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昭和20年、米軍が原爆投下、広島被爆者の声 ! 原水爆禁止宣言 !
2017-08-06 14:53:35
テーマ:ブログ
昭和20年、米軍が原爆投下、広島被爆者の声 !
戸田第二代会長の原水爆禁止宣言 !
創価学会・第3代会長の箴言
1999年以降、公明党の自民党従属・全国支援は、
日蓮大聖人・牧口・戸田・池田会長への違背か ?
萩原俊雄さん 直接被爆・距離1.7km(白島九軒町)
被爆時6歳 / 東京都千代田区11505
○「原子爆弾・被爆と私の人生」
被爆地の光景を紹介しています。「被爆と私の人生」
私の人生の原点は、昭和二十年八月六日、広島への原爆投下から始まる。私は六歳の時、爆心地から一・七キロ、広島市白島で被爆して、父をはじめ多くの家族が犠牲となった。
当時の母の日記には「昭和二十年八月六日午前八時十五分、敵機B29来襲す。
◆なんの警報もないのに、突然、新兵器の空中爆発により被爆 !
なんの警報もないのに、突然、新兵器の空中爆発により被爆」「主人は、全身火傷して、翌日職場で死亡、母も全身大やけどで後日死亡、姉親子、妹も黒コゲになって死んでいた。
主人のもとに行き、足の一つもなでてあげたいと思うけれど、重傷の母と子供三人いるので、どうすることもできない。本当に主人にすまない。― 無念の泪がほとばしる。私が泣くのを見て、子供達がシクシク泣いている。私は、子供が休んだあと、一人で思い切り泣く」。
二十九歳の母は、学童疎開によって、命が助かった姉の子供二人と、幼い私と妹弟の三人を抱え、あの焦土に立ち、どんなにか懊悩し、悲惨なときを過ごして生きてきたか、それを思うと今も胸がつまり涙がこぼれる。そのころの母の「うた日記」には、
母は子を、子は親を呼び、お互いに、ひしと抱きて死にゆきしらむ
苦のあまり、己れが命を絶ちくれと、母はのらせり悲しき極み
母の姉・親子が、被爆して死んでいく様子、そして、祖母が、火傷を負った全身に、ウジ虫がわき、無惨のなかで、死んだことを詠んだものである。
あの日、夫、母親、姉親子、ついで、妹までも一度に失った、若き母の悲痛な嘆きと涙は、いまなお、忘れることができない。
嬉々として、たわむれる我子見るにつけ、父なき思えば、涙こぼるる
幾人かとびこみしと言う、滝つぼに、 我が身思いて人ごとと思えず
◆私たちは、数々の原爆病を発症して、苦痛の日々を過した !
これは、母が、幼い私たちと死に場所を、求めていたころの詩である。
その後、医師も病院もない焼け野原で、私たちは、数々の原爆病を発症(白血病、肝臓障害、造血機能障害等)して、苦痛の日々を過したことを、覚えている。
やがて、父亡きあと、子供たちを育てるために、母は意にそまぬ再婚をしたが、酒乱の養父との不和と生活苦から、私は小学校卒業後、大阪に丁稚奉公に出ることになった。
◆原爆の後遺症によるひどい肝臓障害や胃潰瘍、
気管支喘息等を体験 !
十七歳で、広島へ帰り、美容材料商を始め、貯めたお金で上京、東京の専門学校を卒業して念願の大学に入ることができた。その間、キャバレーのボーイ、機械工、土木作業員など三十種類もの職業につきながら資金をつくり、経営コンサルタント業を開設したが、原爆の後遺症によるひどい肝臓障害や胃潰瘍、気管支喘息等、数々の病気体験から、東洋医学を学び治療を実践、その体験をもとに健康産業を創設した。
こうしたさまざまな苦難に耐えてこられたのも、「子どものため」と口ぐせのようにいいながら、貧しい生活と原爆病に耐え、「子どもが健康で幸せに育つことだけを楽しみに、かあさんは生きている」と云って、ABCC(原爆傷害調査委員会)に勤務しながら懸命に働き、私たちを育ててくれた母の恩に報いたい、強い一念があったからである。
平成九年、NHKテレビの「被爆の言葉」のロケ出演のため、五十年ぶりに広島市白島の被爆地に立ったが、当時の惨禍が走馬灯のように甦りつらいひと時であった。
◆皮膚がずるむけたままの無言の行列、川に漂う無数の死骸 !
「皮膚がずるむけたままの無言の行列」「川に漂う無数の死骸」「防火用水に顔をつっこんだまま息たえた人々」「幼子を抱いて火の海の中に亡霊のように立っていた夫婦」「学生の息子が家の下敷きになり、火の迫る炎の中で、”お母さん早く逃げて”…と叫ぶ声を背に避難してきて”目の前で焼け死ぬ息子を助けられなかった”と、悲嘆の中で号泣するおばさん」「全身火傷で”水をくれ””水をちょうだい”と云いながら死んでいった人々」「火傷が腐りウジ虫がわき、早く太田川に流してくれと云いながら死んだ祖母…あの時、ふとんにふせて慟哭していた母」。
◆二十世紀の重大ニュースの第一位に
広島・長崎の原爆投下を挙げている !
世界のジャーナリストたちが、二十世紀の重大ニュースの第一位に広島・長崎の原爆投下を挙げているが、世界唯一の被爆国であるわが国民のどれだけの人々が、原爆について認識し、意見や主張を持っているであろうか。殆どの人が遠い過去のことであり、いまの生活、人生には関係がないと思っているようである。しかし、まぎれもなく日本国は、人類最大の事件、原爆投下された被爆国である。生き残った私たち被爆者は、後遺症に悩まされながら、”あの日、多くの被爆者を助けられず、自分だけ生き残った申し訳なさ”に今もなお、心の傷の中で生き続けている。
◆米軍の空爆・原爆投下は、人類史上最悪の無差別大虐殺であり、
国際法違反である !
私は遺書として主張しておきたい。
広島・長崎の原爆投下はもとより、東京をはじめ日本中の大都市に対する空爆による死者のほとんどは、無辜の民であり、女子・子供・老人であった。まさに人類史上最悪の無差別大虐殺であり、あきらかに国際法上の違反である。
日本政府が米国政府に対して、国際法のルールに従って、「原爆被害者に心からの謝罪」と「核兵器廃絶を達成するまで限りない努力を続ける」こと。
そして、広島の平和公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた、「安らかに眠ってください。二度と過ちは繰り返しませんから」の碑文を「私たちは世界に二度と核兵器を使わせませんから、安らかに眠ってください」…と改めることを要求したいと思う。
◆際限のない核軍拡競争という悪循環は、人類の絶滅、
地球の破壊をまねく怪物、魔物だ !
核兵器保有国は主張する「核兵器が戦争の抑止力になり、それによって平和が維持される」と。この際限のない核軍拡競争という悪循環は、人類の絶滅、地球の破壊をまねく怪物、魔物となり、人間の生存の権利を脅かす存在以外何者でもない。
核兵器が存在する限り、核戦争の脅威もなくならないという、当り前のことを、人類共通の認識にしない限り解決の道はない。
◆核兵器より更に偉大な力は、人の心であり、精神力である !
二つのノーベル賞(化学・平和)を受賞した、ライナス・ポーリング博士は「世界には、核兵器や軍事力という悪の力よりも、更に偉大な力があります。それは人の心であり、精神力です。私は、人の精神の力を信じています」。
インドの聖者、マハトマ・ガンジーは、「原子爆弾がもたらした、最大の悲劇から正しく引き出される教訓は、対抗をもってしては、滅ぼすことが出来ないと云うことである。憎悪は、愛によってのみ克服される」…と。
◆平和とは、戦争、暴力、悪との間断なき精神の闘いから得られる !
死ぬも生きるも地獄の核兵器を造り出したのも人間であるならば、人間の責任として核廃絶をしなければならない。戦争は人の心から生まれる。いま”核の破壊力”以上に”人間の心”が問われている。
平和とは、戦争、暴力、悪との間断なき精神の闘いから得られるものである。
無認識、無批判、無関心、無行動からは何事も生まれない。悪や不正に対し、一人になっても主張し続ける勇気を失わず、最後の時まで生きていきたい。
◆「原爆で亡くなったあの人の手紙」
☆生き死には人世の常と教えしも 母亡き子等の悲嘆に泣きぬ
平成十五年六月、五十八回目の原爆忌を前に被爆の影響と思われる突発性ガンで妻が死去した。納骨のため帰郷し、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」を初めて訪れた。父母をはじめ被爆死した身内の遺影や被爆体験記の中に、亡き妻が書いた手記が収められていた。
“結婚当時、私が原爆症で苦しみ、毎夜寝汗で夜具がびっしょりぬれていたこと”“二人とも被爆者のため、子供の出産について後遺症のことで悩んだこと”等が書き綴られていた。
その当時の被爆者は、結婚や出産すら世間の偏見に晒され、被爆したことも隠して暮していたことなどが思い出され、つらいひと時であった。
◆人間の責任として、核廃絶をせねばならぬ !
人類史上、最も悲惨とされる原爆投下の事実も、年々人々の記憶から薄れ風化しようとしているいまも、核兵器拡散競争という際限のない悪循環は続けられ、地球の破壊をまねく怪物となって、人間の生存を脅かしている。死ぬも生きるも地獄の核兵器を造り出したのも人間であるならば、人間の責任として、核廃絶をせねばならぬ。
“核の破壊力”以上に“人間の心が”問われている。
(2010年送付)
(参考資料)
T 創価学会・戸田第二代会長の原水爆禁止宣言 !
○昭和32年、原水爆禁止宣言を発表する、戸田第二代会長 !
◆生存の権利への脅威は“魔もの”
9月8日は「原水爆禁止宣言の日」です。1957(昭和32)年のこの日、横浜・三ツ沢の競技場に5万人の青年が集って開催された「東日本体育大会」の席上、戸田第二代会長は、歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表しました。
戸田会長はまず「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします」と述べ「今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい」「私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。
その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」「(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります」と高らかに宣言しました。
◆核兵器の存在自体が“絶対悪”
この宣言を発表した当時、世界は冷戦の真っただ中で、大国が軍備拡大にしのぎを削り、原水爆は人類の未来に暗い影を落としていました。戸田会長による「原水爆禁止宣言」は、“核抑止論”に代表されるような、核兵器を正当化しようとする動きや考え方に対して、仏法の絶対平和主義に基づき、民衆の生存の権利を守るという立場から、核兵器の存在自体を「絶対悪」と断じ、その完全否定を宣言したものでした。
池田名誉会長は宣言がもつ意義について「宣言の核心は、原水爆を使おうとする発想の背後に隠された『爪』、すなわち、人間のなかに巣くう“魔性の生命”に、鋭くメスを入れられたところにある」とつづっています。
1979(昭和54)年、「原水爆禁止宣言」を発表した横浜の地に、その平和思想をとどめるため、創価学会戸田平和記念館が設立されました。
U 池田第三代会長等の箴言:
(『池田名誉会長が語る恩師戸田城聖先生』第三文明社、より要約)
*日蓮大聖人は、全人類の未来のために、妥協なく「権力」と戦われました。
戦ったからこそ弾圧され、佐渡に流罪されたのです。
ところが、その姿を見て、多くの弟子達が、大聖人を守るどころか、非難した。
「師匠のやり方はまずい。あんなやり方だから、迫害されるのだ。私たちは、もっとうまく柔らかに法華経を弘めよう」こういって批判した。
牧口先生の時も同じでありました。あからさまに「私は退転する」とは言わない。しかし、実際には、大難を恐れた「心の退転」であった。その臆病の姿を、大聖人は、悠々と見おろしておられました。牧口先生もそうであられた。
この「牧口先生の大確信」をそのまま受け継がれたのが、戸田先生です(63〜64頁)。
*仏意仏勅の創価学会であるがゆえに、創価学会を狙う、提婆達多のごとき大悪人、退転者が出現することは必然である。
「退転者の本質的傾向性は、ともかく、臆病である。慢心である。ずる賢き、策略家であり、嘘つき、虚栄家である。しかも、信頼する幹部のなかから、増上慢になって出て来る場合が多いものだ。
さらに戸田先生は言われた。
「創価学会は獅子である。外からは倒されない。怖いのは、内から腐らせる『獅子身中の虫』だ。
もしも、そういう邪悪な輩が現れたなら、断固、戦え ! 断固、たたき出せ !」とは、牧口会長の叫びであった。戸田会長の厳しき叱咤であった(228〜229頁)。
*「広宣流布」はどうなったらできるか、予言しておく。それは、「三類の強敵」が現れた時に、できるのです。とりわけ「僭聖増上慢」(=創価学会を迫害する仏敵:宗門事件は、宗門と創価学会への分断工作であり、黒幕は、自民党・米国CIAであった)が出た時が、広宣流布する時です。僭聖増上慢は、怖い。しかし、これが出れば、私はうれしく思う。皆さんも、
うれしいと思ってもらいたい。“その時こそ、敢然と戦おう”ではないか」(279〜280頁)
* 権力(安倍自民党体制は、政官業癒着・対米隷属、反民主主義が正体である)には、魔力がある。その魔酒に酔わされては、絶対にならない。私に恩師は、「青年よ、心して政治を監視せよ !」との遺訓を残しました。政治の腐敗を許してしまうのは、民衆の無気力と無自覚と、「長いものには巻かれろ」という卑屈の精神である。さらに、その民衆の無気力の根源は、青年の無気力と惰弱にある
―(336頁)。
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