http://www.asyura2.com/10/senkyo101/msg/697.html
Tweet |
(回答先: 民主・鉢呂国対委員長、政倫審議決でも小沢氏が拒否の場合は除名もあり得るとの考え示す フジテレビ系(FNN)…菅ファッショ 投稿者 新世紀人 日時 2010 年 12 月 10 日 10:55:32)
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52075018.html
2010年01月28日
小沢一郎氏の政治資金規正法違反を巡る問題を考える「視点」の考察
僕は、この一連の問題に対する見方として、元検察官の弁護士である郷原信郎さんの主張に説得力を感じて、同じような視点からこの事件を見たいと思ってずっと考えてきている。それは、この捜査のやり方があまりにも強引で無理があるという見方だ。小沢さんを追求するにしても、このやり方は不当ではないかという疑問からこの問題を考えようと思っている。
郷原さんも何度も語っているのだが、この視点は小沢さんを擁護するという視点ではない。小沢さんの悪を追求することがけしからんというのではなく、その追求の仕方が正当性がなければ、たとえ悪を突き止めたとしても、その告発に不当性があれば告発なんか出来ないのではないかという主張だ。小沢さんが本当に悪いのであれば、まともな方法で追求してくれと言うことだ。もしまともな方法で追求できないなら、それは疑惑ではあっても、それ以上ではない。正義を振りかざして、疑惑のある人間を叩いてもいいと考えるのは、前近代的な封建社会から日本が抜けきっていないことを示しているのではないかと思えて、日本の近代民主主義そのものに対しても疑問を感じてしまう。日本が真の民主主義社会へと脱皮するために、この小沢問題は重要なものだと思うだけに、深く考えたいものだと思う。
ライブドアのブログにも僕は同じ内容の日記をアップしているのだが、そこには「生粋の気が向いたら書く日記」というブログから次のようなトラックバックをもらった。
「小沢氏の問題、だけでなく民主党の問題でもある小沢氏の問題、だけでなく民主党の問題でもある」
ここで語られていることも、やはり「視点」の違いを感じる。問題にしている事柄が全く違うのだ。小沢さんが悪いことをしたかどうかという問題とは別に、まずはその捜査そのものに正当性があるかどうかを僕は問題にしたい。そこを問題にしないで、小沢さんが悪いことをしているのではないかという疑惑から、民主党はダメだと短絡的に判断するような国民が増えるのを心配している。しかし国民の大部分は、その程度のマスコミの宣伝に踊らされるほどもうナイーブではなくなっていると期待したい。小沢さんへの追求の正当性を確認した上で、小沢さんへの評価をするような賢さを、国民はこの間の政治状況を見て身につけたと信じたい。
さて、この問題に対する報道への疑問はすでにいくつか語っているのだが、もっとも素朴な疑問をもう一度まとめてみたいと思う。このような素朴な疑問は、特別な知識や情報を持たなくても、毎日の報道を見ているだけで気づくのではないかと思う。どこかで、このような疑問に答えているところがあれば、それも探しておきたいと思う。
1 疑惑を証明する情報として、なぜ「供述」しか出てこないのか。物的証拠がないのか。
小沢氏の事件に関しては、石川容疑者がこう供述したとか、大久保容疑者がこのように言った、あるいは水谷建設元幹部が供述したことはたくさん報道される。しかし、供述以外の報道を目にしたことがない。この「供述」というものは、本人と検察しか知り得ないもので、本人がそれを流しているとは思えないので、検察がリークしているに違いないと、誰もが思っている事柄だ。
供述というのが流されれば、それが検察のリークであると言うことがすぐに疑われる。もし物的証拠の情報が流された場合に、捜査段階でそのような情報が漏れるのはまずい、と考えるなら、供述情報が漏れるのもまずいのではないかとも思うのだが、今回の事件に限っては物的証拠についての報道が何もない。他の事件では、たとえばDNA鑑定などの情報が報道されることもあったように記憶している。物的証拠に関する報道が全く行われないわけでもないようにも思う。今回の事件では、物的証拠に関する報道がないのは、それがないのか、それともあっても出せないのか、いったいどちらなのか分からないが、供述の情報だけが報道されるのは、明らかに変だと感じる。
ここまでは素朴に考えても出てくる疑問で、次のような疑問はある種の情報を持っていなければ出てこない。それは、マスコミが報道する供述が嘘ではないかという疑問だ。それに対しては、次のような情報がある。
「連日8時間以上「嘘をつくな!」などと激しく罵倒され続けている石川議員」
というブログエントリーでは、
「報道機関各位
読売新聞は、本日、
「(略)石川知裕衆院議員が東京地検特捜部の調べに、土地購入前の2004年10月下旬頃、土地代金に充てる現金4億円を同会の同年分の政治資金収支報告書に記載しない方針を小沢氏に報告し、了承を得て いたと供述していることが、関係者の話で分かった。」
と報道していますが、石川氏が上記のような供述をしたことは全くなく、上記の報道は完全な誤報です。
2010/01/20
石川知裕氏弁護人
弁護士 安 田 好 弘
同 岩 井 信」
という、マスコミでは報道されない情報が載せられている。もしこの情報が広くマスコミで報道されたなら、もっと素朴な疑問を持つ人が増えることだろう。捜査の正当性を疑わせる。
2 水谷建設は1億円の献金をしてどれだけの利益が上がったのだろうか
水谷建設の人間からの供述の信憑性は、多くの人から疑問を出されている。僕は浅井久仁臣さんのブログで知ったのだが、郷原さんもテレビで語っていたようだ。違法献金をしたという供述が嘘か本当かというのは、それだけではなかなか判断が難しい。しかし、嘘であれば、不当な方法で小沢さんを陥れようとしているというのは明らかだ。それが本当であると言うことは、納得がいくような論理と物証で証明しなければならないだろう。
だいたい裏献金をしたと供述するというのは、それが確かな証拠を捕まれて逃げられないと観念したときに、否認するのは不利だから、少しでも情状酌量してもらうために自供するというケースが論理的にはあり得るものではないだろうか。つまり、証拠固めがすんでいて、自供した方が有利だという状況でなければ供述がとれないのではないだろうか。そうであれば、供述よりも確かな物証の情報が出る方が論理的であるような気がする。供述だけというのはいかにも不自然だ。
それから、テレビで誰かが語っていたが、今の時世で1億円もの献金をするだけの余裕が下請けの会社にあるだろうか、という疑問がある。この1億円の献金の見返りはいったいいくらあるというのだろうか。発注の費用の中にすでに献金が見込まれていたのだと、という考えもあるだろう。しかしそれなら、公的な記録に残っている金の出し入れを調べれば、原価に対する利益の大きさが不自然に大きいなどの現象が調査によって得られるのではないだろうか。マスコミならそれくらいの調査が出来そうな気がするのだが、そのような報道はない。
この1億円の裏献金が、表に出せない金であるなら、脱税なりなんなりで作り出した金でなければならないだろう。水谷建設は、脱税でも摘発されているそうだが、その額はどのくらいあるのだろうか。1億円の献金を作り出すだけの、隠し金を作る能力が水谷建設にはあったのだろうか。そのような報道がなければ、水谷建設の人間が裏献金をしたという供述は、にわかには信じがたいと思う。
このような素朴な疑問からも、僕は検察の捜査に疑問を感じざるを得ない。この疑問を感じると言うことは、決して小沢さんを擁護し、悪を見過ごすこととイコールではない。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK101掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。