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これは何だ! と思った。異様な本だ。ショッキングな本だ。本屋の新刊の台の上で、その本だけが不気味に目立つ。浮き上がっている。そんな感じがした。おどろおどろしい本だ。
『日本の「黒幕」200人』(宝島SUGOI文庫)だ。〈巨怪たちのとてつもない生きざま! エピソードで読み解く、その実像〉と本の帯には書かれている。
黒幕といったら児玉誉士夫、笹川良一などだ。金と暴力で、日本を裏から支え、動かした人々だ。でも、200人もいるのかと驚いた。右翼、ヤクザ、政治家、財界人、官僚、マスコミ人、芸能界にも黒幕はいるという。じゃ、200人もいるだろう。
それにしても、この日本を裏から動かしているのはどんな人たちだろう。興味を持って衝動買いをした。480円だから安い「衝動買い」だ。電車の中で読んでいた。アッと叫んでしまった。だって、僕が入っていたのだ。その200人の「黒幕」の中に。
これは間違いだよ。何か、別の企画で集めた原稿がまぎれ込んだんだ。「日本の貧乏人200人」とか、「日本の嘘つき200人」とか。それなら分かるけど…。大体、「黒幕」っていったら、大金を持ち、大邸宅に住み、用心棒の若者が何人もいて、黒いベンツに乗って、料亭で政治家や財界人と会い、圧力をかける。あるいは困り事を聞いて、裏で処理してやる。そして大金をもらう。そういうイメージだ。
僕なんて、こんなイメージからは一番遠い。それに、六畳一間の木造アパートに住んでる「黒幕」なんてあり得ない。でも、200人の「黒幕」の中に入っている。変だ。それに、児玉、笹川を初め、亡くなった人が多い。150人ほどは亡くなっている。ということは、今の日本を動かしている50人の「黒幕」の一人なのか、僕は。ますます現実感がない。
でも、本には出ている。なぜ黒幕なのか。こう書かれている。〈「赤報隊事件の黒幕」と公安が最後までマークした男〉。
確かに、それは言えるけど、でも、これだったら、ただの「被害者」だ。冤罪事件の被害者だ。黒幕といったら、「加害者」だろう。本人は手を汚さないが、下の者に恐喝や殺しをやらせ、それで恐ろしいイメージを保っている。又、そのイメージを使って巨額の金を集め、動かしている。とにかく僕とは無縁だ。
でも、宝島社は疑っている。赤報隊事件に関係があるのでは、と。赤報隊事件は、1987年に起きている。23年も前だし、とっくに時効になっている。1987年、朝日新聞阪神支局を、目だし帽をかぶった男が襲撃した。支局にいた小尻記者、犬飼記者を散弾銃で撃った。ものも言わずに撃って、逃走した。小尻記者は死亡。犬飼記者に3ヶ月の重傷を負った。
犯人は「赤報隊」を名乗り、声明文を出す。その後、朝日新聞の名古屋社員寮、静岡支局などを襲う。それでも捕まらない。声明文を分析し、公安は「新右翼に違いない」と断定した。それに基づいて、全国の新右翼関係者が次々と別件逮捕され、ガサ入れされた。それでも、「証拠」は何一つ出てこない。関係ないのだから、証拠も出るはずがない。
時効直前には、「最重要容疑者」の詳細なデータを一覧表にして、公安はマスコミに流した。僕はそのトップになっている。又、この頃、僕のアパートが放火された。消防車が出動し、大変な騒ぎだった。発見が早かったので玄関が焼けた位で済んだが、下手をしたら全焼で、死者まで出たかもしれない。翌日、「赤報隊」を名乗る人間から警告文が届いた。本物ではない。誰かが仕組んだのだ。僕が本当に赤報隊の黒幕なら、「なぜこんなことをするんだ」と赤報隊に文句を言う。少なくとも「動き」がある。そこを捕まえる。という、時効前の公安のあせりを感じた。
『日本の「黒幕」200人』では前半、「鈴木はテロを否定している」と書く。「穏やかで人あたりもいい」と書く。「だが、温厚さだけを鵜呑みにしてしまっていいものだろうか」と書く。いいんじゃないの。でも、だまされてはいけないと言う。「穏やかで人あたりがいい」のも危ない。
〈そんな鈴木邦男を慕って、右翼・左翼を問わず人が集まってくる。これは、黒幕の素質のひとつにほかならない〉
ほう、これで「黒幕」と言われるのなら嬉しい。でも違う。「赤報隊」を疑っているんだ。
〈鈴木邦男はこの事件の黒幕と疑われ、公安警察からマークが入った。だが、証拠は出てこない。鈴木がテロを否定しているといっても、実は表向きだけではなかったのか…という公安の疑念にも理はある。自首する旧右翼と違い、新右翼は、新左翼的な匿名犯罪を必ずしも否定していない〉
証拠はない。逆に、僕が「犯人ではない」といくら言っても、それも「証拠」にはならない。やってないことを証明することは難しい。本当の「黒幕」ならば、そういう「疑念」「こわさ」を利用して、のし上がるのだろう。本に書いたり、企業をおどして金にしたり…。「グリコ・森永事件」の時は、「俺は犯人扱いされた」と言って本を書き、ベストセラー作家になった人もいた。宮崎学だ。だが、僕にはそんなしたたかさはないし、文才もない。ただ、公安にいたぶられ続けただけだ。反論を書くと、「それも怪しい」と思われる。不幸だ。この本では、さらにこう書かれている。
<事件後、真犯人についてサジェストする文章も、鈴木は書いている。鈴木が赤報隊事件にかかわっていないと言い切れる証拠もない。穏やかな笑顔の裏側には、激しい武装闘争を経て来た民族派思想家の冷酷さがあるかもしれない。思想に殉ずるということは、そうした二面性をも包摂するものである〉
これは誉め言葉ですね。誉め殺しだ。とてもこんなスケールの大きな人間ではない。「冷酷さ」もない。でも、ここで書いてるような人間だったら凄い。あこがれる。そうだったら、新右翼運動も爆発的に伸びただろう。国会にだって進出したかもしれない。又、ベストセラーも書けただろう。じゃ、これからやってみるか。「冷酷さ」と「二面性」を持ってみるか。でも、どうやったら出来るんだろう。他の199人の「黒幕」さんたちの生き方を読んで、学び、真似するしかないか。
でも無理だろうな。そうだ、思い出した。7年前だ。2003年9月8日、フジテレビの『ミライ』に出た。未来に羽ばたく人を毎週取り上げていく。僕の場合は、未来などない人だが。笑福亭鶴瓶さんと南原清隆さんが司会だ。3人で、右翼について話をした。直前にスタッフが僕のアパートに来て、取材した。そのビデオを見ながら鶴瓶さんがあきれていた。
「右翼の大物というから、大邸宅に住んで、池に鯉がいて、若い衆がズラリと並んでオッス! と挨拶するのかと思ったら。何だ、六畳一間のアパートですか?」
そうなんだよな。これじゃ「大物」でもないし「黒幕」でもない。そもそも、もう「右翼」でもないよ。
今、気が付いたが、この宝島文庫の裏には、これは2009年1月に出た『別冊宝島1580号 日本の「黒幕」200人』を改訂し、文庫化したものです、と出ていた。その時も読んでいたんだ、全く忘れていた。もの覚えも悪い。やっぱり「黒幕」にはなれないよ。
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