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今月はじめに閉幕した臨時国会はかつて見たことがないほど低レベルの国会だった。「誹謗中傷」に終始して「熟議」と言う言葉はこの国会に殺された。まず菅政権は国民生活に直結する補正予算の議論より、予算を通すための取引材料の議論を優先させた。国会を開いても補正予算案を示さず、その間に野党に小沢氏の国会招致問題を追及させた。首を差し出す代わりに予算を通して貰うという姿勢である。
ところが小沢問題よりも尖閣問題に関心は高まり、矛先は仙谷官房長官に向かった。本来ならば尖閣問題で責められるべきは当時の岡田外務大臣と前原国土交通大臣である。しかし菅内閣では岡田、前原両氏の首ではなく、仙谷氏と国土交通大臣を引き継いだ馬淵澄夫氏の首が差し出される事になった。
そこに柳田法務大臣の「国会軽視」発言が飛び出す。すると菅総理はまず柳田法務大臣の首を切る事にした。補正予算を通すためにである。それならば国対委員長か幹事長が野党と話を付けて柳田氏の首と補正予算成立とを取引しなければならない。ところがそれをやった形跡がない。取引もないまま柳田法務大臣は首を切られた。これは犬死にである。
本当の事を言えば、柳田法務大臣の首を取れる自民党議員などいない。柳田氏は法務省の役人が歴代やってきた国会答弁のノウハウをバラした。自民党政権時代は政治家ではなく役人が答弁してきたから自民党議員はノウハウをバラす必要もなかった。民主党政権は政治家が答弁するから柳田氏は役人から聞いた答弁の秘訣を自慢した。お粗末な話である。しかし柳田法務大臣の問責決議案など自民党に出せる筈がなかった。出せば政権に返り咲いた時の自分を縛る事になる。菅総理は世論を怖れて切らなくとも良い首を切った。
犬死にをさせる政権と見て野党は勢いづいた。すぐさま仙谷、馬淵両氏の首が要求された。それに応えればさらに菅総理の首が要求される可能性もあった。菅総理は無用な首切りで自らを窮地に陥れた。ところが北朝鮮の砲撃事件が起きて菅政権は救われた。国家的危機になれば野党は政権を攻撃できない。資質を疑われていたアメリカのブッシュ大統領だって同時多発テロで甦った。韓国国民の流血の犠牲が日本では補正予算を成立させた。
この国会で分かった事は、政権は国民生活の議論より、取引材料を探して切り抜ける事を優先し、そのくせ取引する政治技術を持ち合わせていないという事である。予算の議論に力を入れないから、国民に政権を後押しする気は生まれない。予算が成立しても国民生活に直結するという実感が湧かない。国民は低レベルの言い争いをただ呆れて眺めていた。
メディアは菅政権が追い込まれている側面だけを強調して報道した。しかし私の目には追い込んでいる野党も酷い。そこで国会が閉幕する直前に、閉幕すれば野党に活躍の場はなくなり、政府与党は思い通りのパフォーマンスが出来るという記事を書いた(「非力与野党の攻防」)。ところが国会が閉幕してからの2週間、政府与党のパフォーマンスは思い通りどころか最悪である。
本来ならば来年度予算の作成に全力を挙げ、それが国民生活にどれほどプラスになるかをアピールすべき時である。ところが再び首を差し出すような話を始めた。民主党執行部は小沢氏の国会招致を通常国会の前に実現すると言い出したのである。執行部はそれをしないと通常国会で予算が通らないと言う。しかしこれは奇妙な話である。予算を通すために小沢氏の国会招致を実現するなら、予算成立のタイミングで取引きしないと取引にならない。今からそれをやれば犬死にの二の舞である。
何故このタイミングで言い出したか。それは予算成立のためではなく、連立のための取引だからである。「非力与野党の攻防」でも書いたが、来年度予算を成立させるには自民党か公明党との連立を実現するしかない。そのために小沢氏の協力を得るのではなく、小沢氏の首を差し出そうと言うのである。
「小沢抜き大連立」を画策しているのは、3年前の大連立騒動で小沢氏に煮え湯を飲まされた渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長だと言われる。12月8日には自民党の谷垣総裁と2人だけで1時間近く話し合ったと報道された。岡田幹事長はこれと符帳を合わせるように動いている。それでは「小沢抜き大連立」は成功するのか。それは簡単かもしれないし、簡単でないかもしれない。
簡単かもしれないと言うのは、小沢氏がこのタイミングで政界再編を決断し、離党か新党結成を考えればそうなる。しかし小沢氏が今ではないと考えれば簡単でない。今年6月に鳩山内閣を菅内閣に衣替えさせた時から、私は「政界再編が準備されつつある」と見ていた。いずれそれをやらないと「国民主権」を発揮する事が出来ないこの国のいびつな政治構造は変わらない。そのために菅内閣は「脱小沢」を鮮明にした。
「脱小沢」は深層部分で「反小沢」ではない。それが私の見方である。それを知らずに「反小沢」で動く人間がいてもそれは構わない。そこを炙り出しながら再編は仕掛けられていく。仕掛けは3年後の衆参ダブル選挙の時までに行われる。そう考えると小沢氏の考えるタイミングには早すぎるのではないか。小沢氏が離党も新党結成も考えなければ「小沢抜き大連立」は簡単にいくとは思えない。
一体、民主党執行部は無理矢理小沢氏を追い出すことが出来るのか。その時の大義名分は何か。まさか「国会招致に応じなかいから」などとつまらぬ理由を挙げる訳にはいかないだろう。国民生活を守るための議論をすべき国会が、それもせずに「政治とカネ」ばかり騒いで意味のない「国会喚問」を繰り返してきたのは、ロッキード事件以来のマインドコントロールに縛られた愚かな政治パフォーマンスである。
その事をかつての自民党は分かっていた筈だ。「政治とカネ」の国会喚問を正しいと主張する連中は官僚政治の信奉者か、民主主義の破壊者であると私は思っている。先進民主主義国でこんな愚かな事を繰り返す国を私は知らない。前にも書いたがアメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター疑惑」と呼ばれる不動産取引を巡る金銭スキャンダルがあった。独立検察官が任命されて捜査に当たったが、大統領に議会で説明しろなどという声はなかった。
司法の問題は司法の場で扱われる。それが民主主義である。国家反逆罪ならいざ知らず、国民生活を考えなければならない議会が政治家の金銭スキャンダルに時間を割く暇などないのである。NHKの世論調査で7割の人間が「国会で説明すべき」と答えたそうだが、それはこれまでのマインドコントロールに縛られた愚民の数である。
それを目覚めさせないといけないのだが、今ようやく国民はロッキード事件以来の検察の「でっち上げ」に気づき始めた。一連の小沢事件が司法決着した時に「検察は正義」と考える国民がどれほどにいるかを私は興味を持って見ている。その時にまだ国会が「政治とカネ」で騒いでいるようならこの国に未来はない。
菅総理は最近「支持率が1%になっても頑張れと言われた」とか、「これまでは仮免許の政権運営」と語ったそうだ。これを聞くと仮免許のドライバーが他人を轢きながら腕を上げていこうとしているように聞こえる。取引のために首を差し出したり、韓国国民の流血の犠牲で補正予算が成立した経緯を見ると言葉は悪いが吸血政治のように思えてしまうのである。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/12/post_241.html#more
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