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2010年12月16日 (木) 15:40
2010年12月19日午後2時半から、東京日比谷公会堂で死刑反対集会が開催される。「クマのプーさんブログ」様が紹介くださっているので、そのまま転載させていただく。
集会では、作家の辺見庸氏が講演をされる。演題は「国家と人間のからだ−私が死刑をこばむ理由」。
「クマのプーさんブログ」様が辺見庸氏のブログより記事を転載されているので、併せて本ブログに転載させていただく。
2010年12月19日死刑反対集会で辺見庸講演
◎2010年12月19日死刑反対集会で辺見庸講演
死刑のない社会へ日比谷公会堂大集会
場所:日比谷公会堂(東京)
日時:2010年12月19日(日曜)午後2時開場、2時30分開演
・講演:辺見 庸
・演題:「国家と人間のからだーー私が死刑をこばむ理由」(2時35分から約70分)
・コンサート:上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)
・座談会:中山千夏/加賀乙彦/森達也/安田好弘(司会)
・講談:神田香織 和歌山カレー事件「シルエットロマンスを聞きながら」
・メッセージとアピール:韓国、欧州連合(EU)、免田栄氏、菅家利和氏ほか
●集会の趣旨
アムネスティ・インターナショナルの調査では、過去10年以上のあいだ死刑を執行していない国を「事実上の死刑廃止国」として死刑廃止国にカウントし、2009年末の段階で、死刑廃止国は139カ国(うち事実上の死刑廃止国が35カ国)、存置国は58カ国となっています。アメリカ合州国の中でもアラスカ州など15の州で死刑は廃止されています。死刑に特に犯罪を抑止する効果が認められない上に、冤罪の場合には取り返しのつかないこと、死刑が権力の恣意的な道具に使われてきたことなどへの反省から、世界は死刑廃止への道を歩んできたのです。死刑を残している国でも、昨年一年間に実際に死刑執行を行ったのは18カ国にすぎません。残念なことですが、そこには日本も名を連ねています。しかし、重大な冤罪事件が次々と問題にされ、あろうことか検察官による証拠のねつ造までが発覚している今日、日本の検察や裁判所にはとても人に死刑を求める資格などないのではないかと疑問の声も高まっています。私たちは、世界中で多くの人々が死刑のない社会に生き、死刑を用いないで犯罪に向かい合っていることに思いを馳せながら、日本でも死刑執行の即時停止を求めるものです。
・地図・アクセス:http://hibiya-kokaido.com/map.html
・入場料: 前売券1000円 / 当日1500円
●主催・問合せ
死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90
〒107-0052 東京港区赤坂2-14-13 港合同法律事務所気付
TEL.03-3585-2331 FAX.03-3585-2330
郵便振替口座:00180-1-80456 フォーラム90
※集会等の速報のためにメールの連絡網を作成中です。
「集会案内希望」と表題に書いてメールをお寄せください。
email : stop-shikei@jca.apc.org
『死刑廃止フォーラム』
●参考資料
(「水の透視画法」連載第60回)
鏡のなかのすさみ
──千葉景子さんと絞首刑
辺見 庸
眉毛と眼のあわい。アイホールというのか両のまなぶたのうすい皮膚に、白く光沢のあるシャドーが太くひかれていた。あれはなんの印なのだろう。大陸先住民の祝祭の化粧をほうふつとさせる白のシャドーには、どんなおもいがこめられていたのだろう。「喪」の印だろうか。まさか。たんなるおしゃれか。にしては派手にすぎないか。それとも、あれは覚えのないのない心のすさみが皮裏からじわじわとしみでてきた不祥の紋様なのか。千葉さんはいくたび鏡のなかのじぶんを見つめたろう。その日にあわせ注意ぶかくえらばれたイヤリング、ネックレス、ブレスレットにくわえて、ふんどしのように長い水色のスカーフが、千葉さんのもくろみどおり、グレーのスーツにとてもよく映えていた。みずからサインした死刑執行命令書により、その朝、刑場で二人の男がくびり殺された。千葉さんはそれにわざわざ立ち会った。ロープが首の骨をくだく音を複数回耳にし、四肢がひくひくとこまかにけいれんするのを眼にもしただろうその足で、あでやかに記者会見にのぞんだ千葉景子さんは、まったく大した人ではないか。
皇居での認証式だったか、びっくりするほどすてきななドレスをつけていて、まるでオペラハウスの招待客のようだった。その挙措まことにうやうやしく、禁中にあって千葉さんくらいふさわしい貴人はないようにさえおもわれた。いつも鏡のなかのじぶんにうっとりと見ほれているにちがいない。ハレにはハレのケにはケの、祝儀不祝儀万端においてあるべき装いをしっかりとこころえていて、頭から手足のさきまで身づくろいにはおさおさおこたりない。肩を傲然といからせたりはしない。演技なのか無意識なのか、謙虚めかしてからだを内側にすぼめるようにしたりする。そして眼。薄膜でしれっとなにをかくしているのか。小暗い水銀のたまりみたいなひとみの底は冷たいのかどれほどの毒なのか、なかなかはかりがたい。たぶん苦しい恋の一つや二つしたことがある人だろう。愛したり愛されたり殺したいほど憎んだり妬いたり。それが人というものだ。そうならそうと国家権力とまぐわいしたりせずに、ひとりの生身の女として温かな血のままに生きればよかったのに。
千葉さんがいまさら考察にあたいする人かどうかわからない。「アムネスティ議員連盟」事務局長をつとめ「死刑廃止を推進する議員連盟」にぞくしていたこともある千葉さんはかつて、杉浦正健法相が「信念として死刑執行命令書にはサインしない」と話したあとにコメントをとりさげたことにかみつき、死刑に疑問をもつなら死刑制度廃止の姿勢をつらぬくべきではなかったか、と国会で威勢よくなじったことがある。杉浦氏は発言を撤回しはしたけれど、黙って信念をつらぬき、法務官僚がつよくもとめる死刑執行命令書へのサインをこばみつづけた。他方、千葉さんはさんざ死刑廃止をいいながら翻然として執行命令書に署名し、おそらくなんにちも前から姿見と相談してその日のための服とアクセサリーをえらび、絞首刑に立ち会った。これは思想や転向といった上等な観念領域の問題だろうか。それとも政治家や権力者や政治運動家によくある「自己倒錯」という精神病理のひとつとしてかんがえるべきことがらなのか。
弁護士でもある千葉さんはこれまでずいぶんかっこうのよい正義や人権をかたってきた。だが、わかりやすい正義とともに、晴れがましいことも大好きで、出世や権威にめっぽうよわく、おのれのなかの権力とどこまでもせめぎあう、しがない「私」だけの震える魂がなかった。だから、死刑執行命令書へのサインは「法相の職責」という権力による死のドグマと脅しにやすやすとひれふしたのだ。そう見るほかない。政治と国家はどうあっても死を手ばなしはしない。国家や組織とじぶんの同一化こそ人の倒錯の完成である。千葉さんだって若いころはそれくらい学んだはずだ。だが、老いて権力に眼がくらんだ。このたびの裏切りにさしたる謎はない。彼女の思想は、口とはうらはらに、国家幻想をひとりびとりの貧しくはかない命より上位におき、まるで中世の王のように死刑を命令し、じぶんが主役の「国家による殺人劇」を高みから見物するのもいとわない、そのようなすさみをじゅうぶん受容できる質のものであっただけのことだ。堕ちた思想の空洞を、ほら、見えないシデムシがはっている。ざわざわと。
背信は彼女ひとりだけの例外的なものだろうか。どうもそうはおもえない。すさみとは、人がただ堕ち、すさみつくすことではない。自他のすさみについに気づかなくなること。熟れすぎたザクロのように、もろともに甘く饐(ル・・す)えたそれこそが、すさみの極みなのではないか。深夜、鏡のじぶんと凝然とむきあう。〈了〉
「辺見庸ブログ」より転載させていただきました。
(ここまで転載)
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