのは当然のことである。
菅首相や岡田幹事長は、現政権の苦境を脱するカードとして、党分裂の危険をはらむ
「小沢切り」に突入しようとしているが、それは全く本質を見誤った考えだといわざる
を得ない。
苦境の本質は、この国の改革の後退、すなわち“自民党化”した政治に対して、政権交
代を選択した国民ががっかりしているということに他ならない。
崖っぷちまで心理的に追い込まれた者が陥りやすい特攻精神を、リーダーシップと思っ
て疑わないところに、菅首相、岡田幹事長の大いなる「勘違い」がある。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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