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前原前民進党代表(上):希望の党との連携・ あの決断は後悔していません !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2017 年 12 月 15 日 21:15:38: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


前原前民進党代表(上):

   「希望の党との連携・あの決断は後悔していません」

植草氏:希望の党への合流を決めて、

    混迷させた、前原誠司氏の責任は重大だ !

(news.nicovideo.jp:2017年12/12(火) 9:15配信より抜粋・転載)

プレジデントオンライン:前原誠司・前民進党代表の主張:

衆院選では民進党代表として、小池百合子・東京都知事が率いる希望の党との連携を決断した前原誠司氏。その結果は惨敗だった。民進党は立憲民主党、希望の党など4つに分裂し、「安倍1強」の政治体制が残された。「総選挙敗北、野党分解のA級戦犯」と批判のある前原氏を、ノンフィクション作家の塩田潮氏が直撃した――。

■何もしなかったら政治人生は終わっていた !

 【塩田潮】10月の総選挙では、民進党代表として小池百合子・東京都知事が率いる希望の党との連携を決断しましたが、希望の党の獲得議席は50にとどまり、民進党は立憲民主党、希望の党、衆議院議員13人の無所属の会、参議院議員を中心とする民進党に4分裂しました。野党再編を目指した前原さんと小池さんの戦略は失敗に終わったと見られています。

 【前原誠司・前民進党代表】私はあの決断についてはまったく後悔していません。さまざまなボタンの掛け違えで、与党が3分の2の議席を獲得した。「1強」を壊せなかったことについては非常に残念な思いですが、あの決断はあれしかなかったと思っています。

 【塩田】前原さんに対して「総選挙敗北・野党分解のA級戦犯」という批判もあります。

 【前原】2012年の民主党政権崩壊については、私はその「A級戦犯」の一人だと思っていますが、今度のことで「A級戦犯」と言われたことはないですね。
「何もしなかったら無能と言われていた。チャレンジして失敗しても無能とは言われない」と評価してくれた方がいましたが、何もせず、離党者が続出し、自分の心と違う共産党とのすみ分けをやり、それで獲得議席が半分以下になって、責任を取って辞めろと言われたら、私の政治人生はそこで終わっていた可能性があります。今回はこれを決断してよかったと思っています。

 【塩田】民進党代表に就任したのは9月1日でした。

 【前原】1年前も代表選に出て蓮舫さん(元民進党代表)に負けた。民進党の再生は、国民の負担率を上げてでも、みんなの税でみんなを支え、みんなが持っている不安を解消するという「オール・フォア・オール」 (All for All)の考え方に立って、自民党の経済モデルであるアベノミクスとは違う国家像を示すことが不可欠と確信し、これを民進党の考えに、次の総選挙の旗に、という思いで代表選に出馬しました。

 【塩田】代表選出馬の段階で小池さんの国政進出や小池新党を意識していましたか。

 【前原】それはありました。蓮舫さん辞任の直接の原因は都議選惨敗でしたから。小池さんは次は国政に出てくるのでは、と言われていたので、非常に意識していました。

 【塩田】「安倍晋三首相が解散を決意か」と報じられたのが9月半ばでした。

 【前原】さみだれ式に離党者が出て、代表就任後、リスクマネジメントしなければという状況に加え、幹事長予定者がスキャンダルで起用見送りどころか離党となる。
足元を見透かすように解散に打って出たわけですが、私には2つの選択肢がありました。一つは共産党、社民党、自由党との野党共闘、もう一つは小池新党との連携です。

 日米安保条約破棄を唱え、消費税を認めない共産と政権選択選挙で組むことには非常に違和感があった。離党者もそこが大きなポイントでした。私はど真ん中に持っていきたいと思った。

一方、小池さんが希望の党結成を表明した直後の毎日新聞の世論調査で「総選挙での比例区投票先は自民29%、民進8%、希望18%」と出た。民進党内はさらに浮き足立ち、集団離党もという雰囲気になる。私は小池さんと組むしかないと決断しました。

 【塩田】小池さんは保守2大政党論者だと思いますが、前原さんもそれが持論では。

 【前原】そうですね。小池さんとは日本新党で一緒でした。自民党とは別に新しい保守政党と言って細川護煕元首相が結成した党で、ともに保守を自認していた。1992年の参院選で小池さんは日本新党の比例区の候補で、京都府議だった私は近畿・四国遊説隊長として裏方を務めました。

翌年の総選挙では同じ日本新党の候補で、応援にもきていただいた。小池さんには少なくとも外交・安保政策は左ではないという安心感がありました。

■一番激しい交渉は、公認候補の問題だった !

 【塩田】今年6月、細川さんが前原さんや小池さんと接触したと報じられました。

 【前原】それはばらばらで、3人で会ったのではありません。私は6月2日、東京・銀座の細川さんの書や陶芸の個展に伺い、細川さんと小1時間、話をした。私は将来的に小池さんと連携できるのではと思っていた。

政界再編をやらずに民進党で次の総選挙に突っ込んでも無理という思いがあったから、細川さんに話をしました。そこで「日本新党の同窓会を」とお願いした。
やりましょうという話になり、私がツイッターに「日本新党が私の原点」と書いたら、相前後して小池さんも「日本新党が原点」と発言された。それで3人が話し合っているのではという記事が出ました。

 【塩田】細川さんは小池さんにどんな働きかけを。

 【前原】それは私にはわかりません。ただ、解散になりそうだという9月17日、私は小池さんに連絡を取ろうとした。その日、向こうからもある方を通じてアプローチがあった。双方同時でした。阿吽の呼吸です。

 【塩田】小池さんが前原さんにアプローチした狙いは何だったと思いますか。

 【前原】小池さんは民進党と組まなくても、首都圏を中心に、ひょっとしたら60〜70議席取れたと思うんですが、それではなんの意味もないと思った。首相に、と思ったかどうかは別にして、今の安倍政権と違う保守の勢力を生み出し、保守2大政党政治をつくるチャンスと判断した。

それで私にアプローチをしてきた。私も民進党が総選挙で小池新党とガチンコで戦ったら、目も当てられないと思った。お互いの利害が一致したと思います。

 【塩田】小池さんの側との事前交渉で問題となった点は。

 【前原】初めての本格的交渉は9月22日で、小池さんが信頼する右腕の代理人の方と3時間半くらい話し合った。国会議員ではありません。向こうは組むつもりかどうか、私も疑心暗鬼でした。

はしごを外されるかもしれないから、注意深く接しました。向こうもそうだったと思います。いくつかの事項を確認して、これは本気だなと思いました。

 一番激しい交渉となったのは公認候補の問題でした。総選挙の小選挙区は 289ですが、私は「3分の2をこちらに」と主張しました。向こうは「それだと、第2民進党と言われる。2分の1ずつに。こちらには現に160人くらいの候補者がいる」と言う。

代理人の方が「小池さんはもう65歳です。国政政党の党首として、ここで60〜70議席を取っても、なんの意味もない。選挙が強くて、かつて政権中枢にいた民進党の方々の経験を生かしながら、政権交代まで持っていきたい」「選挙協力は駄目。

一緒になって、選挙はすみ分けで」とおっしゃる。そこで「3分の2と3分の1」か「2分の1ずつ」かという話はそのままにして、候補者調整をということで進めていきました。

 【塩田】小池さんが民進出身候補の丸ごと受け入れは「さらさらない」と発言して選別路線を打ち出し、「排除の論理」と言われました。

 【前原】私が見たことのない「排除者リスト」が飛び出して、民進党内に疑心暗鬼が生まれました。ですが、交渉の最中だったので、私は何も言わなかった。

 【塩田】排除者リストは、前原さんに相談なく、向こうが勝手に流したのですか。

 【前原】出所がよくわからない。何よりも私には提示されていません。リストに野田佳彦元首相が入っていたというんです。
松下政経塾の先輩で、大事な方と思っているので、小池さんに電話して「野田さんも排除するのですか」と言ったら、「そんなつもりはまったくない」という話でした。その例を一つ取っても、排除者リストは事実ではなかった。

 小池さんが表で何を言われようが、私はわれわれ全員を公認すると思っていた。ですから、候補者調整では排除者リストには言及しなかった。交渉は、こちらは玄葉光一郎さん(元外相)にやってもらった。向こうは若狭勝さん(前衆議院議員)が出てきた。

私は玄葉さんに「もし排除者リストなるものが出てきたとしても、気にしないでくれ」と申し上げた。玄葉さんも「若狭さんからそれは出てこなかった」と言っていた。

 ほかに、若狭塾の第1次公認リストが流れました。ですが、私は「若狭塾のポッと出の人が準備もなく当選できるような甘い選挙ではない。
東京は小池さんの人気で勝てるかもしれないけど、地域で根を張って活動し、連合との関係をきちんと築いてきた人たちを公認しなければ駄目ですよ」と申し上げた。

民進党としてやっていた世論調査に基づく各選挙区の情勢分析を向こうに全部渡して「これも参考にしてくれ」と言って交渉しました。−この続きは次回投稿します−

(参考資料)

   第二自民党・希望の党への合流を決めて、

   混迷させた、前原誠司氏の責任は重大だ !

(「植草一秀の『知られざる真実』」:2017/10/23より抜粋・転載)

◆第二自民党・希望の党への合流を決めて、

混迷させた、前原誠司氏の責任は重大だ !

前原誠司氏の責任は重大であり、直ちに前原氏は民進党代表を辞任するべきである。

ただし、この万死に値する行動の副産物として、民進党の分離・分割が実現し、初めて本当の意味の野党共闘体制が確立され、立憲民主党の多数議席確保が実現した。

本来は、民進党代表戦の段階で実行されるべきことであり、それが遅れたために成果は限定されたものになったが、ようやく、あるべき野党共闘の姿が生み出されたのだと言える。

この方式こそ、オールジャパン平和と共生が、単なる野党共闘を推進する市民連合とは、一線を画して唱えてきた「政策連合」=政策を基軸にした主権者の連帯形成であった。

◆「政策連合」=政策を基軸にした主権者の連帯形成

    で効果を発揮したのは、北海道と新潟県だ !

この方式がとりわけ有効に効果を発揮したのが、北海道と新潟県である。

政策を基軸に、党派を超えて、主権者が主導して、選挙を戦う図式を作る。

北海道と新潟はこの方式で野党共闘を構築して大きな結果を示した。

他の地域では、希望の党の位置付けがあいまいになり、この希望の党勢力と立憲民主党・共産党を軸とする野党共闘とが競合関係を構築してしまい、自公勢力に漁夫の利を与えてしまった。

その結果、安倍自公に3分の2勢力を与えることになってしまったのである。

◆立憲民主を基軸にする野党共闘勢力が

   短期日ではあったが一定の結果をだした !

しかし、立憲民主を基軸にする野党共闘勢力が短期日ではあったが一定の結果を残したことが、今後に残した「希望の光」は大きい。重要なことは、「単なる数合わせ」ではなく、「政策を基軸に、安倍自公に対峙する勢力の結集を図ること」だ。

10月3日付のメルマガ記事タイトルを「希望の党合流民進党候補の当選は難しい」として、民進党から、政策の根幹を放棄するかたちで希望の党に合流する候補者の当選は難しいことを指摘したが、現実にその通りになった。主権者は単なる数合わせなど求めていない。

主権者が求める政策を明確に示し、その政策実現のために連帯、連合する勢力なら本気で応援するのだ。

 

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