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「死刑制度」を私たちはどう考えるのか (森達也)
http://www.asyura2.com/10/senkyo101/msg/558.html
投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 12 月 08 日 12:07:24: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.magazine9.jp/interv/mori/mori.php


死刑までも決める裁判員制度

編集部
 今年の1月に出版されたご著書『死刑』(朝日出版社)が反響を呼んでいますね。「死刑制度や死刑執行をどう考えるか」という課題は、実は9条とも関係があるのでは、と私は思っていますので、今回は、「死刑」という今の日本では合法の制度について、森さんに伺っていきたいと思います。
 まず、今の現状として、近年は死刑の判決も執行も増加傾向にあって、鳩山法務大臣が就任してからの8カ月間で、すでに10人の死刑囚が刑を執行されています。そして、2009年から裁判員制度が始動します。この制度では、一般の市民が「裁判員」として、死刑判決にもかかわっていくことになるわけですが、森さんはこれについて、どうお考えですか。


 死刑制度や裁判員制度については、いろいろと知っておくべきことがあると思います。

 まず一つは、裁判員や陪審員などの制度で国民が死刑判決に関与する国は、世界の中でも極めてまれであるということ。そもそも死刑制度のある国自体がもうかなり少ないのですが。もちろんだから駄目ということではない。死刑は国民の合意のもとに行われているわけですから、判決に関与することは悪いことではないと僕は思います。本当なら執行にも参加すべきです。でもその覚悟が本当にあるのかどうか、冤罪の場合は一生の重荷を背負います。何よりもこの事実が周知されていないことが不安です。

編集部
 よく裁判員制度の引き合いに出されるのがアメリカの陪審員制度ですが、陪審員が基本的には「有罪か無罪か」を判断するだけなのに対して(※)、日本の裁判員は「死刑か無期懲役か、それとも懲役何年か」という、量刑の判断をも求められるんですね。 ※アメリカの一部の州には、死刑判決に関してのみ陪審員の全員一致を絶対条件とする規定を設けているケースがある。


 そのとおりです。裁判員制度導入のスローガンとして「日本は世界の潮流に遅れてるからちゃんとしましょう」みたいな感じのことが言われていましたけど、実はこの制度は、世界の潮流とは違うところにある。それをまずは知らないと。もちろん潮流に乗れと主張するつもりはないです。その覚悟が本当にあるならそうすべきです。一生のうちに裁判員に選ばれる確率は70人に一人と試算されています。決して低い数字ではない。
 それから、根本的なことですが、裁判員は選挙人名簿から無作為に抽出するといいますよね。無作為に選んでおいて、そこに守秘義務と出廷義務という、2つの義務事項を負わせるわけです。これは憲法違反です。義務を負わせるのであれば、任意にすべきでしょう。
 さらに言えば、事前の申告で「死刑制度に反対する」という人は選ばれない、という噂もあります。もし本当なら、思想信条の侵害でもありますね。

編集部
 亀井静香議員が代表を務める「死刑廃止を推進する議員連盟」は、厳罰化と死刑執行の大量化が進む現状で裁判員制度を導入することは、「年間20人〜30人の死刑執行が平然と行われる社会を副産物として生み出すことが予想される」とも指摘しています。


 たしかに、それによって死刑判決が増える可能性はありますよね。
 一方で、裁判員制度を導入することで、「逆に死刑判決が減るんじゃないか」という意見もあります。つまり、それまではメディアの二次情報に触れるだけで、「こんなやつ殺されて当然」と言っていた人も、いざ裁判員に選ばれて目の前で被告人の姿を見れば、「さすがにそれはちょっと」と思うんじゃないか、と。

 でも、そうなると、被告人の見てくれで量刑がだいぶ変わるんじゃないか、という話にもなります。僕みたいなふてぶてしい外見の男は死刑にされちゃうし、いかにもおどおどした感じの善良そうな人は無期懲役になるとかね。ボーダーラインが、とても心情的なものになってしまうかもしれない。


死刑制度に、犯罪抑止効果はあるのか

編集部
 死刑の必要性が論じられるときに、その一番の根拠とされるのはやはり犯罪抑止効果ですよね。しかし、最近の事件を見ていると、殺人事件の容疑者が動機として「死刑になりたかった」と話すケースがあるなど、「死刑制度によって犯罪が抑止できる」という論理にはまったく説得力がないのでは、と思ってしまいます。


 アメリカでも、死刑が廃止されている州に住んでいる人が、わざわざ「死刑になりたいから」と、死刑を存置している州に行って人を殺した、という例があって問題になったことがあります。もちろん、犯人の言葉を額面どおりに受け取っていいかどうか、という問題はあります。彼らにはどこかで「悪役を演じよう」という部分があるのかもしれないし、自らの行為を整合化しようとの意識も働くでしょう。人の心ってそんなに簡単なものじゃないですからね。
 それは別にしても、死刑制度による犯罪抑止効果は疑問視されていることは確かです。スウェーデンやカナダでは、死刑廃止後に凶悪犯罪件数が減ったという統計もあります。アメリカのニュージャージー州も昨年末、知事が「犯罪抑止に死刑は役立っていない」ことを言明して、廃止に踏み切りました。

編集部
 統計的に見ても、死刑制度に犯罪抑止の効果がある、とはやはり言えないわけですね。


 死刑廃止後に犯罪が増えたとの統計はほとんどないようです。先日、ある死刑制度を考えるシンポジウムに出席したんですが、その主催者だった在日イタリア人の方が、最後にこんなことを言っていました。「僕には日本で生まれた、まだ幼い子どもがいます。その子に、僕は“どんなことがあっても人を殺しちゃいけないよ”と教えたい。でも、この国ではそう言うことができません。だって、国が人を殺しているから」。
 とてもシンプルな言葉だけど、そのとおりだなと思いました。子どもに「人を殺しちゃ駄目だ」と言って、子どもに「でもお父さん、あの人は死刑になったよ、殺されたよ」と言われたら、「あの人は犯罪者だから別だよ」とは言えない。

編集部
 「人を殺してもいい場合がある」ということを、国が率先して示しているわけですからね。


 子どものころから「死刑が執行されました」といったニュースに接していれば、その子は「悪いことをしたら死刑になるんだな」と思うでしょう。それはつまり、言い換えれば「悪いやつだったら死刑にしてもいいんだ」ということですよね。これは亀井静香さんがよく言っていることですが、死刑があることによって、もしかしたら逆に人の命が軽視されるようになることだってあるんじゃないでしょうか?


人が死ぬことを願う人生なんて、地獄でしかない

編集部
 ただ、一般の人たちが死刑制度を支持する理由としては、犯罪抑止よりも「被害者感情」の問題が大きいような気がします。


 たしかに、本音はそっちでしょうね。被害者がかわいそうじゃないか、やっつけちゃえという気持ちが強い。

 ただ、ずっと考えていたんですけど…たとえば僕の友人や家族が犯罪被害者遺族になったとして、その人が「犯人を絶対死刑にしてくれ」と言って、毎日それを願いながら生きていくとしますよね。そうしたら、その人が自分に近い人間であればあるほど、僕は「そんな人生でいいの?」って思ってしまうと思うんです。

編集部
 一緒になって「そうだ、死刑にするべきだ」とは言わない、と。


 もちろん想像するしかないけれど、海に行こうとか山に行こうとか、「気分を変えようよ」と言うんじゃないかな。だって、人が死ぬことをひたすら願いながら生きる人生なんて辛すぎます。その辛さを僕は共有できない。なんとか軽減してほしいと思う。そんな人生を、友人や家族に送ってほしくはない。

 でもその被害者遺族が自分の知らない人だったら、気軽に「そうだそうだ、死刑だ」と言ってしまえるかもしれない。それが今の世相ですよね。被害者遺族の本当の辛さを共有しようとはしないで、ただ応報感情だけを共有している。そういうことじゃないかと思います。

編集部
 「遺族がかわいそうだ、犯人を死刑に」と短絡的に言ってしまうことが、果たして本当に「被害者の悲しみを共有する」ことなのか…。そこのところを、もっと考えてみる必要があるのでしょうね。


常に多数派に身を置こうとする、日本人の特異性

編集部
 最初に「世界の潮流」という話が出ましたが、世界的に見れば、死刑制度を存置している国はどんどん減っていますよね。


 そうです。多分、これからももっと減っていくでしょうね。存置国であるアメリカでも、テキサス州はモラトリアム(執行停止)に入ったし、ニュージャージー州も去年の12月に廃止しました。中国でも、桁は全然違うけれども執行された数自体はずいぶん減っている。増えているのは日本だけだと言ってもいい。日本の特異性が現れているという気がしますね。

編集部
 特異性とは、どういったことでしょう?


 一言にしちゃうと、日本人の組織への従属度の強さみたいなことかな。

 日本人って、個が弱いというか集団に対しての帰属力が強いでしょう。東アジアはわりとみんなそうだけど、その中でも日本は突出している気がする。だからこそ戦後の高度経済成長もあった。つまり、かつての皇軍兵士が企業戦士になって、滅私奉公で働いて、奇跡的な成長をなしとげたわけでしょう。
 それはポジティブな面だけど、違う方向へ行ったときにはとても怖いことになる。ひとつは仮想敵の論理。群れるリビドーが高いということは、不安や恐怖が強いということでもあるのです。その帰結として目に見える敵が必要になる。いなければ無自覚に作ってしまう。
 もうひとつは、自分たちの集団を「善」の領域に置くために、絶対的な「悪」の存在を求めてしまう傾向が強くなること。
 それと信仰心が本来はとても強いのに具体的な体系が薄いから、死を哲学的に考察する機会をあまり持たないということも、死刑制度から目を逸らしてしまう理由のひとつかもしれないですね。その帰結として、善悪二元論の構造の中に、死刑制度がはめ込まれている。自分たちの平穏な生活を守るために、強い統治権力が「悪い」やつをどんどんやっつけてくれるという信仰にすがりたい。そのためには死刑制度が必要だ、ということだと思います。

編集部
 だからこそ、国民の8割ともいわれる人たちが死刑制度を支持している、と…。政府もよく「民意が支持しているから」死刑制度は存続する必要がある、といった言い方をします。しかし、実はヨーロッパの国などでも、世論は死刑制度支持が多かったけれど、政権が廃止を決めたというところが多いんだそうですね。


 フランスなどが典型ですが、存置を望む声は高かったけれど、政府がそこを押し切って廃止に踏み切った。現状では、存置派と廃止派のパーセンテージは逆転しているそうです。

 だけど、日本はそういうふうに押し切れない。ポピュリズムが強いというのも、日本の特徴だと思います。政治も司法もメディアも、民意を裏切らない、裏切れないんです。それをやっちゃうと政治家は支持が得られなくなるし、メディアは数字が下がるから。だから、常に多数派に身を置こうとする。少数派になるのが怖いのが日本人なんです。

編集部
 しかも、最近はどんどんその傾向が強くなっているような気がします。「KY(空気を読めない)」という言葉が流行したり…。


 「空気を読む」こと自体は、大事なんですよね。人間以外でも、群れで生きる動物はみんな、1匹が逃げたら群れ全体がそっちへ逃げる。誰かが逃げたときにぼーっと立ってたら天敵に食われちゃうわけですから。人間にもそういう、「空気を読んで行動する」本能はあるんじゃないかと思います。

 ただ、空気を読むことイコール従属する、じゃないんです。今は周りに天敵がいるわけじゃないんだし、「俺は空気は読んでるけど、その上でこっちへ行くよ」という人がいたっていいはずです。ところが、日本人はそれがなかなかできない。空気を読むことと、多数派に従属することがイコールになってしまっているんですね。


作られる凶悪犯罪増加のイメージ

編集部
 そうした「多数派になりたがる」傾向が強まっているのは、やはり9.11テロ事件やオウム真理教によるサリン事件などをきっかけに、犯罪やテロに対する不安、危機管理の意識が高まったことと関係あるのでしょうか?


 そうでしょうね。どこかでみんな怖いから、不安だから多数派に身を置きたいという気持ちがあるんだと思います。
 ただ、実際には、去年の日本国内の殺人事件認知件数は、戦後最低だったって知ってますか。

編集部
 最低ですか? これだけ「犯罪が急増している」と言われているのに?


 一番多かったのは1954年(昭和29年)で、3081件だったかな。「いい時代だった」と言われている、映画『三丁目の夕日』の時代です(笑)。それが昨年は1199件で、戦後最低。人口の増加を考えればほぼ四分の一に減少しています。でも、マスコミはそのことをどこも報道しないんですよね。

編集部
 「殺人事件が減っている」という、いわば「いい話」のはずなのに、なぜなんでしょう? それどころか、政治家も平気で、「これだけ犯罪が増えている」という言い方をするし、マスコミもそれをそのまま報道する。


 ねえ。戦後最低というフレーズはメディアは大好きなはずなのに。やっぱり治安が悪いとみんなが思っているほうが都合がいいんだろうとしか思えません。警察はそのほうが予算の額が増えるし、天下り先としてのセキュリティ業界も大盛況になる。政治家は政治家で、国民には「治安が悪い」と思ってもらっていたほうが統治しやすい。ナチスドイツなんかもそうだったけど、不安や恐怖は管理や統治のうえで最大の潤滑油です。特に改憲したい保守派の政治家などにとっては、危機管理意識の高揚は望むところでしょうね。
 そしてメディアは市場原理。危ない、怖いという報道をしたほうが、数字が上がるからです。

編集部
 それは、読者・視聴者のほうがそういった報道を求めているからなのか、それともメディアの報道によって、そういった民意がつくられているのか…。


 メディアと民意というのは相互関係ですから、どちらが先とも言いにくいけれど、でもやっぱり、一般の人たちが知らない事実を、メディアの人たちは知っているわけです。そう思うと、やっぱりメディアが先ですよね。

編集部
 冒頭で私、「9条と死刑」の関係について言いましたが、以前、このインタビューで憲法史がご専門の古関影一さんにお話をお聞きした際、次のようにおっしゃっていたのがとても印象的だったんですね。
 「(憲法9条は)武力によって人の命を絶たないということ、すなわち人の命を大事にするということです。私たちが日常生活の中で、“悪いことをしたやつは殺せばいい、監獄に入れればいい”と簡単に言っているようであれば、それはほとんど戦争の論理と変わらない。“あの国は悪い国だから攻めたっていいんだ”ということですよね」。
 それを聞いて、ほんとうにそうだなあ、と思ったのです。しかし現実の日本社会は、武力での解決を否定する9条を憲法に持ちながら、それとはま逆のこと、「死刑で解決せよ」という体制があり民意がある。やはりここにも「9条のねじれ」があるのだなあ、と感じていますし、森さんのお話を聞いて、ますますその思いを強くしました。
 

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コメント
 
01. 2010年12月08日 12:47:30: 85C1rtTzyY

凶悪殺人犯を死刑にするのは正しい選択だ。

青少年に対しても、凶悪殺人を起こせば死刑になるのだということを事実をもって教えることができるわけだしね。

死刑はやはり怖い。
だから凶悪殺人を踏みとどまるケースもあるのだ。

唯一問題となるのは冤罪だ。
これについては、状況証拠だけで本人が一貫して否認している場合は死刑の適用をしないなどの規制があってもいい。


02. 2010年12月08日 13:07:39: jfFAZGb6iI
「やっぱり治安が悪いとみんなが思っているほうが都合がいいんだろうとしか思えません。警察はそのほうが予算の額が増えるし、天下り先としてのセキュリティ業界も大盛況になる。政治家は政治家で、国民には「治安が悪い」と思ってもらっていたほうが統治しやすい。ナチスドイツなんかもそうだったけど、不安や恐怖は管理や統治のうえで最大の潤滑油です。特に改憲したい保守派の政治家などにとっては、危機管理意識の高揚は望むところでしょうね。
 そしてメディアは市場原理。危ない、怖いという報道をしたほうが、数字が上がるからです。」

とんでもないことです。死刑は廃止でいいです。


03. 2010年12月08日 13:22:56: HQ3prt7jX2
この議論、当事者たちは公平を装っているけど、死刑廃止ありきとしか聞こえません。日本人の従属性を批判している当人が、外国がどうだとかの理論を持ち出している。刑罰を決めるのに、外国の論理をそのまま踏襲するのであれば、それこそ従属でしょう。こういった輩は日本人の顔をした外国人のようなもの。日本の制度が完璧でないことは当然だし、それはそのまま外国の制度にも当てはまる。外国の現状をことさら大きく取り上げ、日本の被害者感情を卑下していることに気づいていないだろう。日本には死刑があり、イスラムに鞭打ちがあっても、それはそれで尊重されるべき。また、欧米で死刑廃止といっても、それこそ全国民が賛成しているはずがない。確か、英国人女性英会話教師が日本で殺害された際には、英国人の両親は死刑を求めていた。そういった、少数派であっても死刑廃止で抹殺されている欧米人の気持ちも忖度すべきだろう。まるで欧米の全国民が廃止賛成が如くの議論。本当にどうしようもない連中です。

04. 2010年12月08日 14:49:04: bbN5U6UIQo
いいではないか、死刑制度批判で、

外国がどうこうって、この投稿の論議を批判した気になっている人もいるが、
自分がどう思うかで、議論すべきだ。

この「森」という人が言っているように、
「死刑判決を下し、それを執行する覚悟が、あなたにはあるのですか?」
いまの日本は、多数決で「死刑」にできるのですよ。

死刑存続世論は、マスコミなどによって、作られています。

菅家さんとか例に枚挙にいとまがないくらい冤罪があります。
アメリカのテキサスは、死刑の多い州ですが、冤罪も多く、
無実の罪で、かなりの人が殺されています。
日本も似たようなものですね。
死刑どうこういう前に、冤罪防止をしないと、ダメでしょう。

死刑を残しておきたいのは、ほんとは、権力です。
一番残したいのは、「国家反逆罪」で、権力に都合のよくない人間を
抹殺したいためですよ。
自衛隊は、軍法会議がなくて、とても欲しがってます。
国にさからう連中、軍隊で命令をきかない連中、
それを「死刑」で脅かして、逆らえないようにする。
それが、一番の目的です。
「破防法」の極刑は、「死刑」です。

死刑があっても、凶悪犯罪がなくならないのは、
そういう事案には、「死刑」は脅しにならないから。

日本の問題は、刑罰の「罰」ばかりで、更生プログラムが乏しいこと。
夢や希望のある国には、凶悪犯罪は少ないものだ。

死刑だけでなく、もっと別の視点での論議が必要ではないか?


05. 2010年12月08日 15:54:57: HQ3prt7jX2
03です。

マスコミが死刑制度支持とは奇怪な。

これまであらゆるメディア、それは大小を問わず、
死刑制度を肯定するような記事を目にしたことがありません。

自らの都合のために、あれほど執拗に小沢一郎氏を世論調査で取り上げても、
死刑制度に対するものは一切、調査をしたことがありません。
出る数字は政府のものばかりで、死刑賛成多数の世論をひた隠しにします。
政治ではなにかと世論をふりかざすマスコミは、どこへ行ったのやら。

しかも、死刑反対の意見ばかり取り上げます。
凶悪事件の遺族の死刑要求を除いて、それが民間団体だったり、
死刑廃止議連だったりするわけですが、
死刑推進、賛成の記事などどこにあるでしょうか。
あるなら教えて欲しい。
読売、朝日、日経、産経、赤旗、ワイドショーのどこにあるのか?
皆、揃いも揃って死刑反対ばかりです。

しかもそれは、大手メディアばかりではなく、
こうしたフリーを自認する輩まで大手メディアの尻を追っかけている始末。
本来ならこうした大手メディアを非難する立場までが口を揃えている。
いいですか、この議論のどこに日本の大手メディアを批判するような箇所があるか。まったくないではありませんか。

私は死刑擁護の立場ですが、もちろん冤罪など問題があり、
改善することはやぶさかではありません。
国民が賛成するなら廃止もあるでしょう。
しかし、いま廃止ありきで上から下までメディアが一色に染まっている、
この現状から話を進めるのは危険この上なく、
これこそが従属性の最たるものです。


06. 2010年12月08日 16:16:01: geG4yLuzQs
>>。ヨ殺人事件が減っている」という、いわば「いい話」のはずなのに、なぜなんでしょう? それどころか、政治家も平気で、「これだけ犯罪が増えている」という言い方をするし、マスコミもそれをそのまま報道する。

犯罪は減っているが、それに反比例して官僚組織が行き詰っている、そういうことだと思う。破れかぶれというか。国民はいい迷惑だが。


07. 2010年12月08日 16:52:04: zlNXkDRb5g
裏金にどっぶり染まった日本の司法。そこで粛々と行われる秘密の儀式。それが日本の死刑制度。裁判員裁判で死刑判決を出し、それが冤罪と判明。裁判員が責任を感じて自殺。こういうショッキングなことでも起きない限り、この国の人々は死刑制度と正面から向き合うことはないと思う。


08. 2010年12月08日 17:10:19: HQ3prt7jX2
03.05です。

ついでに死刑廃止のかたに聞きたいのですが、
具体的な凶悪犯とされる
オウムの麻原さん、
池田小学校の宅間さん(故人)
秋葉原の加藤さん などなど
胸を張って「死刑にしてはいけない」「天寿をまっとうすべき」だと、
この場で説明して欲しいのです。
終身刑なら彼らの一生に莫大な税金を投入し、生活の面倒をみるわけです。
冤罪の場合を持ち出して廃止を呼びかけるなら、
当然、その対極たる具体的な凶悪犯の扱いにも、説得力ある理由があってしかるべきでしょう。
廃止のかたからは、そういった議論が聞こえてきませんでした。
そこを逃げずに主張されるなら瞠目に値するものとして傾聴いたします。


09. 2010年12月08日 17:37:05: 1vh2fQcCEg
戦後最低を近年が更新しているなら
現制度、現報道が効果を挙げているという事じゃないか?

しかし、冤罪だなんだと言うのは刑罰の是非の段階だ。
人間が人間を罰するのは許されるか否か
死刑制度に絡めるのは論理のすり替えに過ぎない


10. 2010年12月08日 19:04:53: UbYteV9DuM
8さん。貴方自身を想定して考えましょう。

仮に貴方が凶悪犯罪を起こした時(ありえないと思うでしょうが)、私は貴方の中にある0.001%の可能性(愛、善意、人間性、、、何でもいいです)を信じると同時に、全く関係のない私でも、あなたの罪に対して0.001%の責任を感じます。(人は影響し合って時代の空気をつくっていると思います)

「0.001%の可能性」は、凶悪犯に良い人間になって欲しいなんて綺麗事ではなく、厳しく謙虚に罪に向き合わせ(処罰されることより苦しいのでは)、答えを出させ二度と同じ様な事件が起きない様に、答えを社会に還元させる為です。

ただ、私は完全な廃止論者でもありません。人任せの隠蔽的な現行の死刑制度だったら、完全報復制度や報復代行制度の方がマシなのではと思っています。報復なので絞首や毒殺じゃ駄目です。同じ目に遭わせます。
現場の刑務官の心理的負担は大きいようです。
あなたの様な正義感の強い人間は誇りを持って麻原や加藤を殺しに行くかもしれません。
ただその先、返り血を浴びたあなた(または被害者)に何があるでしょうか?想像してみましょう。報復することの虚しさに気づくと思います。


11. 2010年12月08日 19:44:03: HQ3prt7jX2
10様(08です)

小生は貴殿のような中立論者に伺ったわけではありません。
廃止論者にお願いしたのです。

もっとも、廃止論者に伺ったところで、
「彼らをどうするか」という答えではなく、
小生への攻撃になることはある程度予想できました。
廃止論者はいつもこの視点をそらします。
賛成する多くの国民へ彼らをどうするか、誰も語ってはくれません。
個人攻撃ではなく「彼らをどうするか?」を教えてください。
終身刑でもいい、釈放でも、教育でも構いません。
凶悪犯を具体的にどうするか、まずはそこからはじめましょう。

ちなみに、小生は宅間さん、加藤さんには同情的です。
宅間さん処刑には相当なショックを受けました。あっという間でしたし。
この事件で論争し、宅間さんを擁護して友人と絶交したこともあります。
(行為に対してで、死刑に対してではありません)
少なくとも両名の行為に共感できる部分があったわけです。
ただ、だからといって死刑を阻止できるだけの大衆へ説得力のある言葉がありません。
直接の被害者を説き伏せるだけの言葉がなければ、
死刑廃止は被害者を冒涜するものではないでしょうか。


12. 2010年12月08日 20:22:06: tXeRGquu5w
死刑制度と憲法9条は全然関係ないだろう。

死刑制度は
「悪いことをしたやつは殺せばいい、監獄に入れればいい」
と簡単に言っているのではない。

「問答無用で死刑、または監獄行き」でもない。

慎重に裁判することが前提である。

その結果有罪判決が出たら、刑罰を適用することになる訳だが。

刑罰を適用することがダメだとでも言うのか?

そうじゃないよな。

死刑廃止論は「凶悪犯罪者が裁判で有罪とみなされても刑罰を適用してはダメ」ということではないだろ。
「凶悪犯罪者が死なない程度に手加減するなら刑罰OK」だよな。

9条は「国際紛争を武力で解決するのはダメだ」ということだが。
「紛争相手が死なない程度に手加減するなら武力行使OK」ではない。

すなわち、ここにまやかしが存在する。

「死刑廃止は9条の理念に適っている」とかいうのは、牽強付会としか言い様がない。

マガジン9条の記事は・・・。

社民党が死刑廃止派だからね。

マガジン9条が社民党の別働隊として死刑廃止論を宣伝してるだけだろう。


13. 日高見連邦共和国 2010年12月08日 22:53:00: ZtjAE5Qu8buIw : GpIUsAuiLs
罪を犯して後悔や反省もなく、別に殺されても構わないよ、という犯罪者が居たとしたら、オラは彼には安易な死ではなく、辛く長く厳しい”生”を罰として与えたい。

罪を犯して心から反省し、死んでお詫びをしたいと願う犯罪者が居たとしたら、オラはその人に死んでもらいたくはない。

オラが死刑制度に反対なのは、上のふたつの単純な理由だけだ。


14. 2010年12月08日 23:24:09: u7zlijrr4s
>>そうした「多数派になりたがる」傾向が強まっているのは、やはり9.11テロ事件やオウム真理教によるサリン事件などをきっかけに、犯罪やテロに対する不安、危機管理の意識が高まったことと関係あるのでしょうか?

オウムの事件が本質的に政治的テロで政府が打撃を受けそれがきっかけで日本が経済的にも崩壊を始めた、というのは疑いがない。平和憲法との整合性を保つためにオウム事件を単なる狂信者集団の事件に矮小化して、テロ犯罪とそうでない犯罪との区別を付けなかったことも今に連なる問題の一つ。死刑になればそれで終わりと考えがちだが、臭いものに蓋という処置が後に社会的な後悔を招かないかについては、一考する余地がある。


15. 2010年12月09日 08:35:09: 1vh2fQcCEg
>>13
人間とは舌先三寸。二枚舌な生き物だから
自分はやった内容だけで判断するな

16. 2010年12月09日 09:01:37: SOrFV1bxHg
>その主催者だった在日イタリア人の方が、最後にこんなことを言っていました。「僕には日本で生まれた、まだ幼い子どもがいます。その子に、僕は“どんなことがあっても人を殺しちゃいけないよ”と教えたい。でも、この国ではそう言うことができません。だって、国が人を殺しているから」。

これ、おかしく無いかい。
イタリアは、イラク戦争に参加しているだろ。戦争こそが罪の無い人間を殺す行為である。


17. 2010年12月09日 11:35:10: jva9YvyOkI
10ですが現行の死刑制度は廃止すべきと考えています。完全な廃止論者ではないと書きましたが、それはリアリティーのある報復的な制度に変えるなら良しという事です。
しかし、現実的にあり得ない事ですね。
敢えて極端な制度を持ち出したのは、死刑制度是非以前に、隠されて現実感のない制度、命に向き合わないで済む社会自体が問題だと捉えているからです。

また、命の現実感がある報復制度になれば、間違いなく日本人は死刑を止めるのでは、と「その先」を感じています。侍は返り血を浴びますが、死刑やピストル(肉の感触がない)は無自覚に人の命を奪います。
私は日本の死刑制度が尊重されるべき制度だと思いません。亀井さん等保守的な立場からの廃止論者もいます。

ただ、仇討ちや報復、報復感情も伝統的なものでありますね。私はそれを否定しません。(不健全な死刑制度よりマシ)
しかし一方で人間の可能性を信じています。数少ないでしょうが、遺族で加害者の死刑に反対したり、赦しの道へ進んでる方々もいます。勿論赦しを強要する権利はないし、報復感情も死刑を望む声も当然理解されるべきです。ただ、少数派の中の少数派の声も尊重されるべきです。

国家が「この世には条件(極悪人等)付きで命を奪っていい人間がいる」と立場を取ることは、世の中に殺伐化をもたらします。客観的に滅茶苦茶な動機であっても、犯人にとって「悪ければ殺していい」という選択肢を「意図せずに」与えてることになるのです。(宗教的に悪いとか)
飛躍した理論に感じるかも知れませんが、感性で時代の空気を感じれば理解できると思います。

サヨク的な形式や概念(憲法や人権)を盾にした死刑廃止論が弱く無理があるのは事実だと思いますし、被害者遺族を蔑ろにしていることも同感です。また、凶悪犯の扱いに対する具体策が聞こえない、、事実でしょう。

私は終身刑で徹底的に閉じ込め罪に向き合わせ、時が来れば遺族と向かい合わせ、交流を図らせるべきだと考えます。その結果遺族は殺しに掛かるかも知れません。しかし、それは仕方がないことだと思います。命に無自覚な大衆に支えられた処罰よりは健全であると考えます。しかし私は遺族に犯罪者にはなって欲しくありませんし、怒りよりは悲しみに向き合いたい。遺族を言葉で説き伏せることはできませんが、怒りだけを共有するんじゃなく、しっかり向き合ったり、そういった時間的、精神的余裕のある社会作りができれば変わっていくと思います。

拙文、長文失礼しました。


18. 2010年12月09日 21:38:40: cF9Oegve2T
13様に教えていただきたいのですが。
罪を犯して後悔も反省もない人にとって
辛く長く厳しい生が罰になるということが成立するのでしょうか。
その辛く厳しい生とは何によってもたらされるのでしょうか。
後悔の念や償いきれない罪であると認識するからこそ身もだえするような苦しみを味わうのではないのでしょうか。
又、そのような絶望的な後悔をする人は死をもって償うしかないと思うところに
至るのではないかと思います。

19. 日高見連邦共和国 2010年12月10日 00:47:03: ZtjAE5Qu8buIw : GpIUsAuiLs
議論するつもりは全く無くって、ただ思うことを記したんだけど・・・

14様、18様へ

反問で申し訳ないんですが、本気で人を心から殺したいと思った事がありますか?正直に言えばオラはあるんダ。だから、罪を犯した人達と、一見まっとうに生きているように見える自分とが、本質的に差があるかどうか、実のトコロ分からない。

明言できる事実がひとつだけあるとしたら、罪の大小は有れど、許し許され今日の自分が存在できているって言うコト。

人は、人が笑っているのを見て幸せになれる生き物だと思っている。また、人の役に立つことで喜びを心に満たせる生き物なのだと。

信ずべき人間としての本質から外れ、他者への共感など一切持たず、人の命を奪うことに悪魔的享楽を見出すひと握りの人間が居る事は確かだろう。アマっちょろい理想を語るのはた易いが、凶悪犯罪者を許し再び世に放ち、彼の再犯の被害者に、オラ自身や家族がなるコトを許容できるのか、という覚悟を問われるのはオラ自身だ。

許された生を『辛く長く厳しく』感じれるかどうかなんてワカリャしない。それは彼らの問題で、オラの問題じゃない。また、贖罪の念の塗炭の煉獄に耐えきれず自らで命を絶つコトだって、それを感じる彼らの問題だ。暴言を吐けば、知ったコトじゃない。

暴言ついでに暴言を吐けば、凶悪犯罪者の再犯率は極めて高いだろう。それでもなお、人から強要される”死”なんてやはり『安易』でしかなく、自ら求める”生”の中にこそ、本当の苦しみと本当の後悔とが、芽生え得るのでは無いのカナ?

その数十億分の1、有るか無いかのような可能性を信じる事って間違いかな?

これも二枚舌って言われちゃうのかなあ。でも、立場や考えはどうあれ、この問題を真剣に考え議論できる人たちが居るって嬉しい事だね。


20. 日高見連邦共和国 2010年12月11日 23:34:54: ZtjAE5Qu8buIw : GpIUsAuiLs
おろろ、反響無しですか?

まあ、不毛な議論をするつもりは毛頭ないので・・・

実はある想定をしていて、解答が得られないからあえて書かなかったのですが、蛇足と思いつつ追記デス。

罪を犯して反省も無く、凶悪犯罪の事実を認めつつ、巧妙な弁護によて情状酌量を求める(うまり、人を殺しておいて自は死にたくないという輩)を許していいモノか、そういう者こそ極刑に処するべきでなナイノカ、という疑問。

また、容疑者として逮捕され裁判で犯行を否認(一度は犯行の事実を認め調書を取られた)する場合、真実は冤罪でありながら判決が極刑となる時、無実の人に死を強要する事(真犯人を野に放ったままである事)という危険性をどう担保するのか?

少なくとも慎重で客観的な捜査、立件・立証、そのプロセスが記録され誰でも何時でもアクセスできる事、その上で予断の無い公正な裁判手続きが行われる事、これらが最小限の条件となろう。

証拠も無いのに、まず裁判で白黒つけろとか、起訴されてもいないのに凶悪犯者扱いする世情とかを見るにつけ、オラは不安でしょうがないノサ。

社会がどうとか言うつもりはサラサラ無く、オラ自身が、強い意志と確信をもって誰かに死を強要するほど成熟できていないカから。


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