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秘密解除・ロッキード事件(「月刊誌「世界」2011年1月号)
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/241.html
投稿者 脳天気な醜男 日時 2010 年 12 月 15 日 19:23:08: vkZAEFfow.6XY
 

下記は、下のブログからの転載

%%%%%転載開始
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/ 
月刊雑誌「世界」の2011年1月号に興味深い記事を見つけました。「秘密解除・ロッキード事件」というもので、朝日新聞記者の筆になるものです。
この記事は、そもそもは本年2月の朝日新聞記事に端を発しています。
%%%%%引用開始
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1167.html
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書
(朝日新聞 2010年2月12日3時30分)
ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。
この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。
ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露されたが、ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。
与野党いずれも政府に真相解明を要求。三木首相は2月18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。
文書によると、中曽根氏はその日の晩、米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼した。中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。
さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消すことを希望する」に変更したとされる。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書いてある。中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。
文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明だ。
結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。(奥山俊宏、村山治)

     ◇
東京地検特捜部検事時代にロッキード事件を捜査した堀田力弁護士の話 米国への要請が事件発覚直後で、しかも「日本の政府がひっくり返るかもしれない」とブラフ(脅し)みたいな言い方なのに驚いた。私は法務省刑事局の渉外担当参事官として2月26日に渡米し、資料入手の交渉をしたが、それを阻止するような動きがあるとは察してもいなかった。
%%%%% 引用終わり

上記は、世間をあっと驚かせたことからよく知られています。この書類を発見した朝日記者の手によるとおもわれるのが「世界」の論説です。この記事にまことに興味深い表現があるのです。

%%%%%引用開始
「翌六日、東京にいた国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根が接触した。事前に表敬のために予定されていた接触だったが、話題はロッキードになった。駐日大使館から国務省にその日のうちに送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されていた。
 それによれば、中曽根がまず触れたのが日本共産党の「スパイ査問事件」だったとされている。共産党委員長の宮本顕治はこの事件で監禁致死や死体遺棄などの罪に問われて戦中に有罪判決を受けたが、戦後まもなく復権していた。民社党委員長春日一幸は一月二十七日の衆議院本会議でその経緯を取り上げて「真相を明らかにすべき」と迫った。」
%%%%%引用終わり

 1945年8月15日の時点で宮本顕治氏は、ウイキペディアによれば、『第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)12月5日に、東京地方裁判所は殺意は否定したものの小畑の死因はリンチによる外傷性ショック死であるとして、不法監禁致死、傷害致死、死体遺棄、治安維持法違反などにより無期懲役の有罪判決を下した。1945年(昭和20年)5月に大審院で上告棄却され無期懲役の判決確定(戦時特例により控訴審は無し)。6月、網走刑務所に収監されたが、すぐに終戦となる。』というわけで、わずか4ヶ月強とはいえ、宮本氏は網走刑務所に服役中でした。
1945.10.4日付けでGHQの「民権指令」により10.10日期限で獄中政治犯の釈放を占領軍は指示し、事実、治安維持法絡みの被告は10.10日に一斉に釈放されました。この時の指示は純正政治犯のみを対象としており、宮顕や袴田のように刑事犯を併合している場合には適用されなかったのです。(レンダイコ氏ブログより、引用)。しかも宮本氏の釈放が一日早い10月9日であることも謎であるとレンダイコ氏は指摘しています。
釈放のおよそ二ヵ月後の昭和20年12月29日に勅令第730号(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件)が発布され『別表1ニ掲グル罪ヲ犯シ本令施行前刑ニ処セラレタル者ハ人ノ資格ニ関スル法令ノ適用ニ付テハ将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス但シ左ニ掲グル場合ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ』というわけで、治安維持法関連で収監されていた政治犯の人権が回復されたのです。しかし、この時点では殺人事件に関与したとされる宮本氏にこの復権は適用されていません。当然のことです。なぜならば、上記条文の「別表1に掲げる罪」に加え殺人を犯していたからです。しかし、宮本氏は、自らが犯した「殺人事件は治安維持法がらみであるから復権さるべき」と執拗に占領軍に「嘆願」した結果、翌年五月、超法規措置で「復権証明書」が交付されているのです。上記の春日一幸氏の疑問は、殺人事件にかかわった刑事犯に勅令七三〇号が適用されたことの不明朗さを(1976年時点での政治的背景があったにせよ)指摘したものだったのです。
復権証明書を執拗に請求した宮本氏側の論理は納得しがたいものです。この論理は、小林多喜二、野呂栄太郎などを拷問で虐殺した特高警察の犯罪を免罪するものです。特高警察の存在の前提が治安維持法にあるからです。地到底受け入れがたい「屁理屈」というものです。
レンダイコ氏が指摘するように上記の経過には多くの胡散臭さが残っています。しかし、私が注目するのは、中曽根氏がロッキード事件の「もみけし」に先立って「宮本事件」に触れていることです。
渡邉恒雄回顧録 ( 伊藤 隆, 御厨 貴, 飯尾 潤 (中央公論新社、2004年))によれば、CIAエージェントとして、いまや日本中に知れ渡っている正力松太郎氏に中曽根氏を引き合わせたのがナベツネであると氏自ら語っています。なにせナベツネは自ら正力氏の走り使いであったと上記本で自慢げに語っているのですから。正力氏、中曽根氏のどちらも警察官僚です。私は、宮本氏にかかわる秘事は当然のことながら中曽根氏に引き継がれているのであろうと想像していました。しかし、どうもそうではなかったようです。もしかすると、CIA 下っ端エージェントの正力氏には宮本氏にかかわる真相・秘事は明かされていなかったのではないか。そして、中曽根氏は自らの鋭い嗅覚で、「宮本復権」に占領米国軍司令部・米国政府がかかわっていたであろう事を察知し、冒頭の質問となったのだろうと思います。
 一方、ナベツネは正力氏との日常の接触から胡散臭い宮本氏について何がしかの感触を得ていたのではないか?それを思わせるに十分な記載が上記の本で触れられています。ナベツネは学生時代つまり東大駒場の共産党新人会で相当の回数宮本氏と遭遇していますが、二人の会話は、いつも「スパイ」談義なのです。それは、後日の邂逅でも再度、スパイ談義です。当時、ナベツネには不明朗な金の授受からスパイの嫌疑をかけられていました。ナベツネは自らのススパイ嫌疑にかこつけて、宮本氏の秘事を摑んでいると暗に揺さぶりをかけていたのではないかと思われるのです。

 1970年代、この事件の顛末は皆さんも知るとおり、共産党の「田中角栄たたき」に結実したのです。
%%%%%転載終わり

昨今の共産党の小沢叩きの原点および、検察権力との戦い放棄の原点をここに見る思いがします。
 

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コメント
 
01. 2010年12月15日 22:30:56: 2us8B86sKA
賄賂もらって揉み消しした人が勲一等
剥奪しなくていいのかい

02. 2010年12月15日 23:29:01: kbjD6Oqr1Y

因縁がいろいろとある事がわかり、勉強になりました。

03. 2010年12月16日 02:28:52: FTg1JTWicA
日航機123便事故も>>中曽根とアメリカの捏造処理事件。
撃墜事件を墜落事故に見せかけ、テレビ人間日本人をいまだに騙し続けている。
自衛隊の目撃証人並び機内の生存者さへ、口封じの為に殺し捏造して事件をもみ消したのである。

04. 2011年2月13日 18:53:25: SJTVNscLEQ
田中清玄氏は角栄の協力者だった。
清玄氏を狙撃したのは児玉の配下の人物。
どちらかといえば、米勢力が角栄や共産を潰しにかかった公算が大きい。
↓はジョージワシントン大学で公開されている文書で岡崎久彦氏のインタビュー記事だが、メディアの角栄評について興味深い記事が載っている。
http://www.gwu.edu/~nsarchiv/japan/okazakiohinterview.htm

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