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シリーズ小沢一郎論(8) ── 形式主義のワナの背後に安易な権力維持の誘惑
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/12/post_713.html
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
民主党の岡田幹事長が、小沢一郎氏の国会招致を国会決議も視野に調整を進めるということで、菅首相もOKし仙谷官房長官も賛成している。
「検察の暴走」の尻馬に乗って、国会も暴走、という展開である。秘書や元秘書の根拠薄弱な逮捕・起訴や、小沢氏本人の根拠の無い強制起訴が不当であるように、根拠の無い国会招致も不当である。
もともと政権交代阻止(=小沢つぶし)、という流れの中での「検察の暴走」だったが、政権交代を果たした民主党政権の中枢がいまやその流れに乗っていくという異常事態である。
野党の意向に沿えば通常国会が楽になるだろうという期待と、反小沢のマスコミ世論に乗っておけばいいだろうという、その場しのぎ的な損得計算でやっているのなら愚かなことである。また、悪意があって、つまり、小沢つぶしという権力闘争を目的としてやっているのなら、邪悪なことである。
民主党政権中枢とすれば、「世論を尊重しながら国会を乗り切る」という建前があるのだろう。その建前の下では、小沢国会招致は必要である、という事になるわけだ。しかし、それはあまりに形式主義的な論理展開であり、形式主義のワナである。民主主義体制が尊重すべきは「民意」であり、「世論」ではない。民意は、基本的に選挙で示される。
集中的な国民的議論と運動の末に、選挙結果が直前の世論調査の結果をひっくり返すことは多い。民意は世論とイコールではない。また、国会を乗り切るというのも、国民のための意志決定をするという中身がなければならない。
今の日本の本当の民意は何かを真剣に考えれば、まずは格差社会化や地方切捨てを防ぐことであり、そのためにセーフティネットを充実させながら、経済・雇用を回復させることだろう。同時に、筋の通った外交・防衛政策を展開することである。そういう中身の問題で真剣になり、よい政策を実行できるのであれば野党に譲るところは譲る、という姿勢でないと、実のある国会運営はできない。そして、政策の中身で世論の支持を得られるように、国民に働きかけなければならない。政治にとって世論は従属すべきものではなく、動かす対象である。
今の民主党政権中枢が、なぜ簡単に形式主義のワナにはまるのか。それは、権力闘争というもう一つの甘いワナにもはまっているからではないか。「検察の暴走」も、証拠がそろいさえすれば(でっちあげであっても)手続き的には起訴できる、巨悪を眠らせないためには積極的に起訴すべきだ、という形式主義のワナにはまったパターンだったが、同時に、小沢氏を排除できれば旧体制を維持して既得権益を守ることができる、という権力的な甘いワナにもはまっていたのであった。
権力闘争といっても、体制を変革しようとする側は、形式主義では世の中を変えることはできず、中身で勝負しなければならないから、ワナにはまりにくい。形式主義は現状維持になじむ。体制側が、不当に権力を維持したい、楽して権力を維持したいという誘惑に駆られる時、形式主義のワナにはまりやすいのではないか。
権力者でいるということは、その分大きな責任を引き受けるということであり、より多くの苦労を背負うということである。権力者はそれができ、それに誇りを持つ者でなければならない。権力者は、楽をして権力を維持しようと思ってはいけない。楽をしたいなら野に下ればいいのである。政治や社会の悲劇は、権力者が権力者でいながら楽をしようとすることから始まるのではないか、ということを改めて考えさせられる。回答を求めたい。
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/12/post_713.html
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