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(回答先: 小沢氏、年明けに強制起訴へ…指定弁護士(読売新聞)陸山会の口座の入金状況や不動産取引を分析中 投稿者 赤かぶ 日時 2010 年 12 月 07 日 12:15:53)
http://udonenogure.iza.ne.jp/blog/entry/1911052/
ロッキード事件をプチ検証しながら小沢問題の類似点を検証してみた
2010/11/27 22:20
昨夜何気なくtwitterのタイムラインを眺めていたら田中角栄氏に関してのものがあった。ロッキード事件で名を馳せた立花隆氏も最近では衰えを感じさせるような記事が多くなった。時の流れを感じると共に、一抹の寂ささえ覚えてしまう。
さて、ロッキード事件は最終的には1993年(平成5年)12月16日に田中角栄氏が亡くなったことにより公訴棄却となり審理が打ち切りとなってしまい、人々の記憶には”田中は金権政治家である(あった)”というイメージだけが植えつけられたままで現在に至ってる。
これは非常に怖い話でもあり、検察の策略そのものと言ってもいいだろう。なぜなら、ロッキード事件は、最高裁の判決が出てもいないのであって、”田中は金権政治家である(あった)”とするそのイメージを検察は再度持ち出しをし小沢氏を排除しようとしているようにしか見えないし今後は小沢氏に連なる国会議員も同じ手法で貶められる可能性さえ見え隠れしているように思えてならない。
そもそも、このロッキード事件で田中角栄氏が裁判で争っていたものとは何であったのか明確に述べられる方が果たしてどれくらい存在するだろうか。また、検察側が容疑事実としたものが何であったのかを答えれれる方も少ないと思う。
検察側が田中角栄氏と争っていた容疑事実は、4回の金銭授受であり、それを元に(証拠として)受託収賄と外為法違反容疑を立件しようとしていたのである。これさえも、別件逮捕という方もいるくらいなのである。
今回の小沢氏の事件も”水谷建設からの金銭を授けとった”という記事が紙面をにぎわしていたのを見るにつけ検察は同じパターンでイメージで小沢氏を貶めようとしているのではないのと思えてならない。
角栄氏の場合は、金銭の授受から受託収賄と外為法違反容疑。小沢氏の場合は、金銭の授受から政治資金規正法違反へと持ち込みたいのであろう。ではあるが法的には小沢氏が何をもって罪とされているのかわからないし、ロッキード事件と違い何が法的に問題なのかさっぱりわからないまま”小沢はクロ”というマスコミ報道に有権者は踊らされていたと言うことである。
田中角栄氏の秘書官であった榎本敏夫氏も田中氏と同様に外為法違反で逮捕・起訴をされたのだが、検察調書では丸紅の伊藤氏と榎本氏そして運転手であった松岡氏と笠原氏の4名とも5億円の受け渡しを認めていたのだが裁判ではこの四名のうち伊藤氏以外の三名が供述を覆しなおかつ「検察の作文」とまで言い切っていたのである。供述を覆していない伊藤氏でさえ「段ボールの中身が本当に札束であったかは確認はしていない」と言い出していた。もっとも、田中氏側は受け取りを否定しているのだが・・・・。
さてここで気が付かれた方もおられると思うのだが、小沢氏元秘書であった石川議員や大久保氏も今回の事件では否定をしているのである。そして検察内部の不始末も表に出だしている。この点もロッキード事件同様に非常に恣意的に検察側の情報をマスコミはが流した疑いを自分は感じている。
さて、ロッキード事件であるが、検察の丸紅から田中氏側へ渡ったとされる日時が非常に重要なポイントなっていた事をご存知であろうか。そもそも検察が田中氏側へ五億円渡ったとされているうちの4回目の受け渡しが74年3月1日である。ところが、83年にテレビ朝日のインタビューで田原総一郎氏が榎本氏にインタビューをした際に、@、伊藤氏宅を2・3度訪問をし丸紅から5億円を受け取ったのは事実。A、ただしそのお金はロッキードからのお金なのかは不明。B、受け取った時期は検察の言う時期よりもっと前。C、裁判では伊藤氏宅での受け取りが一回となっているが実際は2〜3度。(検事にはその旨を伝えてあるが1度だけとされた)D、検察のいうホテルオークラや道(街頭)での受け渡しは絶対にない。E伊藤氏宅で受け取ったのは検察のいう74年3月1では断じてなく72年・73年である。
検察と田中氏は何に付いて裁判で争っていたのかを冷静に考えたらわかることなのだが、ようは何月何日に何処其処でお金の受け渡しが行われた。とする事実を争っているわけで、事件を糾明するためではなくその事実関係を争っているのである。
つまり、田中氏側が何月何日に何処其処でお金を受け取ったする検察側の容疑事実に対し、田中氏側は、その何月何日には受け取ってはいない。と主張しているだけの話なのである。
つまり、”72年・73年になら受け取りましたよ”と言ったところで、時効でしかなく”無罪”となる事も予想された事件であった。ようは、72・73年なら時効なので74年受け渡しという日付にし、外為法違反という別件で田中氏を引っ張りあえて74年に受け取った事にして有罪にしようとしたとも取れるのである。
小沢氏の事件も政治資金規正法で騒がれたのは、虚偽記載であるが日付けの問題である。また村木厚子さんの事件で問題になったのもフロッピーの日付である。ようは、検察が書いた絵図の中の日付が違うという決定的な過ちを検察は何度も起こしてきたのであって、そのためにストーリーを正当化するためにもっとも重要な裁判で何を争っているのか見えなくするためにマスコミを利用してきたとも言える。
ようは立花隆氏が”田中角栄はクロ”だとか”小沢はもう終わり”とか今まで書いてきたものを読むと裁判での事実関係とは別の部分、つまり政治家の姿勢が云々というキレイ事をベースにして書かれた記事にしか過ぎず、それは政治家個人に対する選挙区の有権者が判断をすべき部分の問題でしかない。
検察は彼らが作ったストリーに沿って調書を作り起訴をし裁判に持ち込む。これは何も今始まった事ではなく竹村健一氏や高野孟氏、田原総一郎氏も彼らの書籍には書かれているし、立花隆氏でさえも調書に書かれた内容に疑問を呈していた事もある。
小沢氏の記事をマスコミが書くときにロッキード事件や田中角栄氏を引き合いにし、イメージを田中角栄氏とダブらせる手法が果たしてマスコミのとるべき姿なのだろうか甚だ疑問を感じずにはいられない。
小沢氏と田中氏はアメリカにとってよろしくない人物であるから、このような事件に巻き込まれたとする意見も根強くありその点も多少の説明が必要であろう。
田中氏の資源外交は知られているが、どの程度のものだったのか記憶を辿ってみた。まず思い浮かぶのは日中共同声明。つまり、中国からの原油確保である。この日中正常化が虎の尾を踏んだという意見もあるのだが、それ以前にJIOつまり、ジャパン・インドネシア・オイルが設立されている。これがアメリカに対する一発目であったと見ている。その後シベリアの油田開発計画。次が英国メジャーからアブダビ石油の株式買収、フランスのウラン鉱、ドイツの原発プロジェクトへ参加、イギリス北海油田、その後アラブ外交へと続いていく。
小沢氏の場合も中国との接近にアメリカが危惧を抱いたとしても不思議はない。
田中氏が総理大臣であった当時、キッシンジャー氏の発言が日本への非難・警告でありその後ロッキード問題に関しては、アメリカはあのような手法はとるべきではなかったとも発言している・・・これは何を意味するか。田中氏の時代から小沢氏の時代への流れの中で、いまだに日本はアメリカの属国であって、戦後65年を経てもいまだに独立していないということなのだろう。
このロッキード事件に関しては、たまに想いだしたように書いていこうと思っている。
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