http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/332.html
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称徳女帝の崩御と道鏡の配流 http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/21584412.html
このタイトルを見てお怒りの支持者の方も少なくないと思う。戦前の小学校では「歴史上の三悪人を述べよ」という質問があり、『道鏡、将門、尊氏』と答えるとハナマルが貰えたそうだから。
道鏡という名を出すだけで「恥ずかしさ」と「負い目」を感じてしまう雰囲気、それこそ1200年前の為政者と情報操作プロデューサーが意図し、実行した成果なのである。この大謀略の経過を辿り、現在の政治状況と合わせて考えて貰えば、タイトルの妥当性に首肯して頂けると確信する。
上の写真をご覧頂きたい。これは『道鏡を守る会』の方達が墓所に設置した掲示板である。
弓削道鏡について
今を去る千二百余年前、奈良時代の高僧・弓削道鏡の墓所が当所です。
道鏡は、若くして仏道に精進し、厳しい修行を積み重ね、高度な医学も身に
つけた立派な人です。
孝謙天皇に仕えて十年余り、天皇が崩御されますと、上層社会に権力を振う
者たちの陰謀によって、ここ下野薬師寺別当職に移されました。
道鏡は、都を遠く離れたこの霊場において、天皇のご冥福と人々の幸わせを
祈りながら、七七二年四月七日不遇の生涯を閉じました。
従来の正史は、その時々の権力者の都合で記されたもので、決してありのま
までなかったことを遺憾に思います。
私たちは、歴史の真実性を尊重する立場に立って活躍された故・横嶋斜月先
生や、故・古田清幹先生の遺志を受け継ぎ、道鏡禅師の更なる顕正をめざし
ます。
一九九四年四月七日
道鏡を守る会
文面からは、道鏡への真摯な理解と切々たる追慕の情が伝わってきて、感動させられる。道鏡の実像が理解されないことに対する無念の思いであろう。
この掲示板だけではなく下記のブログも覗いてみれば、多くの一般の方々が、「道鏡は陰謀の犠牲者である」との意見を主張されている。もはや、この方が大勢と言っても差し支えないであろう。その理由を知る為に、まずは道鏡の事件を振り返ってみたい。
■道鏡事件のあらまし
【正史】《看病僧の道鏡は女帝称徳天皇から深いご寵愛を得て、政界で出世し、最後には天皇の位を望むようになった。そこへ「道鏡を天皇の位につければ天下は太平となる」という宇佐八幡宮の神託が朝廷にもたらされた。称徳天皇は驚かれ、神意を確かめるために和気清麻呂を使いとしてお送りになった。
宇佐から帰った清麻呂は、「皇位には皇統の人を就けよ」という全く反対の内容を神意として言上した。称徳天皇は「嘘を申した」と激怒され、清麻呂を大隅に追放なさった。その後、称徳天皇が崩御され、光仁天皇がご即位、道鏡は下野に追放されて二年後に死亡した。皇統の危機を救った清麻呂は、平安京造営などに活躍した。
井上内親王と他戸親王は光仁天皇を呪詛したとして皇后・皇太子を廃された。二人は大和国の没官の邸に幽閉され、翌々年、幽閉先で同日に薨去した。・・・『続日本紀』》
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皇統を守った和気清麻呂公 http://nonbe.way-nifty.com/blog/2006/08/post_dcca.html
“朝日”日本歴史人物事典 http://kotobank.jp/word/%E4%BB%96%E6%88%B8%E8%A6%AA%E7%8E%8B
【通説】奈良時代の僧は総じてインテリであり、文字も知らない人がほとんどの世の中で、多数の仏典を精読し、宇宙の節理から建築技術や医術まで探求する智者は僧以外にはいなかった。当時僧となるには、戒律を守って、色欲、物欲、権力欲など人間にある全ての欲を絶つという覚悟と強靭な精神力が求められたのである。
[道鏡]は特に語学に優れ、留学僧でもない道鏡が兄弟子良弁に付き添って唐招提寺の鑑真を訪れた時、二人の会話が理解できたという。さらに難解なサンスクリット語でさえも自在に操ることが出来た。今に残るその書は雄渾そのもので、漲る知力を感じさせる。当時最高の知識人であったことは明らかである。
巧妙な婚姻関係で政治権力を握っていた藤原氏の世襲官僚などとは、その知的レベルにおいて比べ様もなかった。
一方、阿倍内親王(称徳天皇)は、生まれた時から父・聖武天皇の政事に横槍を繰り返し、その権力の座におぞましいまでの執着と執念を燃やし、さらには地位確保のためとあらば人殺しも平気な母の実家・藤原氏に包囲されながら育った。
聖武天皇は男子に恵まれず、藤原氏から強要されて一人娘の阿倍内親王を皇太子とし、「仏教・祭祀の尊重」「人民への慈愛」という願いを娘に託して崩御した。即位した阿倍内親王は、権謀術数が渦巻く天皇の座に辟易し、一旦は退位するが、再び称徳天皇として実権を握る。
天皇を傀儡にして支配する藤原氏に嫌気がさしていた女帝は、「どうせ実子でない誰かに皇位を譲るなら、次こそは藤原氏の言うがままの軟弱な親戚ではなく、ホンモノの人格者に天皇になって欲しい。」と考えていた。それは血縁のない外部の者に皇位を渡すことを意味する。天武天皇の子孫の男子はたくさんいたものの、みんな藤原氏と血が繋がっており、藤原の息のかかっていない者はいなかったからである。
女帝は、自らを「天皇」ではなく「皇帝」と称することが多かった。「天皇」はアマテラスの子孫しかなれないが、中国流の「皇帝」であれば「徳さえあれば誰でもなれる」ことを意識していたのである。当時の中国では徳のある者が政治を、民を治めることが善であるという徳治政治の考え方が支配的であり、そのような考え方は日本の宮廷にも広まっていた。
やがて、二人は医師と患者という立場でめぐり合う。道鏡は、女帝を見事に治癒させた。
何事にも常に動じることなく、唐からの僧とも対等に談笑をし、悠然と構えては弟子に仏法を諭し、女帝には宇宙自然界を語る道鏡の、求道者としての知性あふれる言葉の数々は、女帝にとってみれば鮮烈であり、迷い事にも冷静沈着な態度で答えてくれる道鏡はまさに人生の師であり、国や民を治める最適者として映っていた、はずである。
女帝は道鏡と共に、理想の国家運営に向けて歩み出す。その政策は、先帝の遺志に従い仏教を重んじて民衆を救うものであったが、寺院以外の墾田開発を禁止するなど、貴族達の勢力を削ぐものであった。これは、既得権を持つ[藤原氏]には到底受け入れられるものではなかった。
徳と学識に優れた道鏡に皇位を禅譲することを願っていた女帝は、「王を奴婢にするのも、奴婢を王にするのも自由に行え」という父の遺言を述べる。
これを権力基盤の危機と受け取った、藤原氏[百川]が謀略を開始した。まず、道鏡の弟を誘惑して、「道鏡を皇位に就けよ」という[最初の神託]を出させた。すぐに乗って来れば、「皇位奪取の意志有り」として処罰するワナであったが、これは失敗した.。そこで二の矢として、[和気清麻呂]に神託の偽造を命じたのである。
《「道鏡を帝位につけたら、五穀豊穣天下安穏であるぞ」清麻呂はこれを押し返した。・・・最後には剣を引き抜いて床に突き立て、[巫女]を強迫して、自分の欲する[神託]を引き出して帰って来たのです。---『歴史随談』海音寺潮五郎》
この神託により道鏡への譲位を阻んだ。ある夜、百川の館に泊まった女帝は、激しい腹痛に見舞われた。道鏡は、女帝が倒れてから100日あまり、度々訪れ治療を申し出るが門前払いを食らい、そのまま称徳天皇は崩御した。道鏡は、戒律の指導的立場を持つ日本三戒壇の一つ、下野薬師寺に左遷された。
さらに、百川は、称徳天皇の姉・甥にあたる、井上内親王母子を[光仁天皇呪詛事件]の捏造により失脚させ、新たな[皇太子]を立てた。
平安時代になると、道鏡は藤原氏をはじめとする、天皇の威光を背景に政治的統合を狙う歴代の為政者にとって、その天皇を蔑ろにした不敬の存在として格好の標的となった。
為政者は、飢饉や疫病などで民衆の社会不安がつのり、もはや自らの力では収束できなくなる度に民衆の心の深層に眠る[弓削道鏡]像を揺り起こし、盛んに悪事を喧伝した。そうすることで、その反目としての[天皇]の権威を担ぎ上げ、[道鏡]の悪名を周知することで乱世を鎮めようとした。
実際には、[道鏡と称徳女帝は男女の関係であった]というスキャンダルを捏造して[説話集『日本霊異記』]等に掲載し、プロパガンダ組織であった[仏寺]のネットワークを通じて、全国の庶民に拡散させた。その効果は、江戸時代に詠まれた卑猥な川柳や現代の昆虫名にまで及んでいる。
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[道鏡]…小沢一郎 [最初の神託]…家宅捜索 [光仁天皇呪詛事件]…党代表選 [説話集『日本霊異記』]…ワイドショー
日本三大悪人・弓削道鏡の汚名を晴らすサイト http://www.kawachi.zaq.ne.jp/ishii/doukyou.htm
今日の…「道鏡事件と桓武天皇」のはなし http://ameblo.jp/eiichi-k/theme2-10013483725.html#main
朱雀の洛中日記 弓削道鏡 http://suzaku62.blog.eonet.jp/default/2010/01/post-00b1.html
道鏡の真実 http://www.melma.com/backnumber_136539_2241164/
もう一つの神託「道鏡」事件 http://www.ten-f.com/doukYoujiken.html
道鏡って悪い人だったんですか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1048394595
闇に葬られた皇族(1) ー 井上内親王 http://miburo.blog6.fc2.com/blog-entry-449.html
井上内親王 他戸親王 http://sendo.fc2web.com/flame01/katudoukiroku/igaminaisinnnou/gojousi.htm
まんがで見る五條市史 井上内親王 編 http://www.gojo.ne.jp/yamayoh/manga/ig1.htm
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遺命の実現と学理の実践という理想を持ち、既得権者に果敢に挑んで斃れていった二人が哀れであり、陰謀によって彼らを踏み潰し、死後の名誉までズタズタに引き裂いた者共への感情が、爆発しそうになる。「それがどこにもある権力闘争だ」と言われても、納得出来るものではない。
さて、また現代に戻ろう。上記の変換を行って、再度読んでみて頂きたい。残りの[ ]内の言葉も難なく見つかるはずである。すると、舞台は反転して現在の場面に切り替わる。[道鏡]の位置には【小沢一郎】がいる。
彼らは、国に取り付いてその生き血を吸い続ける凶獣を引き剥がそうとし、その毒牙に掛けられたのである。すなわち、才能の高さゆえに小細工を労することなく、誠実さだけで天皇(国民)の信頼を獲得した英雄と、己の無能を自覚せざるを得ない為にその英雄の瑕疵を探しまわり、終には狡猾と愚劣の極みにまで到達してしまった者達の対立という、古今東西限りなく繰り返されてきた、パターンがここにも見られるということであろう。
当時の庶民向け情報操作は「仏寺」の担当であり、そこでは「博打、売春、高利貸し」も行われていた。前述の『日本霊異記』には、「借金を返済しないと、地獄に落ちる」とする物語が多く掲載されている。こういうのを「やりたい放題」という。「D通」の皆様も、大先輩の手口をしっかりお勉強されることをお勧めする。
英雄が勝利してハッピーエンドというのは、稀少性があるからドラマになるのである。あらゆる情報操作が実行された結果として、1000年後、材質だけが少し進歩した掲示板が建つことにならないか、と危惧してしまう。
最後となるが、多くのブログを拝見し、人々の、陰謀による敗者に向ける目の暖かさにも感激させられた。日本人の一員として、身内を失ったような喪失感をお持ちなのであろう。しかし、表には出せなくとも、勝者に対する鋭い視線がその陰に潜んでいることを見落としてはならない。
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