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「本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(11) (「ジャーナリスト同盟」通信)
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/299.html
投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 23 日 21:42:12: ulZUCBWYQe7Lk
 

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51685657.html
『「ジャーナリスト同盟」通信』の本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(11)
2010年11月23日から下記を転載投稿します。

=転載開始=

<新華社OBの張さん来訪> 

 11月6日は土曜日。多忙な張さんがわざわざ国際交流中心に来てくれた。朝食は昨夜のいただきもので済ませた後、朝っぱら近くの公園を散歩した。16世紀に中国でキリスト教の伝導をした宣教師の墓地のある由緒ある公園だ。キリスト者なのか、4〜5人の男女がそこで突っ立ったまま声を上げている。お祈りか。不思議な光景だが、散歩する市民は関心を示さない。この30年で社会の雰囲気や市民精神がすっかり変わったのだ。公園には柿の木が何本もある。実もなっているが、形は真ん中がくびれている。日本では見ない種類だ。

 辺りの5階建て住居の周囲を弦が縦横にはり巡らしている。歴史を感じさせる住宅だ。銀杏の葉は黄色くなって地上を埋めていた。ポプラの葉はまだ青々として落下する気配がない。暖秋なのだ。
 近くのコンビニで乾燥した木クラゲを4袋購入した。格好の日本への土産だ。
部屋に戻り待機していると、新華社OBの張さんが来てくれた。久しぶりの再会である。彼を正午にイスラム食堂に案内した。「今日は71歳の誕生日だ」という。天気もいいし、どこかへ行こうと相談した。夕刻に約束していた王さんが「風邪で行けない」と電話してきたからでもあった。風邪がはやり出したのか。

<員明園散策>

 阜成門から地下鉄を利用すると、どこが便利か。子供ではないので、北京動物園でパンダ見物というわけにはいかない。彼の母校である北京大学の森と湖水は、既に何度も足を運んだ。その先の員明園(ユアンミングユアン)に行くことにした。一度行ったことがあるが、よくは見ていない。
 地下鉄の北京大学駅の次である。休日だから乗客はかなりいる。下車すると、目の前が3区画の巨大な庭園の入り口だ。見学を終えて出てくる人、これから入る人で賑わっている。清の乾隆帝が建設を始め、実に完成するまで80年の歳月をかけた途方もない広さだ。入口をくぐると、柳の巨木が長い枝を垂らして観光客を出迎えてくれる。いい雰囲気を見学者に与えてくれる。

<アングロサクソンの策謀>

 しかし、歩き続けてゆくと悲惨な場面が待ち構えている。有名な西洋楼遺祉の現場だ。現在も無残な残がいをさらしたまま見学者を迎えてくれる。この豪華すぎる建造物を何故に破壊したのか。1860年に英仏連合軍の横暴にあきれ返るばかりだ。ことしは150年になる。その後に日本も加わった8カ国連合軍も。日本軍の悪逆非道と比較はできないが、列強の野蛮さもここに立つと容易に証明できる。説明不要だ。
宝物を持ち出して火を付け、さらに芸術的な建造物を根こそぎ破壊し尽くしている。科学の進歩と野蛮性・残虐さは比例していることがわかる。産業革命が野蛮な源泉なのである。科学と進歩という単純な測定機では測れない。
 無残に転がっている石碑の彫刻を、張さんは懸命にカメラに収めていた。よく見たのは初めてだと言った。中国の知識人でもよく知らなかったらしい。「欧米人がここにきて見学するといい」と吐き捨てるようにも口走った。ここに立つと愛国心が燃えたぎるのは自然なのだ。健全な民族主義は健全である。
長椅子(ベンチ)で、目の前に広がる池を見ながらしばし雑談をした。そんなに思考を働かさなくても、アングロサクソンの策謀家の手口がよく見えてくるから不思議だ。アジアの学者はここに立って現在と将来の東アジアを語るといいだろう。知恵が沸いてくること請け合いだ。

<地下鉄超満員> 

 にわかカメラマンになった張さんは、辺りが暗くなるのも忘れてシャッターを押し続けた。若いころの記者生活に舞い戻ったのであろう。足腰が疲れてきた。よく歩いた。それにしても広大である。散策場所としても最適だ。
 思うに、清朝政府がこれを手がけるにあたって、どれほどの人民を犠牲にしたものか。人民の農地を奪ったものか。想像するだけでもすごいことである。それでいて、せっかくの宝物を侵略軍にそっくり略奪されてしまった。その一部は今も日本にも眠っているのかもしれない。掠奪者は返還の義務を負っているだろう。
 もう時間は5時を過ぎていた。地下鉄は混んでいたが、運よく目の前の乗客が下車してくれた。二人とも高齢者世代だから遠慮せずに座った。しかし、西直門駅で一人乗り換えねばならなかった。すし詰め・超満員だ。扉に近づくこともできない混雑ぶりだ。
 日本の朝の混雑を経験しなくなって大分経つものだから、出口に向かう要領がわからない。それに日本人は、扉近くの乗客は進んで下車してくれるから、車両の奥にいてもなんとか降りられる。しかし、中国人にはそうしたルールはまだ不十分だ。ガンとして入口に立って動かない。
 さすがに焦ってしまった。張さんも座ったままやきもきしている様子がわかるだけに、余計に必死になってしまった。かろうじて扉から外に出た。安堵した。こんなことも珍しい体験だ。
 人口過密の高い北京、休日の土曜日に外出する多くの市民、変貌した成長社会を象徴していたのである。喜ぶべきかもしれない。

 それでも、午後6時過ぎに学校に飛び込むことが出来た。まだ学生食堂が開いていた。休日のせいか学生は少ない。注文するのが楽である。目の前の料理を指さした。チャーハンのようだった。よほどお腹がすいていると思われたのか、服務員のおばさんは、お皿に山盛りにして差し出してきた。ありがたかったが、塩分が効き過ぎていた。これは注文失敗である。

<香山紅葉狩り> 
 日曜日の11月7日は苑さんと学生が計画してくれた北京郊外の名所・香山登山である。紅葉狩りである。10万人が登山した休日もあったというから、今日もそうかもしれなかった。上海では100万人もの市民が殺到した万博会場を垣間見てきている日本人だ。10万人と聞いても、そんなに驚かなくなっている。免疫が出来たのだ。

<未明の思索> 

 昨夜はこの日のために早くベッドにもぐった。そのせいで午前3時過ぎに目を覚ましてしまった。気が付いたら暖房が入っていた。張さんとの散策での雑談の一部が脳裏に蘇ってきた。思索し始めると、今度はなかなか寝付くことが出来ない。頭が冴えてくる。
 日本国憲法に襲いかかる財官閥とワシントンの策略のことである。それが中国台頭と日米衰退のもとで急浮上してきている。軍事・経済面で北京を追い込もうとしていることが、ここへきて特に政経塾政権発足後に際立って見えてきている。標的の一つが平和憲法破壊だ。そのための悪魔的環境整備を始動させている。
 静かに思索を深めてゆくと、これらがくっきりと見えてくる。
 「橋のない川」を書いた住井すえさんの最後の講演録が思い浮かぶ。彼女が「敗戦後の憲法にどうして天皇制が盛られたのか。憲政の神様といわれた尾崎行雄が、これではまた3発目の原爆が投下されると警鐘を鳴らしていたではないか」という下りである。これが鋭い槍のように胸を突きさしてくる。
 天皇制の背後に蠢く偏狭な民族主義・国粋主義の存在である。住井分析のすごさだ。尾崎も宇都宮さんも、である。後藤田も、だろう。これを回避する日本研究者ばかり、という不甲斐ないありさまである。
 アングロサクソンに全てをゆだねると、戦前の二の舞になる日本ということになろう。

<バスで2元> 

 日曜日のイスラム食堂は、いつもと違って朝の7時は空いていた。例の老夫妻は仲良く栄養たっぷりの食事を取っていた。筆者も登山を考えて、饅頭2個のほか焼きパンを追加、豆乳2杯を全てたいらげた。
 8時にロビーに出ると、傳君と陶君が待っていた。もう一人の学生は失恋で一晩中泣いていたという。失恋はきつい。でも、人間はそうして成長してゆく。次は良い女性に恵まれるだろう。心の優しい人に。彼はきっと、このブログを見て強くなるはずである。
 学校前のバスに乗ると乗り換えなしに20キロ先の終点・香山入口に着く。休日の路上はそんなに混んではいない。バスは一直線、居眠りしていても目的地につける。なんとも便利である。
 値段を聞いてびっくりする日本人は多いだろう。2元だ。日本円にして30円程度か。しばらくして座席に座ることが出来た。2人のエリート学生と一緒だから迷子の心配も、言葉の不便も感じない。
 香山入口は、すごい数の市民で膨れ上がっていた。今秋最期の紅葉狩りというのだから、恐らく10万人の人出なのだろう。最も暖秋だからパッとした色彩は見られなかった。入口で待っていてくれた苑さんと4人で登山を始めた。
 ここには2度来たことがある。シンポジウムなどである。だから途中までしか登ることが出来なかった。今日こそ登頂する絶好の機会なのだ。運動靴を履いての北京訪問である。不可能ではない。
 しかし、頂上を目前にすると狭く階段が急こう配になっている。時には手すりにつかまる場面も。それに車ならぬ人間の大渋滞である。身動きも出来ない時もしばしばだ。陶君と目的を達した。
 頂上周辺の木々には赤い布が無数巻きつけられている。日本の神社で見受けられる御神籤(おみくじ)のようなものか。突風が吹き荒れていた。仏閣のような建物の中では食べ物も売っていた。いたるところ人間が鈴なりのありさまである。
 陶君と記念写真を撮ると下山した。そこでも大渋滞だ。足が前に進まない。紅葉よりも人間が山を着飾ったような、この日の香山だった。とはいえ初登頂成功に大満足だった。長身の陶君がそばについていることも、大いに助けられた。既に何度も登頂している苑さんと傳君は、のんびりと山登りを楽しんで過ごしていた。
 下山すると、再びバスで市内に戻った。傳君は用事で人民日報へと、我々3人はおいしくて安いという食堂に入った。大衆白酒・二鍋頭酒の小びんを2本あけた。すきっ腹の昼食はたまらなくおいしかった。

2010年11月23日11時40分記

=転載終了=

<反日は虚報>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(1) 
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/406.html

<ひやり快速電車>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(2)
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/415.html

<中国社会科学院日本研究所>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(3)
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/462.html

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(4)(5)(6)(7) 
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/889.html  

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(8)
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/110.html

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(9)
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/203.html

<イスラム食堂>など : 「本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(10)
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/259.html  

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コメント
 
01. 2010年11月23日 22:08:16: kbjD6Oqr1Y
小説を読んでいるようで、面白く中国の今を感じられます。
素晴らしい日記です。

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