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平成22年11月22日発行
発行人 南丘喜八郎
編集人 坪内隆彦
発行所 株式会社K&Kプレス
TEL 03(5211)0096
FAX03(5211)0097
(転載承諾済)
検察審査会の権限強化に異議あり ジャーナリスト 宮本雅史
検察審査会設置はGHQの指示
検察官の不起訴処分の是非を国民が判断する検察審査会(以下「検審」)の存在感と影響力が強くなっている。
昨年五月の改正検察審査会法の施行で、『強制起訴』できる権限を得たからだ。裁判員制度と同様、国民の司法参加といえば聞こえはいいが、「検審は検察より強い権限を持つ権力機関と化した」という危機感も否定できない。
さらに、この危機感ばかりではない。
これまでその存在すら一般国民の間でほとんど認識されていなかった検審が、どのような審議をしているのか。その実態がベールに包まれているばかりか、法改正がいつ、どのような過程でなされ、なぜ、強権を持ちうるようになったのかなど不透明な部分が多い。
検審は全国の裁判所に百六十五設置されている。我が国では、裁判所へ公訴提起(起訴)する権限は、原則、検察官が独占しており(起訴独占主義)、犯罪被害者等が、告訴などを通して裁判が行われることを希望しても、検察官の判断で、不起訴処分や起訴猶予処分などになり、公訴提起されない場合が起きる。そのような場合、検察官の不起訴処分を不服とする者の申し出により、判断の妥当性を審査するのが検審の役割である。
検察官は通常、捜査を通して収集した証拠から有罪判決に持ち込む確率が高い場合にのみ、起訴に踏み切る。そこには合理的な慎重さがあるが、反面、起訴判断権を検察官だけが持つため、検察官の慈恵的な判断によって被疑者が免罪される事態が起きなくもない。検審の存在意義は、そうした事態をチェックする狙いもある。
検察審査会制度が導入されたのは戦後まもない昭和二十三年七月。戦後の占領政策を実施するGHQ(連合国軍総司令部)の指示で検察審査会法が成立したのがきっかけだ。GHQは当初、起訴の是非を国民が決める大陪審(起訴陪審)の導入を求めたが、司法省(現法務省)は、日本の一般国民の法律的常識の水準は米国と比較にならないという理由で拒否。代替案として、不起訴処分の公正を期するため、「民意を反映される監察制度を設ける」として検審制度の導入に踏み切った。
平成二十一年五月に裁判員制度が導入されるまで、唯一の国民の司法参加の場所とされ、裁判員制度が参審制に近い司法参加とすると、検審は陪審制に近い制度といえる。
では、検察官と検審との関係は現実にはどうだったのか──。
検察は検審の議決に従う義務はなく、検審が「不起訴不当」「起訴相当」と判断した場合でも、検察官が再び起訴する必要がないと判断すれば、不起訴にでき、そういう面では、検察優先∞検察上位≠フ力関係にあった。ただ、検察官の間では、検審の議決は「検審バック」と呼ばれ、緊張感を持って受け止められてきた。検察官の誇りにかかわる事態であり、再捜査という負担がかかるばかりか、再捜査の結果を検容に伝える詳細な報告書の作成に膨大な時間を費やすからで、議決に対しては慎重に対処してきたのも事実だ。
検察官以上の判断はできない
検審は十一人の正規の審査員と、審査員が休んだ場合に対応する十一の補充員で構成されている。いずれも、選挙人名簿からくじで選ばれ、任期は半年間で、三ケ月ごとに五〜六人が交代する。補充員も合わせると年間約七千三百人が選ばれており、約一万四千人に一人の確率で選ばれる。これまで、五十万人以上が審査員に選ばれ、十五万五千件以上の事件が審査された。
審査員はまず、事件の捜査資料などに目を通し、議論の結果、起訴が相当と認める場合は「起訴相当」、公訴提起しない処分を不当と認める場合は「不起訴不当」、公訴を提起しない処分が相当と認める場合は「不起訴相当」──の三種類の中から議決を行う。裁決は、三つの議決が書かれた用紙が審査員に配られ、いずれかに○をつけ、その理由を書く。その後、用紙を「評決箱」に入れ、審査員から選ばれた審査会長が一枚ずつ読み上げていく。検察審査会法は、議決は過半数(六人以上)と定めているが、「起訴相当」とする議決には八人以上の賛成が必要だ。
議決書は事務局の担当者がまとめ、審査員は確認した上で確認の印鑑を押す。
審査員は法律知識のある法曹関係者ではない。それだけに心情は複雑だ。
平成二十二年八月十四日付け産経新聞が審査員経験者の心情を掲載しているので、それを引用する。
平成二十年から二十一年に補充員をつとめ、業務上過失致死罪や過失致傷罪、詐欺罪など七十件以上の事件を扱った神奈川県の元会社員(六十歳)は、@メンバーは二十歳代の女性会社員や六十歳代の元バス運転手の男性、四十歳代の女性看護婦らA一ケ月に三回のペースで計十九回集まったB最初に資料を渡され、事務局から事件の概略の説明を受ける。資料は最も多い案件だと、Aサイズで厚さ約三十センチ綴りの三冊もあったと説明した上で、「資料が膨大になると、どうしても嫌気がさしたり肉体的に疲れる。大ざっぱに片づけようとする気持ちと、審査精度を保たなくてはという気持ちの葛藤だった」と吐露している。
男性は、議論が白熱して予定時間を超過することもあったといい、「捜査は尽くされたのか、検察が見落としているところはないか。最後の砦みたいな感覚でやっていた」と強い使命感も感じていたと述べている。また、「法律外のことに立ち入ろうとすると事務局から止められ、何のために市民の意見を開くのかと感じた。二、三日パラパラと資料を見ただけでは、プロである検察官以上の判断はできない。
国民参加は検察の隠れ蓑
このように、あくまで捜査と法律の素人集団≠ナある検審の議決結果に拘束力、強制力を持たせようという議論が最初に持ち上がったのは、平成十一年七月に設置された司法制度改革審議会でのことだ。
元名古屋高検検事長の水原敏博氏が、十二年四月、「犯罪被害者保護の要請が強まる中で、検察官の起訴独占主義にも一定の制約を加えるべきだとの主張がある」と指摘したのがきっかけで、同審議会は同年十一月には早くも、「検察審査会の一定の議決に法的拘束力を付与する方向で検討すべきだ」などとした中間報告を発表した。
当時、検察庁や警察内部には、検審の権限強化に慎重な意見も多かったが、翌十三年二月に福岡高裁判事の妻が脅迫容疑で逮捕された事件で、慎重論は払拭される。福岡地検の次席検事がこの判事に捜査情報を漏らしていたことが発覚し、流れが大きく変わった。この情報漏洩問題を調査した法務省は調査報告の中で、「公訴権の行使に民意を反映させることは、検察が独善に陥ることを防ぐとともに、検察に対する国民の信頼と理解を得る上で大きな意義がある」と発表。翌三月に「強制起訴制度」受け入れを表明した。
具体的な法案作りは同年十二月に設置された司法制度改革推進本部で審議され、その結果「審査の公平性と充実の観点」(元推進本部関係者)から、
@『起訴相当』と議決した事件について、検察官が再捜査の結果、再び 不起訴と判断した場合、再度審査する。二回目の審査には、弁護士を補助審査員に委嘱して立ち会わせる
A検審が再び、『起訴相当』と判断した場合、検察官に検察審査会議で意見を述べる機会を与えた上で、八人以上の賛同があれば、検審の議決に拘束力を持たせ『強制起訴』される
B『強制起訴』の場合、裁判所が指定した指定弁護士が公訴を提起し、公判が開かれるとした。この改正検察審査会法は十六年に成立している。
このように検審の権限を見ると、冒頭、紹介した「検審は検察より強い権限を持つ権力機関と化した」という強い危惧を理解できると思う。
小沢事件を審査した第五検察審査会は、「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである」とした上で、「嫌疑不十分として検察官が起訴に躊躇した場合に、いわば国民の責任おいて、公正な刑事裁判の法廷で白黒をつけようとする制度である」としている。
有罪の見込みが強くなければ起訴しないという検察に対して、有罪の見込みがあれば起訴するという検審の起訴基準に強い憂いを感じる。それは、行政権に属する検察権の一部である起訴権限を一般市民に委ねることへの不安であり、同時に検察官でも起訴できないものを一般市民が起訴できるという検審に強大な権限が保障されることへの不安だ。さらに言えば、強制起訴され、裁判の結果、無罪になった場合の責任の所在も明らかではない。
改正検察審査会法が施行される前、「不起訴不当」「起訴相当」の議決を受け、再捜査の結果、起訴された事件の中で、「甲山事件」や「岡山サーキット場放火事件」「徳島市高校生交通死亡事故」などのように最終的に無罪になったケースもある。これらの事件は、検察官が再捜査を行い、検察官が起訴した事案だが、これからは検察官の捜査結果を無視し、審査の過程が不透明なまま権限が強化された検審の判断で強制起訴されるわけだから、無罪になる可能性が高くなるのも否定できない。
しかも、責任の所在が曖昧なのだ。そもそも、強制起訴権限が三権分立の精神に反するという見方もできる。
昨年五月、裁判員制度の実施と並行して改正検察審査法が施行された際、警察や検察関係者、さらには弁護士からもこんな疑問の声が噴出していた。
「検審の権限強化については、ほとんどのマスコミが関心を見せなかったばかりか、法案改正の意味も十分に議論されたとは言えない」
「審査員がくじで選ばれる以上、選ばれた審査員の思想も当然、影響してくる。法律の専門家でない一般国民が弁護士らの指導はあるとはいえ、有罪、無罪の可能性を裁判所に判断させようというのだから、危険だ」
確かに、検審の権限強化については、裁判員制度実施の陰に隠れて、十分に検討されたとは言い難い。
一般国民が犯罪を裁く裁判員制度、一般国民が強制起訴権限を持つ検察審査会。我が国の刑事司法は、国民参加の美辞麗句の前に、その本質を見失いつつあるように感じるのだ。
月刊日本編集部ブログ
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