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「負けなければ勝てる」 by インナーマザー
2010⁄12⁄08(水) 00:00
負けなければ勝てる
APF通信の山路徹氏による現場レポートで、収監直前の鈴木宗男さんが取り囲む記者たちに向かって国策捜査の要点を語っている姿を私も見ました。
「私は間違った権力と断固闘う」と言った後に、「マスコミの皆さんも権力に使われている。特に検察に」と剛速球を投げ掛けました。
鈴木さんの発言は「現在進行形」で語られます。つまり今ここで、この検察庁の前でもマスメディアは間違った権力、特に検察に使われながら質問をしていると言外に言っているわけです。
これはマスメディアへの皮肉や揶揄ではなく、鈴木さんから国民への警告だと思います。油断せず、これから起きることを考えて欲しい、という注意喚起だと思いました。
「シンボルをめぐる闘争には妥協はない」と言います。国民の代表と役所の官僚の「どちらが国家の主人なのか」という闘いで、国民(社会)の側に立ったシンボルとして鈴木さんは闘い、パージされました。
この構図は、国民の代表である鈴木さんが断罪されたということですから国民自身が断罪されたということです。国民の民主主義が「間違った権力」によって否定されたのです。公務員試験に受かれば選挙の洗礼も受けずに定年(天下り先)まで権力を握り続ける国家官僚によって、社会の側に立つ鈴木さんと国民が断罪されたのです。権力は民に由来するという民主主義の大原則が露骨に潰された「シンボリックな事件」になったわけです。
鈴木さんは国民の民主主義を守るために闘う英雄なのです。
国家と資本とマスメディアという権力機構の中で、自分は疎外された弱者であり泣き寝入りさせられて来たのだという「自己意識」を持っている人は、鈴木さんを自分と重ねて見ています。鈴木さんの悲劇を自分の境遇として「疎外されたシンボル」だと思い、共感しています。
しかし「シンボルをめぐる闘争」は目を曇らせます。曇った目で判断すると誤ります。自己の決断を過剰に崇拝してしまう決断陶酔の罠にはまります。熱くなり過ぎると結果がどうなろうと気持ちがすっきりすれば満足だ!という落とし穴にはまります。つまり天の声を聞くという謙虚な気持ちが崩れてしまう。
謙虚さを失うと身近な同志に八つ当たりをして、小さな差異で対立するようになり内部分裂を起こします。その崩れを官僚機構はじっと待っているのだと思います。崩れたところで強権を発動するのです。
官報も含めて官僚機構の内在論理は2つです。虎と蜘蛛です。強権でトラのように襲うやり方とクモのように罠を張って待つやり方の両方を混ぜて使います。
恐怖と不安を煽って変化(動揺)を起こし、精神を崩してから優しい顔で手当てをします。つまりマッチポンプによる統治です。それが体制の維持と営業的利益になります。
怖くて優しい人に人間は依存します。官僚機構への物神崇拝です。ストックホルム症候群と同じで恐怖と愛情は双子の感情です。密室で監禁されて調書を取られると怖い検事が味方に見えてくる現象と似ています。
トラの奇襲とクモの罠、どちらに飲み込まれても恐怖と愛情の胃液に浸かります。危険な調教方法だからこそ権力は常用します。鈴木さんはそのことを熟知していますから「現在進行形」で油断するなと警鐘を鳴らして検察庁の建物に入って行ったのだと思います。
鈴木さんはシンボルの向こう側にある「何か」をいっしょに考えよう、と言っているのだと思うのです。シンボルを乗り超えて行こうと。
鈴木さんはその「何か」を「大地」という表象で一旦受け止めます。「大地」を経由して「何か」に近づこうとしている。大地の上には人が生活し、人が生活する大地の頭上には天がある。大地、人の生活、天の感覚は繋がっている。そこで見つけたのが国民への感謝と畏敬だと思います。
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頻発する地震を考えても「大地」には暴力が潜在します。同時に大地は恵みをもたらします。苦しみも喜びも切り離せないパッケージになっていることを鈴木さんは経験的事実として知っている。だからあれだけ堂々と検察庁に入って行ったのだと思います。苦難も必然だという自信です。
塀の内側と外側に分かれるのは因果応報の違いでたまたま分かれているだけです。どちらの人も此岸にいる生者です。
政治は具体的な生活を扱うので此岸の声は大事です。しかし鈴木さんが言い続けてきた「声なき声を聞く」とは此岸の声と同時に彼岸の声を聞くことなのだと思います。
鈴木さんの体が見えるものと見えないものを繋ぐ蝶番になっているように思います。
今生かされている者も何故自分が生かされているのかを説明することは出来ません。先立った者も何故逝ってしまったのかを根源的に説明など出来ない。病気や自殺は最後に現れた現象の一面であって、それまでどれだけ多くの因縁(複数の原因と条件)が積み重なって来たのかを人知で捉えることは不可能です。ただし誰もが少なからず加害者になっていることは確かだと思います。
鈴木さんはそういう因果を分かっている人だと思います。だから彼を本物だと思うのです。
彼は人を商品として見るのではなく人間として見ます。均一なアトムではなく一人ひとりが多様に変化するモナドとして見ています。だから寛容なのです。
人付き合いを商品交換として捉えず、贈与と返礼の絆として捉えます。バラバラにされていた人々が絆の意味を再発見する。だから彼の闘いに感化されて連帯する気持ちが起きるのだと思います。
返礼は贈与してくれた人にではなく別の人に返すことでぐるぐる回って社会という群れが安定します。それが自然な流れです。鈴木さんから頂いた勇気は隣の人に返します。その人はまた隣の人に返礼します。このような流れが起きているので上から動員をかけなくとも横のネットワークで国民運動が広がって来たのだと思います。
鈴木さんは人間を商品として見てしまうと人間が疎外されることを知っています。人間関係を商品交換するような新自由主義の消費の原理で捉えません。犠牲に対して感謝はしても使い捨てるという発想を忌避します。
(やまりんからのお祝い金がワイロに見えてくるのは検察官の頭がすべての交換関係を商品交換の観念で見る新自由主義に染まりきっているからです。人間を商品化されたアトムとして見る観念に呪縛されているので「贈与と返礼」という社会の相互扶助が理解出来ないのです。検察官には収奪と保護という交換関係と、商品交換という新自由主義の視座しかないのです。)
贈与と返礼の絆をさらに発展させて、人智を超えた「お陰様」を発見した人が鈴木宗男だと思います。
「声なき声」とはお陰様のことです。陰の中の光です。痛みの中の希望です。だから彼は強いのだと思います。
彼の強さ、勇気を贈与された国民は同胞に返礼します。これが社会の側から国を強くしていく道筋だと気づいた人々が寛容で多元的なムーブメントを起こしている。
鈴木宗男や小沢一郎となら一緒に平成維新を闘えると確信が持てる理由です。
良心とは自分の信じる正しさを分かってくれない人が存在することを認めたうえで、それでも決してあきらめない心です。鈴木宗男には良心がある。だから鈴木さんを支持する人は本物だと思います。
負けなければ勝てます。インナーマザー
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