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朝日の辞書に「反省」の文字はないのか?
冤罪事件に加担しておきながら「新聞協会賞」受賞で大はしゃぎ
2010.12.08(Wed) 烏賀陽 弘道
前回、「報道と検察の共存共栄モデル」がリクルート事件以来21年目(端緒の報道から計算すると22年目)で破綻した、という話を書いた。
その破綻をもたらしたのは、「村木厚子・元厚生労働省局長の冤罪・無罪判決事件」だ。
この事件の始まりが「郵便制度不正利用事件」と呼ばれる朝日新聞の調査報道(2008年10月6日付朝刊1面)だったことを忘れてはならない。
これは朝日新聞社自身がそう言っているので参考にしてほしい。これから朝日新聞社に入ろうという若者たちに向けて、「郵便制度の不正利用の実態を特報」と「会社案内2010年版」で誇らしげに謳っている。
冤罪がはっきりしたうえ、検察の証拠偽造まで露呈した今、いくら何でもこんな恥ずかしい「自慢話」は削除しただろうと思ったら、インターネットにまだあった。
■「巨悪」の掃除はいつも微罪逮捕から
「偽の障害者団体を名乗って、一通120円の郵便を8円で出していた連中がいました。何とけしからかんことでしょう」というのがこの「調査報道」のスジだ。私がこの第一報を朝刊で読んだときの感想は「まあ、けしからんことは確かにそうだが、何てチンケな事件だろう。この事件が一面トップとは、朝日の調査報道もセコくなったものだ」だった。
郵便料金のごまかしは最高刑罰金30万円である(郵便法84条)。こんなチンケな法律違反で高級官僚や政治家を逮捕できるわけがない。東京地検特捜部も動かないだろう。リクルート事件では竹下内閣を倒したことを思うと、何とも小粒になったものだ、などなど。
しかし、それでもまだ発展する可能性はあると思った。昔から、こうした「微罪」を突破口にして高級官僚や政治家を逮捕して家宅捜索をかけ、もっと大きな罪(贈収賄が典型)に「登って」いくというのが特捜検察の古典的な捜査手法だったからだ。
田中角栄元首相だって、ロッキード事件で最初に逮捕されたのは「外為法」違反だった。これはれっきとした「微罪逮捕」だし「別件逮捕」だ。しかし、政治家や官僚など「巨悪」を掃除するためなら目をつぶってもらえたのだ。
■朝日は初めからストーリーを読んでいた?
「郵便法違反という罪状はチンケなのに、1面トップで報道している」という事実は、私のように新聞社にいた人間にはピンとくることがいくつかある。
(1)記者はこの事件をすでに検察か警察に「当てて」いる。場合によってはかなり情報交換しているかもしれない。少なくとも捜査当局は事件化に興味を示している。(2)局長クラス以上の高級官僚か、国会議員に「登っていける」感触を、記者も捜査当局も持っている。
後になってから、この感触は正しいと確信した。(1)第一報が流れた2008年10月から、最初の逮捕者が出る(2009年2月)までが短すぎる。新聞が報じてから検察が内偵に着手したとは思えない。(2)障害者団体の役員が民主党の石井一参議院議員の私設秘書だった話が出てきた。
「なぜ偽の福祉団体が不正利用できたのか」
→「厚生労働省の誰かが偽団体であると知りながら証明書を発行した」
→「なぜ官僚がそんなことをしたのか」
→「議員など有力者からの圧力があった」
→「それは誰か」
→「不正利用によって利益を得た人間と関係の深い議員だ」
こう推論していけば、自然に「スジ」は見える。全然難しくない。私にだって机上で描ける「スジ」だ。記者も検察も、同じことを考えたようだ。実は、これが今、流行語になっている「あらかじめ描いたストーリー」なのだ。
つまり、朝日新聞は第一報の段階でこういう「スジ」「ストーリー」を取材ですでに読んでいたと考えるのが自然なのだ。
障害者団体(自称)を調べ上げていく過程で、その中に国会議員の縁者や後援会関係者、元秘書などがいないかどうかチェックするのは、気の利いた記者なら常識だ。それをやれば、少なくとも石井議員が捜査の射程範囲に入ることは、すぐに分かる。
そうやって「入り口はチンケな罪状だが、国会議員逮捕にもいく可能性のある事件だ」という感触を持ったからこそ、にぎにぎしく1面トップにし たのだ。社会部長が「この事件は後で大きくなるから1面でいこう」と整理部長や編集局長に根回ししたはずだ。そうでなければ、特ダネであっても、社会面トップでもいいはずなのだ。
■「情報のハウリング現象」で検察と報道が興奮状態に
検察が国会議員を聴取すれば、それだけでニュースになる。もしかしたら、いつ石井議員が聴取されるか、24時間態勢で記者がベタ張り(行動監視)していたかもしれない。
私も、リクルート事件で藤波孝生・元官房長官を毎日監視していた。「郵便制度不正利用事件」でも、かなり早い段階から専従の取材班を編成して、日々の事件取材から外していたと思う。
朝日がそれだけ張り切っていたということは、検察も、事件が国会議員にまで波及することを見越して捜査態勢を敷いたのかもしれない(国会議員班、偽障害者団体班、官僚班など)。地方検察庁から応援の検事を集めたかもしれない。
こうして、検察と朝日新聞は一緒に「興奮状態」に陥ったのではないか。なにせ冷静に検証できる他者のいない場面での判断である。しかも、建前上は「情報を共有している」とは言えない秘密の仲である。密室と同じ圧力の高い状態で、断片的で不確実な情報が飛び交う。
「検察がこう言っているから大丈夫だ」「朝日がこう言っているから大丈夫だ」などと、お互いがお互いを情報源として依存、どんどん高揚・興奮するトランス状態になり、正常な判断力を失ったのではないか。
ノイズがマイクとスピーカーをぐるぐる回るうちに「キーン」という不快なノイズが出る現象を「ハウリング」という。それと同じ「情報のハウリング現象」が起きたのではないか。
すべてが崩壊した後になって、「えっ!? それ、朝日が大丈夫だって言っていた情報でしょ?」「うそ! 検察が大丈夫だって言ったじゃん!」と分かった、間抜けな「幻の相互依存」があったかもしれない。特捜部長や副部長が「あれ? 裏付け証拠があったはずなのに、ない。あれは新聞記事だったか?」 と混乱した部分があったのかもしれない。
捜査や取材が進んでいる段階では、「国会議員や高級官僚に事件が波及する」ことは新聞や検察の「願望」であって「現実」かどうか分からない。ところが「1面トップで報道した特ダネだから」「大きな捜査態勢を組んだ事件だから」と自分で自分にプレッシャーをかける心理に陥ると、「願望」と「現実」の 区別が曖昧になる。
そして、現実を願望に合わせようとする。情報を否定的に見るか肯定的に見るかという判断の時に「こうだったらいいのにな」という方向にバイアスがかかる。
要は、判断が自分に甘くなるのだ。自分に好意的な材料に耳が傾いてしまうのだ。耳元で「検察もこう言っている」「朝日もこう言っている」などとささやかれると、ひとたまりもない。
(村木局長はじめ官僚に圧力をかけたと検察が見立てた)石井議員のアリバイを検察が調べていなかった、などという、絶句もののウルトラ間抜けなミスを見ると、何かそういう小さな誤解が積もり重なって最悪のカタストロフに及んだのではないか、とつい考えてしまう。
■「願望」に引きずられていく記者の判断
なぜこんな誤解が起きたのか。元特捜部検事の郷原信郎弁護士が「マスコミ市民」2010年12月号の対談で、興味深い見解を述べている。
(1)郵便事業が民営化され、大量に発送される郵便のディスカウントが必要なのに、郵便法が硬直化して現状に合わない。
(2)その法律と現状のギャップを埋めるため、偽障害者団体の証明書発行は常態化していた。
(3)そうした新しい時代の経済状況を検察は理解していなかった。
「(大阪地検特捜部は)『そんなことを軽々に郵便事業会社側がやるわけがない、まして厚生労働省の担当の課長 や係長が簡単に不正な証明書などを出すわけがない、これは異常な話で、特別な取り計らいがあるのだ、つまり有力な政治家が口利きしたからそうなっているのだ』という『古典的な政治家関与ストーリー』をつくり上げてしまったのです」(郷原弁護士、前掲書より)
この見解は、記者の私も首肯できる。こういう「ストーリー」を検察が描いた場合、記者は「なるほど、郵便法という法律があるのだな。それに違反していることは動かしがたい事実だ。法律の専門家である検察が言っている」と、まず自分の取材の方向性が正しいことを確認する。
取材プロジェクトのゴーをもらう際、上司は「検察(警察)はどう言ってる?」と必ず聞いてくる。ここで「検察も事件にするつもりです」という一言は絶大な力を持つ。今後ニュースが飛び込んで来たときも、無理を聞いて紙面を都合してもらえる。
記者には「調査報道(あるいは1面トップで報じた事件)が国会議員や高級官僚に波及してほしい」=「事件が大きくなって自分の手柄も大きくなってほしい」という「願望のバイアス」がかかっている。検察が「これは政治家が関与しないと起きないような特別な取り計らいだ」と見ているのを知れば、「やった! 検察も同じ考えだ!」と小躍りして喜ぶはずだ。
だが、冷静になってよく考えれば分かるのだが、調査報道をした新聞社も、検察も「事件が大きくなれば自分の手柄も大きくなる」という点で利益が一致しているのだ。
現実は「郵便法という法律が民営化した郵便事業の実態から乖離している」であっても、その選択肢は次点以下に置かれる。判断が「願望」に引きずられてしまうのだ。
記者クラブを肯定する言い訳によく新聞社が言う「捜査機関のチェック」をするのなら「実態に合わない郵便法こそ問題ではないのか」「その郵便法で被疑者を逮捕する検察の捜査には無理があるのではないか」という記事を書くのが本来の仕事だ。が、もともと検察と利益を同じくする新聞には、そんな発想は生まれない。
彼らは「癒着している」つもりなどない(むしろ逆)。が、組織として元々利益が一致しているので、どうしようもなく発想が同質化する。
そうやって、実際には「厚生労働省のノンキャリア係長が雑用として処理するほど常態化した郵便法違反」が、「局長も関与しているはずだ」「国会議員も関与しているはずだ」と、どんどん現実を逸脱して膨らんでしまう。これが検察と報道の「暴走」の実態だったのではないか。
こうして検察と新聞が「情報のキャッチボール」をするうちに、「手柄を取りたい」というお互いのバイアスが現実認識を二重三重に歪めていく。利益を共にしている新聞が、検察をチェックできるわけがない。その集積としての結果の醜悪さは、もうご存じの通りだ。
■新聞協会賞を受賞して大はしゃぎ
朝日新聞社は、検察の「村木局長冤罪事件」に加担した経緯と責任を検証しなくてはならない。内部調査班を編成し、当時の記者たちを取材しなくてはならない。検証結果の公開は必須だ。地検担当デスク、社会部長、編集局長など、責任者を処分することも必要だろう。
加担したと言われるのはイヤだろう。が、少なくとも、会社案内で認めているように、タレ込み電話を受けて記事化し、事件を「掘り起こした」のは朝日新聞ではないか。
それが「フロッピーディスクの証拠偽造事件をすっぱ抜いた」「その記事が新聞協会賞を受賞した」とか大はしゃぎの狂騒で、うやむやにされている。全く、どうしようもなく下らない話だ。
朝日新聞が「新聞協会賞を受賞しました」と1面で報じていたのには呆れた。ふだんは新聞協会賞など社会面ベタからせいぜい3段だ。一体、なぜこんなにはしゃいでいるのか。「これで責任をごまかせた」と喜んでいるようで、みっともない。
こんなのは「マッチポンプ」ですらない。マッチで放火してポンプで消すならマッチポンプだが、朝日が付けた火を消したポンプは、検察の取り調べに屈服しなかった村木厚子氏であり、その弁護団なのだ。朝日は「無罪でよかったですね」という記事を載せてごまかしている。
そもそも「新聞協会賞」を出す「日本新聞協会」は、記者クラブ系メディアの最大勢力である新聞の業界団体なのだ。朝日に限らず、どの社も「報道と 検察の共存共栄モデル」でさんざん利益を享受している。一例を挙げれば、検察OBでもある緒方重威・元公安調査庁長官が逮捕された朝鮮総連ビル詐欺事件は、2007 年6月の毎日新聞の特報が端緒だった。
そんな、みんな同じ手口でやってきた顔ぶれの並ぶ新聞協会が、「いやあ、よくやってくれた朝日さん。これでボクたちの過去の責任は不問にできる」と喜んでいることなど、見え見えではないか。そんな記者クラブ系利益団体が出す賞の、どこがそんなにうれしいのだ。
検察は、まだ特捜部の解体や取り調べの可視化など、本格的な改革に着手する可能性がある。しかし、検察と共存共栄関係にあった新聞をはじめとする記者クラブ系メディアの暴走は改善の「匂い」すらしない。いい加減にしてほしい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5013
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