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1985年8月12日・日航ジャンボ機墜落事件の炭化遺体と軍用燃料の謎 !
(上)
日航機・JAL123便墜落事故の真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2017/08/17より抜粋・転載)
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1)著書や証言により、日航ジャンボ機墜落事件の全体像
が、かなりはっきりと、浮かび上がってくる !
『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社・最新刊)
https://goo.gl/auvNJY、「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)」
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg
「日本航空123便墜落事故を検証する」、http://www.link-21.com/JAL123/index.html
などの情報を総合すると、1985年8月12日に発生した、日航ジャンボ機123便墜落事件の全体像が、かなりはっきりと、浮かび上がってくる。
元日航客室乗務員の青山透子さんが123便墜落で犠牲になられた方の33回忌に合わせて、この8月に刊行された上記新著、『日航123便墜落の新事実』、https://goo.gl/auvNJY
には、タイトルにもあるように、墜落に関する新事実が散りばめられている。
ジャンボ機が墜落した直後、長野県南佐久郡川上村に在住する中嶋初女さんという女性が、午後7時05分に、長野県南佐久郡臼田警察署に、墜落現場の正確な情報を伝えていた。
2)中嶋初女さんや、マイケル・アントヌッチ中尉が、重大な証言を公表した !
「NHKスペシャル、日航ジャンボ機事故空白の16時間〜“墜落の夜”30年目の真実〜」(2015年8月1日放送)、https://www.youtube.com/watch?v=uq2GkTouyCE
1時間22分20秒以降の部分、また、米空軍の輸送機U130パイロット、マイケル・アントヌッチ中尉が、重大な証言を公表した。
「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、機首を北北西に進路を取った。午後7時15分、航空機関士が、1万フィート付近で、雲の下に煙のようなものが見えるのを、発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。
3)米軍輸送機は、ジャンボ機墜落から24分後、
午後7時20分に墜落現場を確認している !
御巣鷹山の周辺は、とても起伏が多かった。地表からおよそ2000フィートまで、降下する許可を得た。墜落機残骸を発見したのは、あたりは、だんだんと暗くなり始めていた時だった。
山の斜面は、大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。」
米軍輸送機は、午後7時20分に墜落現場を確認している。
そして、この輸送機が、米軍の救援ヘリを視認したのが、午後8時50分だった。
ヘリは、地上に救援隊員を降下させようとしたが、横田基地から「直ちに基地へ帰還せよ」との命令が下された。
4)米軍の救援ヘリは、救助続行を希望したが、
横田基地は、帰還命令を下した !
救援ヘリは、救助続行を希望したが、横田基地は、帰還命令を下した。
米軍輸送機は、午後9時20分に日本の自衛隊機が現地に到着したのを確認して帰還した。
上記2015年8月15日放送のNHKスペシャルは、墜落当日夜にヘリコプターで墜落現場を視認した自衛隊パイロットの証言も収録している。
https://www.youtube.com/watch?v=uq2GkTouyCE
(31分05秒以降の部分)
自衛隊は、現地に2機目のヘリコプターを、8月13日午前零時36分に、入間基地から派遣している。機長の金子正博氏は、このフライト墜落現場を、上空から確認したことを、証言している。
同時に、陸上からは、長野県警の大澤忠興氏が、ぶどう峠から航空自衛隊ヘリコプターが、墜落現場を上空から確認し、サーチライトを当てている場面を、正確に伝えていた。
航空自衛隊の金子正博氏が、墜落現場の報告の際に、地上の警察照明の位置を、「北北西30度4マイル」と伝えるべきところ、「北北東30度3マイル」と誤って伝えたと、NHK報道は伝えるが、にわかに信じ難い話である。
5)米軍機・自衛隊機は、墜落現場を確認していたのに、NHK
・当局が、墜落現場を特定できなかったとの報道は、虚偽情報である !
自衛隊は、墜落後、午前零時36分にかけて、二度にわたって、墜落現場を空から確認している。
米軍は、墜落から20分後には、墜落現場を確認している。
NHK・当局が、墜落現場を特定できなかったというのは、完全なフェイク=虚偽情報である。
実際に救援活動が始まったのは、翌日13日の午前7時以降である。
この間に一体何があったのか。
そして、なぜ、早期の救援活動が行われなかったのか。きわめて深刻で深い闇がある。
その闇の正体を多くの探求者が、すでに探り当てているのである。
6)闇の正体を多くの探求者が、すでに探り当てているし、
重大な事実をも発掘している !
青山氏の著書は、きわめて重大な事実をも発掘している。
群馬県警察本部発行の昭和六十年十月号『上毛警友』冊子が、日航機墜落事故特集号となっており、その122ページに、「日航機大惨事災害派遣に参加して」と題する、自衛隊第十二偵察隊一等陸曹M・K氏の手記が、掲載されている。このなかに次の記述がある。
「八月十二日私は、実家に不幸があり、吾妻郡東村に帰省していた。午後六時四十分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム(米国のジェット戦闘機F4の愛称)二機が、低空飛行していった。その飛行が、通常とは違う感じがした。「何か事故でもあったのだろうか」と兄と話をした。午後七時二十分頃、臨時ニュースで、日航機の行方不明を知った。」
7)日航機に異常が発生は、18時24分であり、18時40分、
群馬県上空を、自衛隊機が、飛行していた !
つまり、この日の夕刻午後6時四十分頃に、群馬県上空を、自衛隊のファントム2機が、飛行していたのである。
同時に、青山氏は、もうひとつの重要な目撃証言を、掲載している。
8月12日午後6時30分頃に、静岡県藤枝市の上空を日航ジャンボ機が傾きながら飛行し、その約5分後にファントム2機が日航機の後を追うように北の方向に飛び去ったのを目撃した人物が紹介されている。
日航ジャンボ機が尾翼を失い、この日航ジャンボ機を追尾するように自衛隊ファントム2機が追尾するという事実が存在した可能性が極めて高いのである。
日航ジャンボ123便の機長である、高浜雅己氏は、18時24分、異常音が発生した直後に、「スコーク77」(緊急コール)を発信している。
8)日航ジャンボ123便の機長は、緊急コールを
発信し、誘導ミサイルの事も発信した !
同時に発した言葉が「オレンジエア(誘導ミサイル)」である。この間に副操縦士が「これ見てくださいよ」と述べている。その後、機関士が、「オレンジエア」と発している。
https://www.youtube.com/watch?v=amA1rwyiuAY
*補足説明:
☆スコーク77と自衛隊機の誘導:
(www.link-21.comより抜粋・転載)
スコークとは、航空機から発信される信号を、地上の中継器を介して、他の航空機がその信号を受けるシステムです。スコーク77は、民間機が何かに要撃の対象とされた場合の緊急コールで、発信した民間航空機は、自衛隊機の指示・誘導に従うよう定められています。
☆オレンジエアとは ?
【日航機不時着事故の真相】をうやむやにする日本の未来とは?
(ryokuhuu.hatenablog.comより抜粋・転載)
ボイスレコーダーの中に、自分の耳にも「オレンジエア」とはっきり聞こえる部分があります。Orange Aircraft ( オレンジ色の飛行物体 )にせよ、自衛隊のオレンジ・エア(誘導ミサイル)にせよ、それによって日航機が何らかの攻撃を受けた、あるいは何らかのミスによる衝突事故があったこと は、確かなような気がします。オレンジエアの説明がWikipediaから消されたという指摘も読みました。
−この続きは次回投稿します−
(参考資料)
1985年・日航機・JAL123便 墜落事故の真相は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、
驚天動地、世界規模の大事件だった !
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !
彼らは、一体どこへ消えたのか !?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言 !
☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。
☆元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された。
JAL 123 Saso Kunio 01
★元日航職員佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗邦皇(さそう・くにお)氏は、自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な存在だった。
2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。
享年59歳。亡くなる前日のワールド・フォーラム(前述の動画はその開始部分)で「天皇の金塊」著者高橋五郎氏の講演に続き自身が登壇、用意された「おーいお茶」500mlボトルに口をつけて1分以内に椅子から崩れ落ちる。
最前列の聴講者が、機転を利かし、素早くそのボトルを確保し、後で遺族に提出した。不審な数人の男達が飛び出し、同じくそのボトルを確保しようとしたが得られず、凄い形相で、その聴講者を睨みつけたという。(コメント38参照)
★日航機は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんです !
ビデオ佐宗邦皇(さそう・くにお)氏発言書き起こし、解説 「現場を見ればわかるんです。
映像も見ました。
僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、「中性子爆弾の空対空ミサイル」だった可能性があるんですね。一回ぽきっと折れて、後部は、グライダー状態に落ちて行った。
空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。
“内部隔壁が原因というのは嘘”なんですね。
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって
着陸体勢に入っていたが、着陸を拒否された !
尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。
ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。
私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。
それで、横田基地への着陸を認めないから、飛行機は、ずっと御巣鷹山まで追い込まれた。
目的は、アメリカが、プラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実
を発信する活動をしていた !
元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏が、立ち上げた、ワールド・フォーラムでは、各界の優れた講師を招き、或いは自らが講師として、世界の真実を発信する活動をしていた。
その内容は、万人が知るべき大変重要な情報であったが、世界支配者層にとっては、絶対に知られてはならないものばかりだった。以下の動画は、佐宗邦皇氏が、9・11事件の真相を伝えるもの。
佐宗邦皇氏の深い洞察力には、驚嘆させられる。必見 !
【全編】佐宗邦皇氏「米国で起こった2度の軍事クーデター」http://www.youtube.com/watch?v=Abq_bIFGwFA
☆JAL123便撃墜の証拠が、写真誌フォーカスに !!
第3エンジンから突き出る不発弾と思しきファルコンミサイル !
JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは、発射された。
(2)http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/66f90662378566829c72baa85589bd29
−以下省略−
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