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安保破棄なら日本は核武装 ライシャワー氏が警告 外交文書公開
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/549.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 11 月 27 日 02:30:21: xbuVR8gI6Txyk
 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101127-00000511-san-pol

沖縄返還を合意した昭和44年11月の日米首脳会談に先立ち、米国のライシャワー元駐日大使が、日米安全保障条約が破棄された場合には「日本は自衛力増強を余儀なくされ、5年以内に核武装するに至るだろう」と日本側に警告していたことが26日、外務省が公開した外交文書で分かった。

 ニューヨーク総領事が44年3月25日に外務省にあてた「秘」指定の公電によると、ライシャワー氏は、米国がベトナム戦争に傾斜していく中で「米国民の中には孤立主義が高まっている」と指摘した上で「米軍が日本から全面撤退するような事態に至るかもしれない」と説明。その結果として日本が5年以内に核武装するとの見方を示した。

 公電では別の米国人学者も「日本は安保条約がなくなれば必ず核武装する。日本の軍国主義は復活し、日米間の衝突は必至になろう」として安保条約破棄に反対していたことが記載されていた。

 一方、ベトナム戦争時の41年1月、ジョンソン米大統領が北爆再開方針を佐藤栄作首相に事前に伝えた親書も公表。大統領は「緊密な関係にかんがみ、爆撃を再開する予定であることを貴下に対し事前に特にお知らせしたい」と同盟関係を強調。「米国はハノイから言葉、または行為による何らの建設的な反応がないままに北爆停止の期間が経過していることに深い憂慮を抱き、これ以上北爆停止を続けることができないとの結論に達した」と記していた。

 また、沖縄返還合意前の44年、米国のアーレイ・バーク海軍大将が、米軍基地撤退を求める動きに関し「日本とその周辺に大きな穴が空く」と懸念を表明。「沖縄の基地が自由に使えなければ、米国は日本と極東を防御する義務を果たせなくなる」と難色を示していたことも分かった。

 

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コメント
 
1. 2015年7月30日 02:55:59 : n3GVMSwIGA


「親日家」ライシャワー本当の顔(山本武利 『文藝春秋』2003年11月)
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/233.html
投稿者 へなちょこ 日時 2003 年 11 月 08 日 06:12:16:Ll6.QZOjNOr.w


ライシャワー大使元特別補佐官の「核密約」証言、なるほど、だった(アラかん)
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/811.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 8 月 07 日 16:00:41: twUjz/PjYItws Tweet


『66年、岩国に核保管』 ライシャワー氏 元補佐官証言(東京新聞)
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/583.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 3 月 17 日 09:49:21: twUjz/PjYItws Tweet




2. 2015年7月30日 03:16:34 : n3GVMSwIGA

左翼にとって読まれたくないブログ?


《熔融鐵鐵斎》Blog

2:J・F・ケネディが任命した駐日大使ライシャワーの見た戦後日本
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-11-22-2


3. 2015年7月30日 03:20:44 : n3GVMSwIGA

読まれたくないなら貼ってあげよう。

<前文>

1960年(昭和35年)に、ライシャワー博士はハーヴァード燕京研究所長として夫人のハルとともに日本を訪問した。その際の記述を以下に引用する。

************

1956年に見たとき以来めざましい経済発展をとげ、もはや戦中から戦後にかけての疲弊の跡をとどめなかった。「日本の奇跡」は、すでに始まっていた。

私は戦後日本に対する自分の解釈を修正し、憂うべきは日本の経済よりも政治面だと思わざるを得なかった。日本は5月から6月にかけて起った日米安全保障条約の改定をめぐる大騒動のあと、まだ立ち直っていないように見えた。いわゆる安保闘争は、戦後日本の政治と日米関係にとって最大の危機であった。

危機の底には深い、拡がりゆく政治的ギャップがあった。

右には官僚と大企業と戦前の大政党からの残存勢力から成り、戦前の政党が地盤とした農村や中小都市の有権者に支持される戦前の体制の残党がいた。そうした政党や大企業の大部分は、戦前はリベラル寄りだったが、軍部が一掃され戦時指導者が追放された結果、保守勢力になった。かつて彼らが占めていた左寄りの地位を奪ったのは、共産主義運動である。日本の共産主義は、1920年代から30年代にかけてインテリと組織労働者の主導により、主に大都市居住民や学生の間に拡がった。軍国主義時代は弾圧されたが、戦後の新しい左翼は戦争のあいだ軍部を恐れて無為だったオールド・リベラルを深く憎み、旧体制の残存者が日本を再び戦前に戻すのを恐れていた。

戦後まもなくは混乱期でもあり、アメリカに対する日本人の態度も一定しなかった。保守勢力は、経済や防衛面での対米依存の必要性をよく認識し、アメリカが与える改革の大部分を「望ましくないものもあるが仕方ない」といった態度で受け入れたが、アメリカの対日政策にはむしろ批判的であり、アメリカ人の独断専行を怒り日本社会の破壊を嘆いたのは彼らだった。これに対して“進歩”派を自称する左翼はアメリカ的改革を大歓迎し、もっと徹底的な改革をと叫んだものだった。

ところが占領末期になってこの図式は逆転し、対米観が入れ替わってしまった。左翼は、アメリカが社会主義のはるか手前で日本改造をストップし、経済復興に重点を移したことに失望した。そして冷戦が徐々にヨーロッパから日本に広がり、1950年にアメリカが朝鮮半島で日本左翼の崇める共産国家を敵とするに及んで、それはアメリカ人への憎悪に変わった。1952年の講和条約が日本に多数の米軍基地を残す形で結ばれると、彼らはアメリカのことを日本を巻き込む戦争挑発者と見、対するソ連や中国を“平和勢力”視するようになった。

左右の対立は、1955年に講和条約をめぐって分裂していた左右両社会党が合同し、一方に自由民主党が誕生することによって、ますます深まった。左翼は社会主義体制の確立と米軍基地撤廃を要求し、右派は社会・経済改革を続けることにより経済発展を優先せよと主張し、米軍基地の存続を含む日米防衛協力は不可分と考えるようになった。経済のほうはめざましく成長し、左翼もあまり批判の余地がなかったが、米軍基地と日米防衛協力によって日本が冷戦に巻き込まれないかという危惧は自民党の弱味であり、左翼は巧みにその点を狙って攻撃を集中した。

こうした状況の中で、岸信介首相は日米安保条約の中で最も不適切な部分を改定することでアメリカ側と合意した。1960年1月に調印された新安保条約によりアメリカは「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与」するため、朝鮮戦争のころのように日本国内の基地を思いのままに使うことはできなくなったし、日本政府の要請に応じて米軍が「日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧」(いずれも旧安保第一条)することもできなくなった。このような改定は、左翼の側から見ても“改正”であるはずだが、民社党を除く野党は旧安保が占領時代の押しつけだったのに反し新安保には日本政府も責任があるとして反対を宣言した。

自民党が衆議院の議席の61%を占めていたから新条約の批准は決まっていたが、改定をめぐる紛争は外的要因により危機的な状況に立ち至った。要因のうち最大のものは、6月19日に予定されていたアイゼンハワー大統領の到着である。岸は、その日までに参議院での審議にかかわらず新安保を自然発効させようと思ったのか、5月19日に手続き的にも無理がある“強行採決”によって条約を衆議院で可決させてしまった。この、“非民主的”行動と日本の政治に対するアメリカの“干渉”によって反対勢力の怒りは爆発した。大規模なデモは、とくに東京において騒乱と化し、何十万もの人が街に出て、岸とアイク訪日と安保に対する反対を叫んだ。日本政府はやむなく大統領の日程をキャンセルしたが、6月19日に新安保が成立してしまうと騒動は急速にやんだ。岸は7月に退陣に追い込まれたが、11月の総選挙では自民党はほぼ前回通りの得票率を挙げ、議席はかえって微増した。しかし5月から6月にかけ日本を襲った政治的混乱は、日本とアメリカの対日信頼感を大きく損なわずにはおかなかった。

日本へと旅立つ直前、クオリティ季刊誌「フォーリン・アフェアーズ」が安保騒動についての寄稿を求めて来たので、私は実地に日本を見てから書くと約束した。だから7月の大部分を、私は日本でいろいろな人とのインタビューに費やし、それを参考に「損なわれた対話」という短い論文を書いた。実は、私の言うような対話は、それまでにも存在しなかったのだが。

私は論文の大半を使って、日本の保守と各野党とアメリカ政府の間に状況把握において食い違いのあることを指摘した。日本の左翼は、アメリカの国際政策と世界情勢について全く見当外れの誤解をし、保守派がアメリカの黙認のもとに日本を戦前の軍国主義的で民主主義なき状態に戻すのではないかと恐れていた。保守は保守で、左翼は現実無視で、ありていに言えば跳っ返りの患者と軽蔑している。さらにアメリカは、日本の指導者層を臆病だがアメリカに忠実なところが取り柄と甘く見て、その協力を当然視し、左派の意見は顧慮するに足りずと思っていた。私の主たる結論は、安保騒動は、アメリカと日本の反政府勢力とのコミュニケーションの不足にあるというのだった。私は相互理解におけるギャップが「実に戦慄すべき域」に達していると書き、日本社会のあらゆる層との対話を持つことこそアメリカにとって急務であると指摘した。

「フォーリン・アフェアーズ」10月号に載った論文は、かなりの評判になった。日本側でも注目したらしく、そのころ人気絶頂だった左翼ラジカル派の雑誌「世界」から翻訳を掲載したいと申し入れがあった。東京のアメリカ大使館も論文の批判的なトーンに反応し、大使のダグラス・マッカーサー2世(マッカーサー元帥の甥に当たる)はなかでも私の書いた「5月から6月にかけてのアメリカ政府とアメリカ大使館の驚くべき状況判断の誤りは、われわれと(日本の)反政府勢力との接触がいかに貧弱だったかを物語っている」という個所に不快を感じたらしかった。

私は大使館に呼ばれ、マッカーサー大使は大量の公電を見せながら大使館が「驚くべき状況判断の誤り」を犯していなかったことを力説した。その説明にも一理があったので、私は日本語訳に当たって字句を少しトーン・ダウンすることを承知した。だが私の修正を見た「世界」は驚き、それをアメリカの知識人に対する米政府の“ファッショ的”干渉と解釈したらしかった。


4. 2015年7月30日 03:21:24 : n3GVMSwIGA
全文の間違い

5. 2015年7月30日 03:24:19 : n3GVMSwIGA
ライシャワーは反日左翼の在日の事は爪の先ほども書いてないな。

6. 2015年7月30日 03:35:08 : n3GVMSwIGA


羊舎研究所 Yosha Research News Nishikie The Steamy East Yosha Press Yosha Bunko

日本語訳による部落問題の抹消
誤りや認識不足は検閲ほど恐くない
ウェザロール ウィリアム
http://members.jcom.home.ne.jp/yosha/yr/minorities/1993_buraku_censorship.html

<略>

1. 『ザ・ジャパネーズ』

日本で最も影響力のある出版社の一つ、文藝春秋から1979年に日本語訳で出版されたエドウィン・ライシャワーの『ザ・ジャパニーズ』は、読者に断わりなしにさまざまな検閲を受けた。その最も大きな「修正」は、歴史的な eta と今日の burakumin についての話を含む半ページにわたる二段落が完全に削除されてしまったことである。部分的に消されたり、書き換えられたりしたところも少なくない。

部分的に削除された一例は Isolation (孤立)という第3章にある。「アイヌは現在の諸人種がまだはっきりと分化されてなかった時代からの昔の人型を代表するかも知れない」といった、アイヌの起源を進化論的に論じた部分が日本語版から消えた。この原文は、次の通りである。カットされたところが二本線でアンダーラインされている。[n1]

Actually the Japanese islands form a sort of cul-de-sac into which various peoples drifted over time and, finding no exit, were forced to mix with later comers. Among these were the Ainu, who may represent an early type of man dating from a period before the modern races became clearly differentiated. In any case, they combine some characteristics of the white race, notably their hairiness of face and body, with characteristics associated with other races. Thus the Ainu may account for the somewhat greater hairiness of some Japanese as compared to most other members of the Mongoloid race.

これは下記のような日本語に訳された。[n2]

あえていうなら、日本列島というのは、いわば一種の袋小路といってもよく、さまざまな人間集団が長期にわたってたどりつき、出口がないままに定着、遅れてやってきた集団と混じりあうことを余儀なくされたと考えられる。その一つはアイヌで、体毛の多い点では、白色人種の特色を有し、他人種の特色をも兼ね備えている。日本人の中に、他の蒙古人種より多毛な人が散見されるのは、あるいはアイヌがその理由であろう。

同じ章においては、Ainu(アイヌ民族)や Koreans(在日韓国・朝鮮人)の話に続いて「過去には eta も含めてさまざまな呼称で知られた、今は普通 burakumin と呼ばれているアウトカースト[注:インドの四姓外、徳川時代の士農工商外、などの賎民]のような集団」が、「日本人の均質性の顕著な例外の一つ」として、次のように紹介された。[n3]

One extraordinary exception to Japanese homogeneity, however, deserves mention. This is the survival from feudal times of a sort of outcast group, known in the past by various names, including the term eta, but now usually called burakumin, or "hamlet people," a contraction from "people of special hamlets." This group, which may number about 2 percent of the population, probably originated from various sources, such as the vanquished in wars or those whose work was considered particularly demeaning. Clearly they included people engaged in leather work or butchery, since the Buddhist prejudice against the taking of all animal life made others look down on such persons, though, it should be noted, not on the butchers of human life in a feudal society dominated by a military elite.

The burakumin have enjoyed full legal equality for more than a century, but social prejudice against them is still extreme. While they are in no way distinguishable physically from the rest of the Japanese and are not culturally distinct except for their generally underprivileged status, most Japanese are loath to have contact with them and are careful to check family records to insure that they avoid intermarriage. In the highly urganized Japan of today, the burakumin are becoming progressively less recognizable, but their survival as an identifiable group is a surprising contrast to the otherwise almost complete homogeneity of the Japanese people.

しかし、この二つのパラグラフは、事実性や共感性の両面から見てそれぞれに70点や90点を付けても甘くないのに、日本語版から完全に削除された。[n4]

Hierarchy(ヒエラルキー)に関する第16章には、イデオロギー的に書き換えれれた部分がある。原文は次のようである。単線のアンダーラインで示されている部分は、日本語版ではイデオロギー的に書き換えられた。二本線でアンダーラインされている部分は、日本語版では削除された。[n5]

Class distinctions can exist even in the absence of a nobility and legal class lines. ... The Japanese group, unlike the Indian caste, is normally not made up of people of the same status and function, but of people of different function and status. The two major exceptions to this rule, as noted earlier, are the eta or burakumin and possibly the recent Korean immigrants, but these account for only a tiny part of the population. ...

...

... At the other end of the scale, great cultural homogeneity and a relatively small and uniform geographic environment have meant that there are no large ethnic or regional groups of "underprivileged" persons, as in the United States. The burakumin and the Koreans offer some problems, and there are a few other people who do not make the grade and become skid-row derelicts or drift into crime. ...

日本語版では下のようになった。[n6]

 たとえ貴族が存在せず、法制上の階級差がなかったとしても、階級の区別はむろん厳存しうる。・・・インドのカーストとは異なり、日本的集団というのは、さまざまな機能や地位の人間から成り立つもので、同一の機能や地位の人間によって構成されてはいない。

 むろん例外はある。一つはいわゆる未解放部落民である。いま一つは比較的新しく日本にやってきた朝鮮人である。これについては、すでに述べた。しかし彼らとても、全体の中ではごくごく少数にしかすぎない。

 ・・・

 他方の極では、アメリカとはちがい、文化的は均質性の高さと、地理的環境の画一性から、「恵まれない」民族集団や、地域集団の存在はほぼ皆無に近い。

 とはいえ、なかには脱落してドヤ街に身を落としたり、犯罪の道を歩む者も、少数ながらいないではない。 ・・・

『ザ・ジャパニーズ』の日本語版はこれほど検閲されたのにもかかわらず、帯にも訳者あとがきにも「完訳」と主張された。部落解放同盟は、原書にある部落について書かれた箇所を「差別文章」として検討したうえ、「確認・糾弾会を含めた、対策を出すことにした」。[n7]

<略>


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