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2010年12月 4日 (土) 14:00
政治学者渡邉良明氏による『日本の独立』ご講評 (植草一秀の『知られざる真実』)
政治学者の渡邉良明先生が拙著『日本の独立−主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘』にご講評を記述下さった。
日本の独立
著者:植草一秀
販売元:飛鳥新社
渡邉氏は
『ゴルバチョフとケネディ』(創流出版)
『マハートマー・ガンディーの政治思想』(熊本出版文化会館)
『J・FケネディVS二つの操り人形』(熊本出版文化会館)
などの著作を刊行されている政治学者である。
J.F.ケネディvs.二つの操り人形―小泉純一郎と中曽根康弘
著者:渡邉 良明
販売元:熊本出版文化会館
渡邉氏は拙著『知られざる真実−勾留地にて−』についても長文のご講評を執筆くださった。
知られざる真実―勾留地にて―
著者:植草 一秀
販売元:イプシロン出版企画
渡邉氏の著作『J・FケネディVS二つの操り人形』には、第八章に「“本物の”政治指導者、石橋湛山」がある。拙著で取り上げることができなかったが、日本を対米隷属から脱却させ、自主独立の路線を敷くことに注力した宰相である。
石橋湛山は1956年に鳩山一郎首相が退陣したあと、自民党総裁選での決選投票で勝利して首相の座に就いた。この石橋政権が長期政権になったなら、日本の命運は異なるものになっていただろう。
米国は石橋政権が短命に終わることを望んだ。果たして石橋政権は2ヵ月の短命に終わった。石橋首相が急性肺炎に罹患し、内閣総辞職の道を選んだからである。石橋首相が辞任して首相の座に就いたのが、米国が希求した岸信介氏である。岸政権が発足して日本の対米隷属路線が確立されていったのである。
以下に渡邉良明氏による拙著に対する講評を転載させていただく。
「沖縄県知事選は、仲井真氏の再選に終わった。正直、4年前に味わった無念を、再度、味わうことになった。
しかし、この敗北感、あるいは虚脱感を、一日も早く克服しなければならない。それにしても、早速にブログを書かれた植草先生の機敏な行動力は、本当に素晴らしい。
ところで、私事だが、奇しくも、一週間前の今月22日、まさにケネディ大統領が47年前に暗殺された日、それに我が父の11回目の祥月命日に、私は、植草先生より、ご新著『日本の独立』を、出版元の飛鳥新社を通じて、ご献本を賜った。
その御縁の深さに、私は、何とも不思議な思いがする。素晴らしい本著を、私も、別途、購入して、心有る友人・知人に送りたい。本拙稿も、極めて長くなるが、どうか平にご寛恕いただきたい。
何より、『日本の独立』という題名の、何と心憎いことか! この言葉こそ、心有る日本国民が、最も切望するものだと思う。私は、この題名ほど、今日の日本で時宜を得たタイトル名は、他に無いと思うのだ。
510頁にも及ぶ、御心のこもった大著ーまさに、帯に記された「渾身の長編書き下ろし」の力作ーが、1800円(税込み)で入手できるとは、まことに驚くべきことだ。
より多くの国民に読んで貰いたいと切望なさった植草先生の高邁なる真心(=愛国心)と、そのご熱意に対して心からの協力を惜しまれなかった飛鳥新社社長土井尚道氏や同社出版部の方々の熱い心意気に、私は、心からの感動を覚える。
本著の副題に、「主権者国民と『米・官・業・政・電』利権複合体の死闘」とある。まさに、この言葉こそ、現代日本の現実を、見事なまでに穿っていると思う。
それに、ひと言付言するならば、私は、この言葉(あるいは、表現)に、植草先生の一方ならぬ心意気を感じる。
確か、私の記憶では、先生は、今まで、悪徳ペンタゴンを評する時、「政・官・業・外・電」と記しておられた。それが、今回、「米・官・業・政・電」に変化している。
つまり、先生は、悪徳ペンタゴンの大本が、あくまで、「米国(=国際金融資本)」であることを、より深く、かつより広く、われわれ日本国民に知らせようとなさっているのだと、私は解する。それゆえの『日本の独立』だと思うのだ。
それに加えて、この五つの悪徳集団は、むしろ“立体的”に考えていいのかも知れない。
つまり、「米国」を頂点として支え、かつ機能する官僚組織と大企業が、日本国の“支配者”として、社会の上部構造を構成し、それを政界とマスメディアが下部構造として支え、かつ補完するという構図である。
また、それを単純な正四角錘(いわゆるピラミッド型)で表現するならば、その頂点に位置する「米国」は、彼らに従属する官・業・政・電のどれに対しても、常に睨みを利かすことのできる”絶対権力者”として君臨することになる。少なくとも、悪徳ペンタゴンの網の目の中にいる人々は、そう洗脳されていることだろう。
しかし、「主権者国民」は、その呪縛から自らを解放し、”日本国の真の支配者にならなければならない”と、植草先生は、われわれ一人ひとりに訴えておられると思うのだ。
また、植草先生は、本書で、「マスゴミ」という表現を、敢えて避けて、あくまで「マスメディア」と表現しておられる。
国民(=読者)の中には、マスコミの実態を知らない方も多いことだろう。むしろ、そのような方々が、圧倒的多数だとも言える。
その、様々な事情に鑑みて、先生が、「マスメディア」という、全くバイアス(偏向)を伴わない中立・公正なる表現をとられていることに、私は、先生の濃やかなご深慮を感じる。
さらに、敢えて言えば、悪徳ペンタゴンの頭目である「米」(つまり、アメリカの超権力者たち)にとって、かつて、その批判の矛先を自分たちに向けた植草氏は、実に際立った危険人物(!?)だったと思う。
それゆえ、彼らは、「ウエクサは、ガリレオだ。ガリレオは火あぶりにしろ!」と叫んだのである。その点で、植草氏冤罪の背景は、実に明瞭だ。
事実、アメリカの超権力者たち(とりわけ、国際金融資本家たち)は、植草先生を、かつての”ガリレオほどに怖れた”と思う。
考えてもみてほしい。些か飛躍した話だが、もし、ガリレオの「地動説」が、ほぼ400年前に、万人周知のものとなっていたら、当時のカトリック教会が奉じる地球(「神である」イエス・キリストが受肉した聖なる大地)主体の天動説(ひいては、それを公認し、かつ基礎としたカトリック神学)が、完全に吹き飛んでしまう。
アメリカの超権力者たちは、ある意味、当時の日本国民の誰よりも深く、かつ鋭く、植草先生の“真実と正義”を認識していたと思うのだ。
それらを充分知っていたし、かつ同氏の持つ、その“知的破壊力”に、心底恐怖したがゆえに、彼らは、日本国内の数多くの”アメリカの忠犬たち”を使って、植草先生の人権を、徹底的に剥奪したのである。
彼らの、その邪悪なる野望は、「りそな問題」を巡る当時の竹中たちの利害と、全く”同一のもの”だったと言えよう。
それゆえ、この、アメリカの超権力者たちが支配する日本において、今こそ、われわれ一人ひとりが、「主権者国民」としての自覚と責任を、改めて感じるべきであろう。
そのようなわれわれ(=読者)の一人ひとりと全く心を同じくし、かつ導かれる植草先生こそは、まさに、現代日本に最も不可欠なる一大国師である。
植草先生の正当なる復権なしに、私は、日本国の復活、ひいては日本国民の真の幸せは有り得ない、と確信する。
ちなみに、実は、もうひと方、私が「国師」として、心から尊敬している方がいる。それは、平野貞夫氏だ。
その平野氏にとって、件(くだん)の「小沢問題」とは、何ら小沢氏自身から生じた問題ではない。むしろ、彼によれば、「政界・官界・財界・マスコミ界の旧体制の“妖怪たち”が、政治捜査と憲法違反の権限を持つ検察審査会を使って、小沢一郎を呪縛して既得権の自己利益を死守しようとすることにある」のだ。この説には、植草先生も、全く同意見であろう。
では、「国民がこのことに目覚めるには何が必要か。それは物の見方、出来事の本質を見抜く力をつけることである」と、同氏は力説する。
そこで、平野氏が参考になさるのが、実は、坂本龍馬の「四観論」である。「龍馬は、(1)空観、(2)離観、(3)陰観、(4)光観、という見方で活躍した」と、平野氏は述べる。
つまり、「鳥になって観ろ、離れて観ろ、影の部分を観ろ、そして光の当たる部分を観ろ」というわけである。
思うに、この「四観」を、坂本龍馬は、生涯、実践したのではあるまいか。彼の超俗的な非凡さや、その天才的言動や行動力は、そのような、ある種の没我的な“達観”なしには、成し遂げられなかったと思えるからだ。
だが同時に、今日、ご活躍なさっていらっしゃる平野氏や植草先生も、このような「四観」を体得なさっていると感じる。
なぜなら、それ無しには、あれほど明晰、かつ公正・無私なる政治・経済分析など、到底不可能だと思えるからだ。
それが、私が両氏を、今日の日本の「国師」と感じる所以(ゆえん)でもある。
最後になって、誠に恐縮だが、本書は、五部28章から成る。
第一部の「六・二クーデターの真実」の中で、今日の菅政権が、「小泉竹中政治へと回帰」する姿が描かれ、第二部の「小泉竹中政治の大罪」が詳述される。
これらの内容は、全国民が是非知るべきものだ。どれ程、論じられても論じ尽くされるということはないであろう。
日本の全国民が、特に第二部の全内容を真に咀嚼しない限り、私は、日本の将来は無いと思う。
しかし、誠に残念なことに、現政権は、この同じ過ちを、再び繰り返している。むしろ、それを助長しているとさえ言える。菅氏、並びに菅政権の、何と愚昧なことか!
彼らの今後を、じゅうぶん監視するためにも、植草先生の、この論述は、まさに超一級の内容だ。
第三部の「この国のかたち」で、今日の「官僚主権構造」と「米国による日本支配」の実態が、歴史的に考察される。
それも、大久保利通と吉田茂という、互いに因縁浅からぬ両政治家の、歴史的過誤と、政治家としての本質や限界について詳述される。
また、第四部では、「菅直人政権の『逆コース』」というタイトルで、「最小不幸社会」政策の問題が、真正面から論じられる。
まさに、「財政再建原理主義・市場原理主義の毒」という章名で、日頃の植草氏の持論が、大胆、かつ精緻に展開される。
さらに、本著の副題ともなった第五部の「主権者国民と悪徳ペンタゴンの死闘」では、小沢一郎氏の「政治とカネ」問題の本質を、同氏の潔白を証明する立場から、客観的、かつ実証的に暴き出している。それによって、今後の日本と日本国民の在るべき姿や生き方について、力強く論述されている。
この精魂込めた、あるいは命を賭けたとも言える植草先生のご新著は、今後、日本国民の座右の書とも成るべき名著である。」
身に余るご講評をご執筆くださった渡邉良明先生にこの場を借りて深く感謝申し上げたい。
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