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http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20101207/plt1012071534002-n1.htm
野田佳彦財務相は3日午前の閣議後記者会見で、政府税制調査会で給与所得控除の上限設定や相続税の基礎控除圧縮など、富裕層の負担が増す方向であることを明らかにした。そして、「本来私は自由主義者だが、今は格差是正措置を講じる方が世の中のためになる」と語った。
菅直人首相は、口癖のように「小泉内閣が格差を拡大させた」という。菅首相の6月の所信表明演説でも、格差の拡大を言っている。
「格差」とは幅広い概念であるので一概に言えないが、データからみると、どうも事実ではない。
たとえば、OECDの調査によれば、ジニ係数(1に近いほど格差が大きく、ゼロに近いほど格差が小さい)でみた所得格差は、G7の中で格差の少ない順番でいえば、1990年代半ばには仏・独・加・日・伊・英・米、2000年代半ばでは仏・独・加・日・英・伊・米である。
また、2000年から00年代半ばの変化を見ると、日・英では格差が縮小しているが、他の国では格差が拡大している。この間、格差が拡大しているのは他の先進国でも見られることで、日本では逆に格差が縮小している。小泉政権のときに格差が拡大したというのは、単なる印象論だろう。
そもそも格差は是正すべきかどうかは大きな議論がある。少なくとも経済理論からどちらが望ましいかが演繹(えんえき)されるわけではなく、この意味でどちらを好むかという価値判断に関わる部分だ。多くのコンセンサスを得ている考えは、「結果の平等」と「機会の平等」を分け、機会の平等を行うべきというものだ。
しかし、結果の平等については、人それぞれの考え方がある。社会主義的な考え方をとる人は、機会の平等とともに結果の平等を重視するし、資本主義的な考えの人は結果の平等をあまり考慮せずに機会の平等こそが重要だと思っている。
私は、結果の平等を重視しても、しなくても、経済全体のパイが大きい方が各人が納得しやすのではないかと思っている。各人が分けられたパイを見るとき、今日の他人のパイとの比較ではなく、昨日の自分のパイと比較することが多いからだ。
実際に、所得階層別の所得額の推移を見ると、仮に最上位と最下位との格差が拡大していても、最下位層の所得額が時系列でみて伸びていれば格差感の不満は少ない。所得税は所得再分配機能があるので、その範囲内で所得格差は是正できる。しかし、所詮人々の所得は他人からわからないので、今回のように微修正措置は格差感の解消には効果がないだろう。税収が足りないので、取れるところから取るのをあえて理屈をつけているようだ。(嘉悦大教授、元内閣参事官・高橋洋一)
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