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改憲派議席が375、反改憲派議席が90
なったが、希望の石を切り出すべきだ !
『報ステ』:改憲・緊急事態条項の危険性、
安倍首相とヒットラーの類似点を示唆 !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2017/11/01より抜粋・転載)
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1)10月30日、憲法改悪を許さないことをテーマに、熱気ある
集会が、開催された !
10月30日に大田区民ホールアプリコ大ホールで、JR東労組結成30周年記念集会が開かれた。
1500人収容のホールを満席にして、憲法改悪を許さないことをテーマに3時間半にわたる熱気ある集会が催された。
2002年11月1日に発生した、冤罪浦和電車区事件から、15年の年月が流れた。
自公政権下、平和運動、労働運動を弾圧するための冤罪事案が国家によって引き起こされた。
後藤昌次郎弁護士は、「国会にしかできない犯罪。それは戦争と冤罪である」の言葉を遺されたが、その国家による、重大犯罪である冤罪が、平和運動と労働運動を弾圧するために引き起こされたのである。
2)平和運動と労働運動を弾圧するため、7名の組合員
が、不当に逮捕され、勾留された !
JR東労組に所属していた、7名の組合員が、不当に逮捕され、勾留された。
勾留期間は、344日に及んだ。
7名の組合員は、無実の主張を貫いたが、国家権力は、不正で不当な有罪判決を示した。
7名の組合員は344日に及ぶ不正で不当な勾留を風化させないために「美世志(344)会」を結成した。自公政権下、JR東労組、そして、その家族、さらに、国家権力の不当な権力行使、弾圧に抗する市民が、15年間にわたって、闘いを続けてきた。
毎年、11月1日前後に、国家権力による、平和運動、労働運動に抗し、戦う決意を新たにするために、集会が開かれている。
3)毎年、集会が開かれてきたが、冤罪浦電事件が、
発生して15年経過した !
JR東労組が、結成されて、30年、冤罪浦電事件が、発生して15年経過した。
ひとつの節目になる年の集会になった。
本年、10月22日に実施された、第48回衆議院議員総選挙である。
反安倍自公政権票が分散したために、安倍政権与党が多数議席を維持する結果になった。
議席総数465のうち、改憲派議席が375、反改憲派議席が90になった。
議席総数の8割が改憲勢力に占有されることになった。文字通り「絶望の選挙結果」と言わざるを得ない。しかし、私たちは、ここで絶望してはならない。
4)改憲派議席が375、反改憲派議席が90になったが、
希望の石を切り出すべきだ !
マーティン・ルーサー・キングJr牧師が、述べた言葉、「絶望の山に分け入り、希望の石を切り出さなければならない」を、今こそ噛みしめなければならない。
集会では、慶応大学名誉教授の小林節氏が、記念講演を行った。
小林節教授には、オールジャパン平和と共生の顧問もお引き受けいただいている。
小林教授は、憲法9条について、改定の必要はないことを明言された。
現行憲法第9条は、第1項で、国際紛争を解決するための手段として、戦争を永久に放棄することを明記している。
ここでいう「国際紛争を解決するための手段としての戦争」とは、基本的に侵略戦争のことを指す。
他国から攻撃を受けて行われる、自衛のための戦争までは、否定していないと考えられる。
他方、憲法第9条第2項では、戦力の不保持と交戦権の否定が明記されている。
5)現憲法では、自衛隊が海外に出て、米国が創作する
戦争に加担することが禁じられている !
したがって、自衛隊が海外に出て、米国が創作する戦争に加担することが禁じられている。
日本国憲法は、日本の専守防衛を定めており、国を守るには、この規定で問題がないと、小林氏は指摘した。
憲法解釈の観点から、自衛隊の海外での戦闘行為を認める安保法制=戦争法制は明らかに憲法違反であるとの判断も示された。
この戦争法制が制定された状況下で、第3項に自衛隊の存在を明記すると、その自衛隊の海外での戦闘行為が容認されてしまうことになる。
この意味で、安倍首相が、提案している第3項の書き加えは問題があるとする。
6)安倍首相の言動は、ウソが多い、憲法改正は、タブー視
しないが、「改悪」をするべきでない !
小林教授は、憲法改定論議をタブー視する必要はないが、憲法改定には、「改正」と「改悪」の二つがあり、「改悪」をするべきでないとの立場である。
そして、いま、安倍政権が、推進しようとしている改定は、明確に「改悪」であり、これを阻止する必要があることを訴えた。
安倍政権の下で憲法改定が発議されると、最終的な決着は、国民投票に委ねられる。
この国民投票で、確実に憲法改悪を阻止するための運動を、直ちに展開し、大きな国民運動に発展させてゆかねばならないと言える。
今回の総選挙で自公が多数議席を確保したが、私たちは、獲得議席数の占有率と、選挙での得票率に大きなかい離があることを知っておかねばならない。
自公は議席総数の67.3%を占有したが、比例代表選挙における得票率は、45.8%にとどまった。
−この続きは次回投稿します−
(参考資料)
T 論点シリーズ:憲法70年、必要か ?
憲法改正:緊急事態条項は !
(mainichi.jp:2017年9月22日より抜粋・転載)
毎日新聞・東京朝刊:毎日ジャーナリズム: 大規模災害や内乱に備えるための「緊急事態条項」が憲法改正項目の候補の一つに浮上している。自民党改憲草案(2012年)は、緊急事態宣言下、内閣は法律と同じ効力を持つ政令を制定でき、国民は国の指示に従わなければならないと記す。
一方、「現行法で対応可能」との指摘もある。国民の生命を守るために条項は必要なのか。
◆緊急勅令の再現許すな !渡辺治・一橋大名誉教授
緊急事態条項の狙いは、緊急事態を口実に、国会の意思を無視して政府に権限を集中させることにある。ドイツにおけるワイマール共和国の崩壊とナチスの制覇をもたらした教訓が持ち出されるが、より注目しなければならないのは戦前日本の教訓だ。
現代の改憲案の緊急事態規定は、戦前の明治憲法のそれをまねたものだからだ。
明治憲法は緊急事態条項の「宝庫」だった。政府はこれを活用して国民を戦時体制に駆り立てた。
明治憲法の緊急事態条項は四つ。議会閉会時に緊急事態が生じた時、政府が議会の議を経ずに法律に代わる命令を出せる緊急勅令(第8条)▽戦時、事変に際し、軍事独裁を可能にする戒厳大権(第14条)▽憲法を停止し、天皇独裁を可能にする非常大権(第31条)▽恐慌等の危機に際し、勅令で行う財政緊急処分(第70条)だ。
いずれも緊急事態に際しての天皇の独裁的権限を規定したものだ。政府にとって使い勝手が良かったのが8条と70条の緊急勅令だ。緊急事態ならば議会を通さず法律に代わる命令を出せるため、歴代内閣は緊急勅令を乱発し、国民に不人気な政策を強行した。
1928(昭和3)年の治安維持法改正は、共産党員の弾圧目的で制定した同法の処罰対象を党の支援者にまで拡大する内容だが、法案は議会の反対多数で廃案となった。だが、時の田中義一内閣は議会閉会直後に同じ内容を緊急勅令で通してしまった。
満州事変では緊急勅令を使い、議会にかけずに戦費支出のため国債を増発した。戦前はこうした緊急勅令が100回以上も乱発された。
戦後の日本国憲法は9条で戦争放棄をうたうと同時に、緊急事態条項を条文から外した。だが、この憲法に不満を抱いた保守政治家は、憲法を改正して軍備の保持と同時に、政府権力を強める緊急事態条項の復活を切望した。50年代に発表された憲法改正案には、ほぼ例外なく9条改正とセットでこの条項が明記された。
60年の安保闘争による岸内閣の退陣で、復古的な改憲論は下火となったが、北朝鮮の核開発と東日本大震災が状況を変えた。非常時に政府が迅速に対応するためだとして、緊急事態条項が「国民受けが狙える」項目として復活したのだ。
しかし、政府が非常時に緊急事態条項を使うのは、国民の安全を守るためではない。23(大正12)年の関東大震災の際には、緊急勅令によって戒厳令の一部が発動されたが、そこで行われたのは被災民の迅速な救済ではなかった。報道や言論活動が禁じられ、「暴動の恐れ」を理由に多くの朝鮮人や社会主義者が殺された。政府が行ったのは、緊急事態を口実とした国民の自由の制限と弾圧なのだ。
自民党は条項について国会議員の任期延長に絞って議論するという。だが、自民党の「本命」が緊急命令権にあるのは、戦前の経験を見れば明らかだ。
しかも、緊急事態条項の創設は、海外での武力行使を認める9条改憲とセットになっている。戦争にかかわることを否定している現行憲法の抜本的な転換につながる。このような憲法改正を認めてはいけない。【聞き手・尾中香尚里】
◆ヒトラーの危険な「手口」 ! 石田勇治・東京大大学院教授
麻生太郎副総理兼財務相が、8月末「ヒトラーはいくら動機が正しくても駄目」と発言した。ヒトラーを肯定的ととれる言葉で引き合いに出して自説を述べるのは論外だ。麻生太郎氏は2013年にも「(ワイマール憲法は)誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」と発言したが、あの時は二つの意味で耳を疑った。
一つは、日本政治の中枢から、主権者である国民が気付かないうちに憲法が変わるのが良いとの考えが表明されたことへの驚き。もう一つは、国家テロと言論弾圧によって議会制民主主義を形骸化させ、独裁体制を樹立したヒトラーの政治手法のどこに模範とすべき点があるのか、という疑問だ。
ヒトラーが「手口」としたのはワイマール憲法48条の緊急事態条項だ。国の安寧と秩序が脅かされた時、普段は認められない緊急措置権(緊急令)の行使を大統領に認めるもので、当初はクーデター対策だった。世界恐慌で政党対立が激化し、国会が機能不全に陥る1930年代初頭には緊急令は法律と同等のものとして多用された。
1933年1月に発足したヒトラー政権は、与党が国会に多数の基盤を持たない少数派政権だったが、ヒンデンブルク大統領の緊急措置権に支えられていた。翌月末、国会選挙戦の最中にベルリンの国会議事堂が炎上する事件が起きると、ヒトラーはこれを「共産党による国家転覆の謀略」と断定。大統領を動かして緊急令を発動させた。人身・言論の自由をはじめ国民の基本権が停止され、共産党議員など左派指導者が一斉に拘束された。
同年3月の国会では、共産党国会議員81人全員が拘禁されるなか、政府は国会の3分の2の賛成を得て授権法(全権委任法)を成立させた。緊急事態条項をてこに立法権を手に入れたヒトラー首相は、政権発足からわずか53日で独裁への道を開いた。
議事堂炎上に伴う緊急令によって、国民の基本権は保障されなくなり、誰でも令状なしに逮捕されるようになった。公権力による人権侵害が合法化され、後のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)につながった。緊急令は45年のドイツ敗戦で連合軍が解除するまで続いた。
戦後に制定されたドイツの憲法(基本法)には当初、緊急事態条項はなかったが、68年の改正で盛り込まれた。だが、これは、主権回復の条約で戦勝国から非常時対応を求められたからだ。改正は、10年に及ぶ議論と3度の修正案を経て行われた。
また、ワイマール憲法への反省から、緊急事態か否かの確定は議会が行うこととし、そのために連邦議会と連邦参議院による(上下両院)常設合同委員会が設けられた。緊急時の議会の責任と権限はむしろ強化され、政府に全権力が集中する仕組みは作られなかった。為政者のさじ加減で基本権を制限できる規定も存在せず、緊急事態条項は一度も使われていない。
ヒトラー政権の歴史は、緊急事態条項が大きな危険を伴う条文であることを教えている。日本国憲法に盛り込むことが適当なのか、過去の失敗事例に学ぶ視点が必要ではないだろうか。
【聞き手・尾中香尚里】
U 『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃 !
ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、
安倍首相とヒットラーの類似点を示唆 !
(biz-journal.jpい:2016.03.19より抜粋・転載)
◆特集は、合法的独裁を狙う、安倍自民党・改憲草案・「緊急事態条項」だった !
☆ヒトラーは、合法的に独裁を実現している !
「ヒトラーというのは、軍やクーデターで、独裁を確立したわけじゃありません。合法的に(独裁を)実現しているんです。じつは、世界一民主的なワイマール憲法のひとつの条文が、独裁につながってしまった。そして、ヒトラーは、ついには、ワイマール憲法自体を停止させました」
「ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、まあ、日本がそんなふうになるとは到底思わない。ただ、いま日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなきゃいけないポイントがあるんです」 独裁の道に走らせたワイマール憲法の条文、それこそが「国家緊急権」だ。
「大統領は公共の安全と秩序回復のため必要な措置を取ることができる」という条文をヒトラーは悪用、集会やデモの開催を禁止し、出版物を取り締まり、共産主義者を逮捕し、野党の自由を奪い、あらゆる基本的人権を停止させた。ここまでは教科書にも書いてあることだが、本題はここから。この「国家緊急権」が「緊急事態条項」とそっくりではないか、と言及するのだ。
☆ヒトラーの「国家緊急権」が、安倍自民党の「緊急事態条項」とそっくりだ !
☆緊急事態宣言は、国会の承認が必要だが事後でもいいので、
独裁は、事後承認でやりたい放題できる !
☆改憲(実は大改悪)人類普遍の権利でさえ「最大限尊重」
(厳守ではない)程度の扱いになる !
☆衆参で3分の2以上の議席になれば、
安倍首相は、ヒトラーのように独裁にひた走る !
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