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群馬県で、ヘリコプター墜落事故 ! 証言でみる墜落の経緯は ?
1985年・日航機・JAL123便・墜落事故の真相は ?
(www3.nhk.or.jp:2017年11月9日 18時15分より抜粋・転載)
群馬県上野村でヘリコプターが墜落するまでのいきさつが住民の証言などから明らかになってきました。
ヘリコプターが墜落したのは、11月8日午後2時半ごろ、上野村役場から西におよそ700メートル離れた場所でした。この機体は、山梨県から栃木県に向かっていたということで、上野村の中心部の上空では、いったんは、本来のルートと同じ南西から北東へと飛行するのが、住民に目撃されていました。
◆ヘリコプターが、本来のルートから逆にUターンした !
ところが、住民などの証言では、村の中心部から北西方向の山の辺りで、ヘリコプターが本来のルートから逆にUターンしたということです。
その様子を見ていたというガソリンスタンドの従業員の話では、Uターンのあと、高度を急激に下げ、機体から煙のようなものが出ていたということです。
機体は、さらに高度を下げて低空を飛行するようになり、村の中心部を流れる川の南側を西の方向へ飛行したあと、国道のトンネルのある山の手前で右に旋回したということです。
住民のひとりは「山にぶつかるのではないかと思うほど、高度が低かった」と証言しています。
◆機体から部品が脱落して飛び散ったとか、煙が出ていたと証言 !
このころに、機体から部品が脱落して飛び散ったとか、煙が出ていたと証言する住民もいます。そして最終的に機体が回転しながら機首が下がり、墜落したということです。
証言「方向転換 高度下がる」
ヘリコプターが墜落する直前、墜落現場からおよそ2キロ東に離れた、上野村のガソリンスタンドで働いていた浅川大さん(38)は、「給油の合間に空を見るとヘリコプターが飛んできて、ガソリンスタンドのさらに東の方角にある、送電線の辺りで、急に方向転換をした。
それと同時に高度が、ガクッと下がったので、大丈夫かなと思いよく見てみると、機体は白い煙のようなものに包まれていた。そのあと村が停電になった」と話していました。
◆証言:ヘリコプターの飛ぶ、「高度低いと思った」 !
墜落現場から500メートルほど離れた場所で、墓の掃除をしていた、今井善一さん(73)は、ヘリコプターが、南西から北東に飛んでいくのを見たあと、ほどなくして同じ機体と見られるヘリコプターが北東の山の上から逆方向に向かって飛んできたということです。
そして、そのまま村の上空を低い高度で横切り、今井さんはヘリコプターが臨時のヘリポートとして使われている山村広場に着陸するものだと思い、様子を見に行ったところ、住宅地の先から黒煙が上がったということです。
今井さんは「ヘリコプターの飛ぶ高度が、低いなと思って見ていた。ドクターヘリが来るときなどは、村が放送で知らせるが、放送がないのでおかしいなと思った」と話していました。
◆証言:「機体が回転」「部品が落下」
墜落現場から川を挟んで、およそ500メートル離れた広場で、グラウンドゴルフをしていた住民11人は、ヘリコプターが墜落する様子を、間近で見ていました。そのうちの1人、黒澤正二さん(76)は、ヘリコプターが、広場の南寄りを低空飛行したあと、西側の山の中腹に向かっていったため、「ぶつかるのではないか」と思ったということです。
ヘリコプターは、山の手前で右に旋回したあと高度を下げ、ドカンという音とともに川にかかる橋の上で火柱があがったということです。黒澤さんは「機体が回転しながら、最後は頭のほうから突っ込んでいった」と話しました。
◆墜落する直前に部品のようなものが機体から飛んだ !
一緒にグラウンドゴルフをしていた別の男性は、「ヘリコプターは、墜落する直前に部品のようなものが機体から飛んだように見えた」と証言しました。
上野村では、32年前の昭和60年、520人が犠牲となった、日航ジャンボ機の墜落事故が起き、その際、この広場や河原が臨時のヘリポートになったということです。
◆証言:「橋の上で機体燃える」 !
上野村の消防団員、黒澤成寿さん(43)は、消火活動の前後に、墜落現場の写真を撮っていました。黒澤さんは、「ヘリコプターが落ちたと聞いて駆けつけると、橋の上で機体が燃えていて、黒い煙が山の上のほうまで立ち上っていた。現場付近では、ゴムが焼けたようなにおいが漂い、壊れた機体や乗務員の携帯電話、焼け焦げた書類などが散乱していた」と事故の衝撃の大きさを説明しました。
そして「近くにある広場が緊急時のヘリポートとして使われていたが、事故当時はグラウンドゴルフをしている人たちがいたので降りられなかったのではないか。亡くなられた方には気の毒だが住民にけががなくてほっとしている」と話していました。
(参考資料)
T 群馬・上野村でヘリ墜落・炎上、搭乗の4人死亡 !
(www.yomiuri.co.jp:2017年11月08日 22時23分より抜粋・転載)
11月8日午後2時25分頃、群馬県上野村乙母おともで、「東邦航空」(本社・東京)のヘリコプターが墜落し、搭乗していた、男性4人全員が死亡した。
ヘリは、村役場の西約600メートルの川に架かる橋に落ちて大破し、炎上した。県警が原因を調べている。
U 「群馬県でヘリ墜落」レコーダー搭載せず ! 原因究明長期化も
(news.nicovideo.jp:2017/11/09 11:13より抜粋・転載)
毎日新聞:
国土交通省運輸安全委員会は航空事故調査官3人を現地に派遣し、9日から事故原因の調査を始めたが、原因究明は長期化する可能性もある。
フライトレコーダーは離着陸間の速度や高度、機体の傾き、エンジン出力、操縦動作などを記録する装置。墜落の衝撃や火災などに耐えられるよう設計されているが、県警が機体の残骸を調べたところ、確認できなかったという。
事故は8日午後2時25分ごろ発生。上野村乙母(おとも)の藤沢橋の上にヘリが墜落し、機長と整備士計4人全員が死亡した。気象庁によると、当時、上野村の天気は曇り。隣接する神流町の観測点では風速は1メートル未満と弱く、強風や雷の注意報も出ていなかった。【杉直樹、西銘研志郎】
V 「日航機事故思い出す」=ヘリ墜落から一夜明け−群馬・上野村
(news.nifty.com:2017年11月09日 10時02分より抜粋・転載)
時事通信:
4人が死亡したヘリコプター墜落事故から一夜明けた、11月9日、群馬県上野村の現場で警察や消防、国土交通省の航空事故調査官ら計50人以上が焼け焦げた機体などを調べた。
同村の御巣鷹山では、1985年8月に日航機墜落事故が発生しており、住民は「当時を思い出した」と話した。
橋の上で炎上した機体の周囲には、ブルーシートが掛けられた。橋の手すりなどには焦げたような跡が点在。機体の破片は50メートルほどの範囲に飛散し、川岸や中州にも落ちていた。捜査員らは写真を撮ったり、巻き尺で距離を測ったりした。
ヘリが落ちる瞬間を目撃したという無職黒沢博夫さん(84)は「グオーンという異常な音を出しつつ、回転しながら墜落した」と証言した。日航機事故の当時は、村役場勤務で、救援の人集めに奔走したという。「またここで起きてしまった。集落に落ちていたらと思うとぞっとする」と不安げな様子で作業を見詰めていた。
W 1985年・日航機・JAL123便 墜落事故の真相は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、 驚天動地、世界規模の大事件だった !
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !彼らは、一体どこへ消えたのか !?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言 !
☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。
☆元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された。
JAL 123 Saso Kunio 01
★元日航職員佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗氏は、自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な存在だった。
2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。
享年59歳。亡くなる前日のワールド・フォーラム(前述の動画はその開始部分)で「天皇の金塊」著者高橋五郎氏の講演に続き自身が登壇、用意された「おーいお茶」500mlボトルに口をつけて1分以内に椅子から崩れ落ちる。
最前列の聴講者が、機転を利かし、素早くそのボトルを確保し、後で遺族に提出した。不審な数人の男達が飛び出し、同じくその
ボトルを確保しようとしたが得られず、凄い形相で、その聴講者を睨みつけたという。(コメント38参照)
★日航機は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんです !
ビデオ佐宗邦皇氏発言書き起こし、解説 「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。
僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、「中性子爆弾の空対空ミサイル」だった可能性があるんですね。一回ぽきっと折れて、後部は、グライダー状態に落ちて行った。
空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。
“内部隔壁が原因というのは嘘”なんですね。
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって
着陸体勢に入っていたが、着陸を拒否された !
尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。
ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。
私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。
それで、横田基地への着陸を認めないから、飛行機は、ずっと御巣鷹山まで追い込まれた。
目的は、アメリカが、プラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実
を発信する活動をしていた !
元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏が、立ち上げた、ワールド・フォーラムでは、各界の優れた講師を招き、或いは自らが講師として、世界の真実を発信する活動をしていた。
その内容は、万人が知るべき大変重要な情報であったが、世界支配者層にとっては、絶対に知られてはならないものばかりだった。以下の動画は、佐宗邦皇氏が、9・11事件の真相を伝えるもの。
佐宗邦皇氏の深い洞察力には、驚嘆させられる。必見 !
【全編】佐宗邦皇氏「米国で起こった2度の軍事クーデター」http://www.youtube.com/watch?v=Abq_bIFGwFA
☆JAL123便撃墜の証拠が、写真誌フォーカスに !!
第3エンジンから突き出る不発弾と思しきファルコンミサイル !
JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは、発射された。(2)http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/66f90662378566829c72baa85589bd29−以下省略−
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