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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101211-00000001-gendaibiz-pol
かつて永田町関係者の間で「竹下カレンダー」という言葉がよく使われた。たとえば国会の予算審議が与野党攻防で行き詰まり先行きが見通せなくなった時、自民党執行部だけでなく霞が関の各省庁トップが竹下登元首相のもとへ馳せ参じ、同氏の見立てを拝聴することが少なくなかった。
あるいは自民党内の権力闘争が激化、政局含みの情勢になった時も大物政治記者は東京・代沢の竹下邸を密かに訪ね、意見を求めたものだ。
すると竹下氏は直ちに、手帖を取り出し不透明な政治日程を解き明かした。あるいは、各派閥の領袖・幹部の選挙区事情から政治資金の出所まで細かく説明し、政局のキーマンの強みと弱点を衝きながら着地点を予想してみせた。
しばらくして、それが悉く現実となる。こうしたことから「竹下カレンダー」という言葉が生まれ、「困った時の竹下さん」と言われたのだ。
その意味で、現下の「12月政局」の先行きが見えてこないのは、これまで大きな絵図を描いて政局に臨み、勝負を賭けるが殆ど失敗してきた小沢一郎元民主党代表と、長い野党暮らしで熾烈な権力闘争を経験していないため絵図が描けない菅直人首相=仙谷由人官房長官がガチンコ相撲を取っているからだ。
だからこそ、1926年5月生まれ、御年84歳の「ナベツネ」こと渡邉恒雄読売新聞グループ本社会長・主筆の表舞台登場を許してしまうのだ。
12月8日夕、「大連立」論者の渡邉氏が白昼堂々と自民党本部に谷垣偵一総裁を訪ね、差しの会談を行った。政治のプロではなくとも、党本部入りをテレビクルーに撮影させた一事をもって、この谷垣・渡邉会談で大連立を目指した真剣な話し合いが行われたなどとは思わない。
本気の話し合いであれば、極秘会談にしたはずだし、自民党有力者の中で大連立志向の強い大島理森副総裁を同席させたはずだ。谷垣氏が渡邉氏の打診を拒否したのは織り込み済みだった。
一方、ナベツネ氏が11月30日夜、与謝野馨元財務相(たちあがれ日本共同代表)とホテルオークラ内の日本料理店「山里」で秘密裏に会い、主要政策を軸にした部分(パーシャル)連合を入口にしての民主党と自民党の大連立の可能性について話し合った事実があるが、こちらは“本物"である。
与謝野氏個人の政局観の成否はともかく、自らが「たちあがれ日本」を離党して菅政権に入閣する選択肢を含め、真剣に民主、自民両党の大連立の接着剤にならんとしているのもまた事実である。
複雑なのは、菅首相サイド、そして小沢陣営のこうした大連立を巡る動きへの反応と対応である。先ず、菅首相サイド。菅氏の信頼が絶大な寺田学首相補佐官は8日夜の限定した新聞記者との「裏懇」で、首相は渡邉氏の自民党本部訪問を事前に承知していなかったことを明らかしたうえで、渡邉氏が大連立で動いているのは仙谷氏に依頼されてのことではないかと語っているのだ。
首相と官房長官の間に隙間風が吹いていることを示している。福島みずほ党首と会談した菅氏は今一度民主・社民・国民新党の旧連立政権への回帰を求め、自民党の大島氏、公明党の井上義久幹事長にパイプがある仙谷氏は最終的に公明党も含む大連立の道を探っているのかも知れない。
小沢陣営の対応も難しい。小沢氏個人は、鳩山邦夫元総務相(無所属)の呼びかけに応じて鳩山由紀夫前首相、舛添要一元厚労相(新党改革代表)との会食(8日夜、平河町の「二葉鮨」=邦夫氏の馴染みの店)からも分かるように、“菅包囲網"構築のためには労を厭わない。ところが舛添氏はその翌日の9日夜、菅首相の誘いに乗って、やはり「山里」で会食しているのだ。
小沢氏周辺から「舛添首相」もあり得るとの秋波を送られる舛添氏がこの間、渡邉氏に近い与謝野氏に急接近しているのは周知の事実だ。
魑魅魍魎の政界。ただ、ハッキリしていることは、手負いの獅子である小沢氏が菅・仙谷ラインとの最終戦争を決断、仮に野党が1月の通常国会冒頭に内閣不信任案を提出すれば、手勢を率いて賛成に回ることを考えていることだ。但し、小沢氏は93年に同じことを試み、失敗している。
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