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揺らぐ安倍「1強」!謙虚に信頼回復を !
漆原良夫・公明党中央幹事会会長の見解 !
自公連立前、非自民党政権を目指していた、本来の公明党の理念・基本路線は ?
公明党創立者の箴言は ?
(mainichi.jp:2017年7月26日より抜粋・転載)
毎日新聞・東京朝刊:
◆漆原議員:経済で結果を出す時、景気対策、補正予算で !
−−毎日新聞の世論調査(7月22、23日)で内閣支持率が危険水域とされる26%に下がった。
◆経済指標も外交も順調なのに支持率が下がる一番の原因は、
国民が安倍晋三首相に不信感を募らせているためだ。
国民から見れば、「加計学園」問題は首相が友人を「えこひいき」しているように映るわけで「信無くば、立たず」という政治の根本的なところで信頼を失った。当初、首相が出席しての予算委員会の閉会中審査に応じなかったことも、逃げている印象を与えた。
−−東京都議選中には稲田朋美防衛相が応援演説で「自衛隊としてもお願いしたい」と発言したり、下村博文自民党幹事長代行の金銭疑惑が、指摘されたりした。
◆稲田、下村両氏の言動を不問に付した首相の対応は甘かった !
◆(問題発言で更迭した)今村雅弘前復興相への対応と比べれば、稲田、下村両氏の言動を不問に付した首相の対応は甘かった。
第1次政権の後、自分を助けてくれた友人・知人を大切にしたい気持ちは理解できなくもないが、国民は「お友達優遇」と見るだろう。
◆国民の目を恐れない傲慢さが、表れてきた !
−−首相はなぜ国民感情を逆なでするような対応を取り続けるのか。
◆安倍さんが、自民党総裁に返り咲いて、9月で丸5年になる。この間4度の国政選挙で全て勝利を収め、自民党にも野党にもライバルが現れなかった。
ぬるま湯の環境に慣れ、国民に理解を求める謙虚さを失う一方、国民の目を恐れない傲慢さが、表れてきたのかなと思う。「1強」の弊害だ。
◆安倍政権の「暴走」を止められないのは、公明党の責任でもある !
−−政権の「暴走」を止められないのは、連立与党の公明党の責任でもある。
◆他党に議員の資質や議員教育のあり方をあれこれ指摘するのは限界がある。
むしろ、平和安全(安全保障関連)法や軽減税率、「テロ等準備罪」(「共謀罪」法)は、公明党の主張を盛り込むことで、より多くの国民から理解が得られる政策に仕上がった。公明党が与党にいる意義は大きい。
◆経済で結果を出す時ではないか !
−−政権浮揚のために、まずやるべきことは。
◆2012年の連立合意書は「決しておごることなく、真摯(しんし)な政治を貫くことによって結果を積み重ね、国民の本当の信頼を取り戻さなくてはならない」との書き出しで始まる。まずこの原点に戻れと言いたい。
もう、「アベノミクスは、道半ば」と言うのは、やめて、経済で結果を出す時ではないか。
景気回復の実感が薄い、地方や家計、中小零細企業に「景気が良くなった。やっぱり安倍政権は、良いね」と思ってもらえるかどうかが、政権浮揚の最初のヤマだ。秋の臨時国会で景気対策の補正予算を組むのも一つの手だと思う。
予算委員会(閉会中審査)の議論は平行線だったが、首相は丁寧で落ち着いた答弁を心がけた。信頼回復の第一歩になると思う。
◆憲法改正については、自民党の議論の推移を見守りたい !
−−首相は憲法改正に熱心だ。
◆自民党内にも拙速な改憲論議を戒める空気が醸成されつつあるのではないか。
当面は自民党の議論の推移を見守りたい。
【聞き手・高橋克哉】=つづく
■人物略歴:
うるしばら・よしお
公明党前国対委員長。同委員長在任期間は党最長の8年(2006〜14年)に及んだ。与野党議員とのパイプを持つ、与党の「ご意見番」的存在。弁護士。衆院当選7回、72歳。
(参考資料)
T 自公連立前、非自民党政権を目指していた、
本来の公明党の理念・基本路線は ?
*池田会長時代:「中道革新連合政権」構想5項目の解説
(島田裕巳『創価学会・もう一つのニッポン』139頁):
@反自民党、反大資本
A平和・自立・中立政策に基づく外交政策:
「日米安保条約の段階的解消」、在日米軍基地段階的縮小
B日本国憲法と議会制民主主義の擁護
C国民福祉優先の経済政策
D政治経済の改革手段としての暴力革命・急進主義を否定し、漸進主義を選択する
*昭和42(1967)年8月、創価学会学生部幹部会で、池田会長は「沖縄返還」を主張した。
昭和43(1968)年、「安保条約廃棄」を基本としていた、公明党は、在日米軍基地を実態調査し、有効利用されていない、基地の一部返還を主張した。
さらに、昭和43年9月、池田会長は、学生部総会で、「日中国交回復」を提言した。
昭和44(1969)年10月、創価学会系学生組織・新学生同盟が、東京で結成大会を行い、
7万5千人を結集し、「安保粉砕」を叫んでいた。
U 自民党の一党支配を打破し、新政権軸を目指す !
(石田公明党委員長)
1993年7月、総選挙に臨む基本姿勢について、石田委員長は、「自民党の一党支配の下で、『政治腐敗が起こる改革が叫ばれる 改革が実現しない 選挙で政権が動かない また腐敗が起こる』というような“悪循環”が何度となく繰り返され、今まさに政治不信はその極に達している。
この『“悪循環”を繰り返してきた最大の原因』は、“自民党に代わる政権の受け皿がなかった”ということであると思う」と日本プレスセンターで発言しました。
さらに、「政治を刷新して、緊張感を持たせる、また、政・官・財の癒着を断ち切るには、どうしても二つの問題が重要になってくる。
1つは“政権交代のシステム”であり、もう1つは“抜本的政治改革”だ」
と主張しました。
◆政権を選択できる、二大政党制をつくりたい !
国民が政策・政治姿勢を判断し、「今回は、こちらの政権に日本の政治を任せてみよう」という、政権を選択できる二大政権政党もしくは二大政権勢力が日本に存在することが、中長期的に好ましいと思います。(1998年8月:浜四津敏子代表)
V 公明党創立者・池田会長・長期構想、宗門事件、
政権交代、自公連立の軌跡と真相
1 自公連立前:政権交代、非自民党政権樹立路線の時代
1) 大阪事件:自民党・岸信介(安倍首相の祖父)政権下、昭和32(1957)年、池田青年室長等創価学会への迫害事件。台頭する民衆に国家権力が抹殺を狙った。数年後、無罪判決。
2) 言論出版事件:この頃、750万世帯達成。自民党等が脅威を感じて、大迫害に熱中。
昭和45(1970)年、既成政党(自民・民社・共産)・マスコミから創価学会への迫害
*池田第三代会長の長期構想(昭和41・1966年公表):
1990年までに1500万世帯の創価学会にする。公明党政権で福祉社会建設可能にする。
*「中道革新連合政権」構想:@反自民党、反大資本、A平和・自立・中立政策に基づく外交政策、B日本国憲法と議会制民主主義の擁護、C国民福祉優先の経済政策、D政治経済の改革手段として、漸進主義を選択する
3) 第一次宗門事件( 実は、 日蓮正宗と創価学会への分断工作・黒幕は自民党と米国CIA):
昭和52(1977)年、活動家僧侶・マスコミから創価学会への誹謗中傷が全国的に激化。山崎正友弁護士が裏で暗躍した。さらに、自民党・共産党(迫害回避の隠れ自民補完党)・米国CIAが、対米隷属・自民党体制固定化のため、裏から支援していた。
4) 池田会長辞任:昭和54(1979)年4月。宗門の権威(黒幕は山崎弁護士、自民党・米国CIA)に屈服した首脳の真相を、池田大作氏は、20年後に漸く、公表できた。
*弘安2(1279)年、熱原法難・大御本尊御図顕から約700年後の出来事。
5) 第二次宗門事件( 実は、 日蓮正宗と創価学会への分断工作・黒幕は自民党と米国CIA): 平成2(1990)年:日蓮正宗・日顕一派が、C作戦決定・実行。
*山崎弁護士が、裏で暗躍した。さらに、自民党・共産党・米国CIAが裏から支援していた。
6) 日蓮正宗・日顕一派が、創価学会を破門:平成3(1991)年11月。
7) 細川連立政権誕生:平成5(1993)年。公明党、大臣4人
(石田・坂口・神崎・広中)。
*ロッキード事件・リクルート事件・東京佐川急便事件など多発する政治腐敗を批判し、政治改革を期待する世論を背景に非自民・非共産の八党派が結束し、「細川連立政権」が発足した。 “狙うべき標的は、細川連立政権を支える強固な大組織・公明党・創価学会へのあからさまな攻撃”である。その攻撃の尖兵となり、「自民党の意志」を代弁したのは、やはり、一部週刊誌・月刊誌であった。
一方、創価学会を破門し、信者が激減、離山する青年改革僧侶からも、「日顕、悪いのは、お前だ!」などと弾呵され、窮乏した日顕。「すっかり落ち目の大自民党と凋落一途の「日顕」一派は、同病相哀れむもの同士となり、公明党・創価学会を「共通の敵」とすることで、しっかりと結びついていった。
8) 自民党は、野党に転落した。自民・マスコミは、細川政権の基盤・公明党・創価学会への誹謗中傷激化させた。
*反創価学会(弾圧目的)の自民党系団体:「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」
「憲法二十条を考える会」・「民主政治研究会」・「四月会」(宗門幹部も参加・自公連立後、解散)など。平成6(1994)年12月、小沢一郎グループと公明党等が新進党結成。非自民党政権樹立、政権交代可能な民主政治体制構築に邁進。
平成9(1997)年12月、新進党解党(裏に、自民党の巧妙な分断工作・謀略あり)。
6政党に分裂。
2 自公連立固定化・政権交代阻止・自民党公明派に大転換 ?
1) 自自公連立:平成11(1999)年10月:自民・自由・公明の連合政権誕生。
2) 平成12(2000)年4月、自由党が、政権離脱、自公保連立政権→自公政権へ移行
3) 1998年4月・民主党結成。2003年9月・民主党・自由党合併。
2009年9月鳩山政権成立。
W 自民党の「反公明党・創価学会キャンペーン」
1998年以前、政権交代を目指していた、公明党・創価学会攻撃のため、
自民党がつくった主な組織 :1979年4月、池田第三代会長は、辞任させられた。
次第に自民党への戦う精神が弱くなり、1999年自民党と連立した。
自民党・CIAは、一次・二次宗門事件(日蓮正宗と創価学会の内紛・自民党による分断工作)
の黒幕であった !
★「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」:中心者:三塚博元大蔵大臣
★「民主政治研究会」:代表:島村宜伸(しまむら・よしのぶ)元文部・農林大臣
★「憲法二十条を考える会」:代表:亀井静香・元運輸・建設大臣
★「四月会」(死学会):代表幹事:俵孝太郎(評論家)
顧問:勝部真長(お茶の水女子大学名誉教授)、秦野章(元法務大臣)、藤原弘達(評論家)
X 自民党権力に迎合・屈服した公明党の理由は ?
魚住昭氏の主張:(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている
Y 池田第三代会長等の箴言・教訓・指導:―公明党創立者―
(『池田名誉会長が語る恩師戸田城聖先生』第三文明社、より要約)
*日蓮大聖人は、全人類の未来のために、妥協なく「権力」と戦われました。
戦ったからこそ弾圧され、佐渡に流罪されたのです。
ところが、その姿を見て、多くの弟子達が、大聖人を守るどころか、非難した。
「師匠のやり方はまずい。あんなやり方だから、迫害されるのだ。私たちは、もっとうまく柔らかに法華経を弘めよう」こういって批判した。牧口先生の時も同じでありました。あからさまに「私は退転する」とは言わない。しかし、実際には、大難を恐れた「心の退転」であった。その臆病の姿を、大聖人は、悠々と見おろしておられました。牧口先生もそうであられた。
この「牧口先生の大確信」をそのまま受け継がれたのが、戸田先生です(63〜64頁)。
*「広宣流布」はどうなったらできるか、予言しておく。それは、「三類の強敵」が現れた時に、できるのです。とりわけ「僭聖増上慢」(=創価学会を迫害する仏敵)が出た時が、広宣流布する時です。
僭聖増上慢は、怖い。しかし、これが出れば、私はうれしく思う。皆さんも、うれしいと思ってもらいたい。“その時こそ、敢然と戦おう”ではないか」(279〜280頁)
* 権力には、魔力がある。その魔酒に酔わされては、絶対にならない。私に恩師は、「青年よ、心して政治を監視せよ !」との遺訓を残しました。政治の腐敗を許してしまうのは、民衆の無気力と無自覚と、「長いものには巻かれろ」という卑屈の精神である。さらに、その民衆の無気力の根源は、青年の無気力と惰弱にある―(336頁)。
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