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検察さまの力が生んだ新聞の「書き捨て御免」 (日本ビジネスプレス)
http://www.asyura2.com/10/senkyo101/msg/110.html
投稿者 pochi 日時 2010 年 12 月 02 日 09:15:16: gS5.4Dk4S0rxA
 

検察さまの力が生んだ新聞の「書き捨て御免」
「日本マスコミ型調査報道」の歴史が終わった
2010.12.02(Thu)  烏賀陽 弘道


村木厚子・元厚生労働省局長事件が冤罪という最悪の結末を迎え、証拠偽造までが明らかになった今、日本の報道が21年間依存してきた「報道と検察の共存共栄モデル」も終わってしまった。

 前回は、報道と検察が取材情報や捜査情報を分かち合うことで、お互いの目的を達するという共存共栄の構図を説明した。

 今回は「報道と検察の共存共栄モデル」で、検察と報道が共有しているもう1つの利益について書こうと思う。

 記者の立場から言えば、検察ほど心強い「権威付け機関」はない。なにしろ、人を逮捕して閉じ込め、犯罪者として刑務所に入れてしまうだけの強制力を持った「最強の国家権力執行者」なのである。

 権力が強大であるがゆえに、その執行は「慎重なうえにも慎重である」建前になっている。その捜査機関が報道を追認した=「報道内容は限りなく真実に近い」という「日本最強の裏付け」なのだ。

 また「報道が検察の捜査を動かした」という事実そのものが、報道にとっては最高の勲章でもある(しかも地方公務員の警察官とちがって、検察官は国家公務員であり司法試験に合格した法曹職だ)。

 1つ注意してほしい。こうした「官の権威依存型調査報道」は「ワシントンポスト」紙によるウオーターゲート事件報道のような、「報道した内容には報道機関が自分で責任を取る」(=捜査機関など他者の追認がなくても、自分たちの調査だけで真実性を保証する)という内容ではない。アメリカ型調査報道とは異なり、他者の追認によって(=特に公的機関の「権威の保障」をもらうことで)真実性を担保するという発想である。

 意識的なのか無意識的なのかは分からないが、日本報道各社はこうした「報道するという行為そのもの」にも「官庁依存」の傾向が見える。

■検察官に「当てて」さえいれば「書き捨て御免」

 検察という「調査専門組織」が高い確度で「事実だ」と推定していることは、確かに他にはない重みがある。しかし、この「真実性の担保を検察に委ねる手法」は、リクルート事件以降、次第に少しずつ逸脱した形跡がある。

 記者は、「裏付けを取る」ために、どんな情報も報道前に検察官に「当てて」みる。自宅でも通勤電車での飲み屋でもいいからネタを話してみて、相手の反応を見る、という作業である。

 その反応によって「記事にしても大丈夫だ」と感触を得れば「Xも把握している」「Xも関心を持って推移を見守っている」「Xも立件を視野に情報を収集している」と、主語Xを「特捜部」「検察当局」「検察関係者」(地検以上の高検や元検事のOBに当てることもある)などと描写し、述語を変えていくのだ。この辺の「厳密さ」「いい加減さ」は記者、新聞社によって差がある。

 検察官に当ててさえいれば、立件されそうにない情報でも、「検察が『把握』していることは間違いないから、そう書いておけば間違いではない」と、だんだん横着になっていく。

 当事者以外は、「新聞には『検察が立件を視野に入れている』と書かれていたが、起訴されなかったな」などとは覚えていない。

 ここに「書き得」「書き捨て御免」の誘惑が働くことを見逃してはならない。事件の当事者が後になって「新聞に、あることないこと書かれた」と憤るのは、こうした構造があるからだ(テレビは記録を残すのが手間なので憤激を買う確率が低い)。

■検察が一緒に動いてくれることは心強いお守り

 そして、これが一番大事なのだが、検察が立件した事件では、記事を書かれた当事者が新聞社(あるいは取材源)を相手に名誉毀損訴訟を起こすことはまずない。提訴しても、裁判官は検察を盲信する傾向があるから、検察が起訴した人間に勝たせる(=名誉毀損罪の成立を認めない)ことはまずない。

 検察事件ではないが、消費者金融の「武富士」がフリージャーナリスト3人を名誉毀損で訴訟責めにした「武富士裁判」では、経営者が逮捕・起訴されたとたんに、手のひらを返したように裁判官たちがジャーナリストたちに好意的になった。

 「検察(そのほか捜査機関、監督官庁)が一緒に動いてくれること」は、激しいリスク回避体質の新聞社にとっては、何より心強い「お守り」なのだ。

 察しのいい読者はもうお気づきだろう。自分たちが記事の信憑性や正統性を担保するために依存している「権威付け機関」の不祥事を暴くような真似を、新聞社がするわけがないのだ。権威崩壊はもちろん、権威に傷がついてもらっては困るのは新聞社自身なのである。

 「検察は、権力行使には慎重なうえにも慎重であるはずだ」とは、もちろん現実ではない。発言者の願望に過ぎない。が、世間は長らくそう信じてきた。

 新聞社も、その信憑性に便乗してしまえば、最後の事実の詰めはしなくてもよい。「検察によると」という枕言葉で「その報道の根拠は何か」と問うことができないブラックボックスに投げ込める。

 検察は、「捜査中なので言えない」「公判中なので言えない」と言えば「国民の知る権利」を侵害しても許される(と勝手に思っている)秘密主義官庁だ。公的には信憑性の担保は「検察××によると」以上に立ち入ることができない。

 新聞はじめ記者クラブ系メディアにとって「検察によると」「検察は〜した」という主語は、魔法の杖のような効果がある。かくして「検察の不祥事やエラー、失敗に対しては、(無視しないまでも)できるだけ消極的に扱う」という逆インセンティブが働く。

 2002年4月に、検察の裏金を実名で告発しようとした矢先に逮捕された三井環・元大阪高検公安部長を、当時の新聞は「暴力団と交際」「不動産取引の不正」という、言うならば「悪徳検事」という論調一色で報道し、裏金告発との関連にはほとんど触れなかった。

 よく報道側は 「検察の不祥事や都合の悪いことを書くと、出入り禁止などの報復を加えられるので」と言い訳する。とんでもない。人のせいにしてはいけない。検察の不祥事に消極的になる理由は、報道の側にもちゃんとある。

 こういう文脈で見ると、朝日新聞社が大阪地検特捜部の証拠偽造をすっぱ抜いた記事がいかに「異端」かが分かる。朝日に限らず、日本の新聞が検察の内部不正や腐敗を敵対的に発掘したのは初めてではないか(書かないよりは素晴らしいが、今まで書かなかったことの方が深刻だ)。

■検察の強引な捜査は存在しないのと同じだった

 検察にとっても、新聞(はじめ、マスコミは全部)が一緒に動いてくれることは、心強い味方だ。先ほどの三井氏が、検察官としての捜査を振り返ってこう記している。

 「それを検察用語では『風を吹かす』という。検察はリークでマスコミを通じて味方につけようとするのだ」(同氏著『検察の大罪』講談社)

 「まず捜査に世論の追い風を吹かせる必要がある。このためにリークをするのだ。追い風が吹けば、捜査がやりやすくなる。被疑者以外の参考人の事情聴取でも、追い風が吹いていると調書がとりやすい」(同)

 これは記者の側から見ると非常にリアルで、まったく首肯できる話だ。

 今でこそ「あらかじめ用意されたストーリーに沿って架空に近い調書を取る」「調書を検事が作文した」といった「強引な捜査」が大問題のように批判されているが、村木局長冤罪事件以前、マスコミが問題にしなかった頃には、誰も気にもとめなかった。

 実際には少なくとも過去10年はそうした事件が続き、指摘も出ていたのに、である。

 マスコミが批判しなければ、世論の非難もわき起こらず、検察の冤罪スレスレの強引な捜査は「存在しないのと同じ」だったのだ(詳しくは青木理『国策捜査』参照)。

 私は検察と記者が宴席を共にし、金品をやりとりし、ゴルフや麻雀など遊興に興じているから両者が癒着している、という見方は浅薄にすぎると思う(まあ、もちろんそういうベタベタの関係の連中もいるだろうが)。もともと両者は利害が一致しているから、放っておいても組織が自然に歩調を揃えてしまうのだ。だから両者も、「え? 何がいけないの?」ときょとんとしていることだろう。

■日本の新聞はもはや手も足も出ない状況に

 こうやって順を追って検証してみると、村木局長無罪判決〜大阪地検の証拠偽造・隠蔽と至る検察腐敗の発覚が、「日本マスコミ型調査報道」にいかに破壊的なインパクトを与えたか、お分かりだろう。

 もう、「検察に当ててみたか」「?幹部はどう言っている?」「大丈夫。書いていい」というよう、「真実性保障ブラックボックス」として検察を使うことはできなくなった。信用性だけの問題ではない。検察と歩調を揃えて調査報道をすれば「癒着」と轟々と非難されることだろう。

 村木事件の裁判を見ると、これまで検察に大甘、ノーチェックに等しかった裁判官ですら「検察の言うことは信用できない」とさっさと見切りをつけてしまったことが分かる。

 おそらく検察の権威を利用しようにも、裁判所はもう信用しない。名誉毀損訴訟も頻発するだろう。報道側は特捜事件の報道で訴訟を起こされ、負けるかもしれない。

 日本の新聞はじめ企業マスコミは訴訟リスク回避で凝り固まっている。しかし、頼りとする信憑性の守護神=検察はズタボロだ。これでは手も足も出ない。深部をえぐるような調査報道はますます減っていくだろう。

 「リクルート事件」〜「村木厚子局長事件」と21年間続いた「日本マスコミ型調査報道」の歴史が今、終わったのだ。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4967
 

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コメント
 
01. 2010年12月02日 09:51:52: uC8DKpjnU6
部分的に合ってるけど結論は間違ってるね、朝日が抜いたから無罪になったわけじゃな
く筋が悪すぎて無罪になるのが確定的だったので一部要らないやつに全て被せただけ。
要らん奴を切り捨てて腹黒い連中は相変わらず正義面を続けて行くだけのことでしょ。

02. 2010年12月02日 19:09:59: BxpXqvOhLE
今後、「風を吹かす」ことは難しくなるだろう。しかしこれを不可能にするまでに変えなければいけない。検察が2列縦隊で強制捜査に入る状況を映し出すこと自体が情報が事前にマスコミに漏れていることを示す。

画面から得られる「本当の情報」はそういうことだ。検察の記者会見は記者クラブ所属のマスコミ関係者以外は入れない。事実を見よ!。


03. 2010年12月03日 06:11:42: KX9PL56buc
裁判所、検察、弁護士、政治家、官僚らが私欲利権だけを守る形で裏でつながっている事を、ウィキリークスのように全世界にこの日本の恥を暴露出来ないものか!
阿修羅がこの粋を超えてウィキリークス使命ある発展をする事を願っている。

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