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核兵器禁止条約、採択 ! 日本や5核保有国は不参加 !
長崎の市長:核兵器禁止条約を批准しようとしない、
日本政府に対する被爆者の失望は強い !
公明党の支持母体・創価学会の核兵器への主張は ?
自公連立前の公明党の理念・基本路線は ?
(www.asahi.com:2017年7月8日00時33分より抜粋・転載)
ニューヨーク=松尾一郎、金成隆一 核と人類取材センター・田井中雅人
核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約が、7月7日午前(日本時間7日深夜)、米国ニューヨークの国連本部で、開かれている条約交渉会議で、採択された。広島と長崎への原爆投下から、72年経過した。「ヒバクシャにもたらされた苦痛」との一節を前文に入れ、人道的見地から、核兵器の存在を否定する条約が、誕生した。
特集:核といのちを考える
特集:核兵器禁止条約
◆核兵器禁止条約には、122カ国が賛成し、採択された !
この日の交渉会議には、国連加盟193カ国中124カ国が出席した。投票の結果、122カ国が賛成した。北大西洋条約機構(NATO)に加わるオランダが反対。シンガポールは棄権した。
条約は、核兵器の使用、開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移転など幅広く禁止している。
当初案で除外されていた、核使用をちらつかせる「脅し」の禁止も、最終的に盛り込まれた。
また、核兵器の使用や実験の影響を受けた人々に、医療などの援助を提供することもうたった。
9月20日から、各国の署名手続きが始まる。
批准国数が、50カ国に達した後、90日をへて発効する。ただし、批准しない国には、効力がない。
条約推進国側は、核兵器の「非人道性」を強調することで、国際世論を喚起し、核兵器の廃絶を、後押しする狙いがある。
安倍政権下、日本政府は、3月の交渉会議で「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」と表明し、5核保有国などと歩調を合わせて、ボイコットした。米国の「核抑止力」を、国家安全保障の柱に据える国々は、近い将来の条約加盟が、見通せない状況だ。
(ニューヨーク=松尾一郎、金成隆一)
(参考資料)
T 「長崎原爆の日」核兵器禁止条約「批准を」、田上長崎市長、政府に迫る !
(news.yahoo.co.jp:2017年8/9(水) 11:25配信 より抜粋・転載)
毎日新聞
「長崎原爆の日」核兵器禁止条約「批准を」 市長、政府に迫る
平和宣言をする、田上富久・長崎市長=長崎市の平和公園で2017年8月9日午前11時4分、森園道子撮影(写真省略)
◆安倍首相は、広島での挨拶同様、核兵器禁止条約には、
言及しなかった !
長崎は、8月9日、72回目の「原爆の日」を迎え、早朝から祈りに包まれた。長崎市の平和公園では、平和祈念式典が開かれ、被爆者や遺族ら約5400人が出席した。
田上富久市長は、平和宣言で、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議に参加しなかった、日本政府の姿勢を「被爆地は、到底理解できない」と厳しく非難し、条約を批准するよう迫った。
一方、安倍晋三首相は、8月6日の広島市での平和記念式典でのあいさつと同様、条約に言及しなかった。
【写真特集、平和の祈り続く、長崎原爆の日】
長崎の式典には、核兵器保有国の米露英仏中を含め、過去2番目に多い、58カ国の代表が参列した。原爆投下時刻の午前11時2分、黙とうをささげた。
田上市長は、平和宣言のほぼ半分を核兵器禁止条約に割いて、その意義を強調した。
「ノーモア・ヒバクシャ」という、被爆者の願いが、多くの国々を動かしたとし、「『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたい」と述べた。
その上で、「この条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、人類に問われている」とし、核保有国と「核の傘」の下にいる国に対し、核抑止論に基づいた、安全保障政策の見直しを促した。
◆核兵器禁止条約を批准しようとしない、日本政府に対する
被爆者の失望は強い !
唯一の戦争被爆国でありながら、条約を批准しようとしない政府に対する被爆者の失望は強い。広島市の松井一実市長は6日の平和宣言で、政府への直接的な批判や要求は避けたが、田上市長は「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとると明言しているにも関わらず、交渉会議にさえ参加しない姿勢を到底理解できない」と強い表現で非難した。
「条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と明確に批准を求めた。憲法改正の動きには言及しなかった。
◆原発偏重のエネルギー政策から転換するよう訴えた !
今年から公募となった被爆者代表に選ばれた、長崎市の深堀好敏(よしとし)さん(88)は「平和への誓い」を読み上げた。放射線の脅威を挙げて「私は『核は、人類と共存できない』と確信している」とし、原発偏重のエネルギー政策から転換するよう訴えた。
安倍首相はあいさつで「核兵器国と非核兵器国双方への働きかけを通じて国際社会を主導する」と述べたが、核兵器禁止条約には触れなかった。非核三原則は堅持を誓った。
◆長崎での原爆死没者は、17万5743人となった !
式典では、この1年間で死亡が確認された、原爆死没者3551人の名前を記した原爆死没者名簿4冊が奉安された。奉安された死没者の総数は17万5743人となった。【浅野翔太郎】
◇長崎市長・平和宣言要旨:「ノーモアヒバクシャ」
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。
しかし、これはゴールではありません。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。
しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。
私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。原爆は、いつも側(そば)にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久
U 自公連立・公明党の支持母体・
創価学会・戸田第二代会長の原水爆禁止宣言 !
○昭和32年、原水爆禁止宣言を発表する、戸田第二代会長 !
◆生存の権利への脅威は“魔もの”
9月8日は「原水爆禁止宣言の日」です。1957(昭和32)年のこの日、横浜・三ツ沢の競技場に5万人の青年が集って開催された「東日本体育大会」の席上、戸田第二代会長は、歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表しました。
戸田会長はまず「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします」と述べ「今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい」「私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。
その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」「(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります」と高らかに宣言しました。
◆核兵器の存在自体が“絶対悪”
この宣言を発表した当時、世界は冷戦の真っただ中で、大国が軍備拡大にしのぎを削り、原水爆は人類の未来に暗い影を落としていました。
戸田会長による「原水爆禁止宣言」は、“核抑止論”に代表されるような、核兵器を正当化しようとする動きや考え方に対して、仏法の絶対平和主義に基づき、民衆の生存の権利を守るという立場から、核兵器の存在自体を「絶対悪」と断じ、その完全否定を宣言したものでした。
池田名誉会長は宣言がもつ意義について「宣言の核心は、原水爆を使おうとする発想の背後に隠された『爪』、すなわち、人間のなかに巣くう“魔性の生命”に、鋭くメスを入れられたところにある」とつづっています。
1979(昭和54)年、「原水爆禁止宣言」を発表した横浜の地に、その平和思想をとどめるため、創価学会戸田平和記念館が設立されました。
V 自公連立前の公明党のスタンス: 政権交代で改革実現 !
(1) 自民党の一党支配を打破し、新政権軸を目指す !
(石田委員長)公明党の基本路線:
1993年7月、総選挙に臨む基本姿勢について、石田幸四郎委員長は「自民党の一党支配の下で、『政治腐敗が起こる 改革が叫ばれる 改革が実現しない選挙で政権が動かない また腐敗が起こる』というような“悪循環”が何度となく繰り返され、今まさに政治不信はその極に達している。
この『“悪循環”を繰り返してきた最大の原因』は、“自民党に代わる政権の受け皿がなかった”ということであると思う」と日本プレスセンターで発言しました。
さらに、「政治を刷新して、緊張感を持たせる、また、政・官・財の癒着を断ち切るには、どうしても二つの問題が重要になってくる。
1つは“政権交代のシステム”であり、もう1つは“抜本的政治改革”だ」と主張しました。
1993年7月、細川政権が誕生した頃は、次のように述べていました。
「戦後政治史を画する歴史的な非自民連立政権がついに樹立される。“自民一党支配打破と政権交代の実現は、公明党にとって悲願の結実”といえる。
大枠社・公・民を軸とする野党連合政権を1回目の挑戦とすれば、今回が2回目の試みだった。
昨年11月の党大会で、自民党に代わる『新しい政権の軸』づくりを提唱して以来、政界に政権交代の大きなうねりを巻き起こしてきた」
非自民連立政権樹立前後、「“自民党の長期一党支配が日本の政治腐敗を生んだ”のだ。
野党の無気力も同時に生まれている。これを壊したい。壊して“政権交代のある新しい日本の政治”を生み出したい」と公明党は、主張していました。
多くの野党が連立することに対する、自民党側からの「野合」批判については、公明党は、次のように述べていました。
「『政権の担い手が代わる』ということが今回の選挙の大きなポイントです。ですから、従来の政党同士の行き掛かり上の多少の違いとかがあっても、そこは乗り越えて、とにかく自民党の長期一党支配を崩して、『非自民』の政権をつくることが大きなことだと思います。
“権力の担い手が代われば、政治は大きく変わる”ということです」
また、腐敗防止について、「私どもも腐敗防止を絶対やらなければいけない。
これは政治とカネの問題、腐敗の問題をどうするかというのが一番、政治改革の核心ですから、これ(腐敗防止)が中心だと考えております」と公明党は訴えていました
(1998年まで、この政権交代を目指す路線を続け、自民党・マスコミから昭和32年の大阪事件以来、迫害・誹謗中傷をうけていました。公明新聞1993年7月6日号3面)。
(2)政権を選択できる、二大政党制をつくりたい !
浜四津敏子代表:
日本が構造改革のできない行き詰ったシステムになったのは、自民党一党支配の政治できたからです。これを脱却し、健全で成熟した民主主義を発展させるには、一党だけが長期に政権を握り続ける体制は好ましくありません。
つまり、国民が政策・政治姿勢を判断し、「今回は、こちらの政権に日本の政治を任せてみよう」という、政権を選択できる二大政権政党もしくは二大政権勢力が日本に存在することが、中長期的に好ましいと思います。
(浜四津敏子代表「公明新聞1998年8月16日号1面」)
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