http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/7989.html
Tweet |
公明党の主張:憲法論議は、国民の理解得て !
大阪事件・宗門事件・自公連立の深層・真相は ?
(www.komei.or.jp:公明新聞:2017年5月5日より抜粋・転載)
◆兵庫・尼崎、奈良、那覇で訴え !
憲法議論で「加憲」の立場を強調する熊野氏(左から4人目)ら=同 奈良市【兵庫】公明党兵庫県本部(赤羽一嘉代表=衆院議員)の街頭演説会が尼崎市内で開かれ、中野洋昌衆院議員が同市議選予定候補12氏らと共に決意を述べた。
中野氏は、憲法3原理の「国民主権」「基本的人権の尊重」「恒久平和主義」のもとで「高度経済成長や国民福祉の向上が果たされてきた」と強調。3原理を堅持しつつ、丁寧に改正議論を進めていく考えを訴えた。
【奈良】党奈良県本部(岡史朗代表=県議)は県内各地で街頭演説会を開催。奈良市内で行われた街頭では熊野正士参院議員と共に、同市議選に挑む予定候補7氏らが参加し、決意を表明した。
熊野氏は憲法改正の議論について、「公明党は必要に応じて条文を加える『加憲』の立場である」と強調。「国民の理解を得ながら議論を進めていく」と訴えた。
公明党の取り組みを訴える金城県代表(左から4人目)ら=同 那覇市【沖縄】党沖縄県本部(金城勉代表=県議)は那覇市内で街頭演説会を開き、同市議選に挑む現職の公明7氏が激戦突破への決意を表明した。
金城代表は、憲法の理念を堅持する公明党の考えを強調。その上で「市民の課題解決に全力で取り組む」と訴え、公明7氏への支援を呼び掛けた。
(参考資料)
大阪事件・宗門事件・自公連立の深層・真相は ?
法華経の行者への迫害の構図と実態は ?
T 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 三十六
法悟空 内田健一郎 画 (6064)
(www.seikyoonline.jp:2017年5月5日より抜粋・転載)
同志の中へ、心の中へ――山本伸一は、日々、激励行を重ねていった。それは、創価の新しき大地を開くために、語らいの鍬を振るい続ける、魂の開墾作業でもあった。
激動の一九七九年(昭和五十四年・池田第三代会長が辞任させられた年)は師走に入り、慌ただしい年の瀬を迎えた。
十二月二十六日午後、伸一は、東京・荒川文化会館を訪問した。この日の夜、荒川区民会館で開催される第三回鼓笛隊総会に出席することになっており、それに先だって、文化会館に集合している鼓笛隊や、地元・荒川区の同志を励ましたかったのである。
伸一の荒川への思いは、人一倍強かった。
一九五七年(同三十二年)七月、彼が選挙違反という無実の容疑によって逮捕・勾留された大阪事件(自民党・岸信介政権下の創価学会への迫害)から一カ月後の八月、広布の開拓に東奔西走したのが、荒川区であったからだ。
横暴な牙を抜く、“権力の魔性”と戦い、獄中闘争を展開した彼は、不当な権力に抗し得るものは、民衆の力の拡大と連帯しかないと、心の底から痛感していた。
ゆえに、人情味豊かな下町の気質を受け継ぐこの荒川の地で、広宣流布の大いなる拡大の金字塔を打ち立てることを決意したのだ。
彼は、一人ひとりに焦点を当て、一人を励ますことに徹した。全情熱、全精魂を注ぎ、一騎当千の勇者を次々と誕生させていった。
荒川は小さな区である。しかし、そこでの団結の勝利は、全東京の大勝利の突破口となり、必ずや全国へ、全世界へと波動していく。
伸一は、“荒川闘争”にあたって、ある目標を深く心に定めていた。それは、一週間ほどの活動であるが、区内の学会世帯の一割を超える拡大をすることであった。
皆が、想像もできない激戦となるが、ここで勝つならば、その勝利は、誇らかな自信となり、各人が永遠に自らの生命を飾る栄光、福運の大勲章となろう。
御聖訓には、「強敵を伏して、始て力士をしる」(御書九五七ページ)と。伸一は荒川の同志には、困難を克服し、確固不動なる“東京の王者”の伝統を築いてほしかったのである。
U 法華経の行者への迫害の構図と実態は ?
T) 有力宗教団体等と国家権力との連合による、法華経の行者への迫害の構図:
*鎌倉時代、小松原の法難では、日蓮一行10人に数百人で地頭達が襲撃した。
*竜の口の法難では、日蓮大聖人の小さな庵に数百人の武装兵士で襲撃した。
極く小さな教団でも、宗教界有力者と鎌倉幕府の権力者が結託した、大弾圧であった。
U) 有力宗教団体等と国家権力との連合による、
「法華経の行者への迫害の構図」:
*鎌倉時代、小松原の法難では、日蓮一行10人に数百人で地頭達が襲撃した。
*竜の口の法難では、日蓮大聖人の小さな庵に数百人の武装兵士で襲撃した。
極く小さな教団でも、宗教界有力者と鎌倉幕府の権力者が結託した、大弾圧であった。
V)現代の一次・二次宗門事件等、
一次:1977年(昭和52年)〜 二次:1989年(平成元年)〜
800万世帯の大教団、数千名の公明党議員、数千名の秘書・本部職員・公明党職員のいる創価学会への迫害が200名程度の活動家僧侶と山崎弁護士たちだけで、するわけはないし、できるわけがない。
多くの評論家たちが、宗門の後ろに、自民党や米国CIAの支援があったと著書に記述している。大聖人時代の迫害の構図と同様、現代において、有力宗教者・マスコミ・大資本と国家権力との連合による、法華経の行者(池田第3代会長・創価学会員)への迫害の真相・誰が僭称増上慢(仏の敵)かの真実を、公明党・創価学会執行部が、創価学会員に
インペイし、17年超、全国支援・自公連立することは、日蓮大聖人への違背・裏切り行為になりませんか?
V 池田第3代会長・長期構想、宗門事件、
政権交代、自公連立の軌跡と真相
1自公連立前:政権交代、非自民党政権樹立路線の時代
1) 大阪事件:自民党・岸信介(安倍首相の祖父)政権下、昭和32(1957)年、
池田青年室長等創価学会への迫害事件。台頭する民衆に国家権力が抹殺を狙った。
数年後、無罪判決。
2) 言論出版事件:この頃、750万世帯達成。自民党等が脅威を感じて、大迫害に熱中。
昭和45(1970)年、既成政党(自民・民社・共産)・マスコミから創価学会への迫害
*池田会長の長期構想(昭和41・1966年公表):1990年までに1500万世帯の創価学会にする。公明党政権で福祉社会建設可能にする。
*「中道革新連合政権」構想:@反自民党、反大資本、A平和・自立・中立政策に基づく外交政策、B日本国憲法と議会制民主主義の擁護、C国民福祉優先の経済政策、D政治経済の改革手段として、漸進主義を選択する
3) 第一次宗門事件:昭和52(1977)年、活動家僧侶・マスコミから創価学会への誹謗中傷が全国的に激化。山崎正友弁護士が裏で暗躍。さらその奥に、自民党・共産党(この当時は、迫害回避の隠れ自民補完党)・米国CIAが、対米隷属自民党体制固定化のため、裏から支援していた。
4) 池田会長辞任:昭和54(1979)年4月。宗門の権威(黒幕は山崎正友、その奥に自民党)に屈服した首脳の真相を、池田氏は、20年後に漸く、公表できた。
*弘安2(1279)年、熱原法難・大御本尊御図顕から約700年後の出来事。
5) 平成2(1990)年:日蓮正宗・日顕一派が、C作戦決定・実行。
6) *山崎弁護士が、裏で暗躍していた。改革派・公明党の勢力を弱体化する謀略があり、さらに奥の巨大黒幕の、自民党・米国CIAが裏から支援して、分断工作をした。
7) 日蓮正宗・日顕一派が、創価学会を破門:平成3(1991)年11月。
8) 細川連立政権誕生:平成5(1993)年。公明党、大臣4人
(石田・坂口・神崎・広中)。
*ロッキード事件・リクルート事件・東京佐川急便事件など多発する政治腐敗を批判し、政治改革を期待する世論を背景に非自民・非共産の八党派が結束し、「細川連立政権」が発足した。 “狙うべき標的は、細川連立政権を支える強固な大組織・公明党・創価学会へのあからさまな攻撃”である。
その攻撃の尖兵となり、「自民党の意志」を代弁したのは、やはり、一部週刊誌・月刊誌であった。一方、創価学会を破門し、信者が激減、離山する青年改革僧侶からも、「日顕、悪いのは、お前だ!」などと弾呵され、窮乏した日顕。「すっかり落ち目の大自民党と凋落一途の「日顕」一派は、同病相哀れむもの同士となり、公明党・創価学会を「共通の敵」とすることで、しっかりと結びついていった。
9) 自民党は、野党に転落。細川政権の基盤・公明党・創価学会への誹謗中傷激化。
*反創価学会(弾圧目的)の自民党系団体:「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」
「憲法二十条を考える会」・「民主政治研究会」・「四月会」(宗門幹部も参加・自公連立後、解散)など。平成6(1994)年12月、小沢一郎グループと公明党等が新進党結成。
非自民党政権樹立、政権交代可能な民主政治体制構築に邁進。平成9(1997)年12月、新進党解党(裏に、自民党の巧妙な分断工作・謀略あり)。6政党に分裂。
2 自公連立固定化・政権交代阻止・自民党公明派に大転換 ?
1) 自自公連立:平成11(1999)年10月:自民・自由・公明の連合政権誕生。
2) 平成12(2000)年4月、自由党が、政権離脱、自公保連立政権→自公政権へ移行
1998年4月・民主党結成。2003年9月・民主党・自由党合併。2009年9月鳩山政権成立
W 1998年後、自民党権力に迎合・屈服した公明党
魚住昭氏の主張:
(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている。
X 公明党・創価学会への迫害と懐柔の主体・黒幕は自民党 !
第一次・第二次宗門事件の深層・真相 !
迫害の構図:有力宗教団体等と国家権力との連合
T.公明党・創価学会への迫害と懐柔の主体・黒幕は自民党 !
下記の要約は、吉村元佑(元公明新聞・特派員)著『謀略の環』・2000年発行、より抜粋。
(同様の記述は、野崎勲(創価学会・総合青年部長)『謀略』・1981年発行 、丸山実『月刊ペン事件の内幕』・1982年発行、丸山実著『創価学会つぶしに出た法主日顕の陰謀』・
1991年発行 、北林芳典・元月刊誌『第三文明』編集者・著「邪智顛倒」はまの出版梶E1994年発行 佐倉敏明著 『週刊誌のウソと捏造』・1996年発行、佐倉敏明著『誑し屋山崎正友の虚言商法』・1998年発行、安部義和著『陰謀』(株)中外日報、1997年発行、奥野史郎『謀略僧団・悪業の巣・山崎正友と正信会』徳間書店、1981年発行、にもある。
丸山実氏は、対米隷属・自民党一党支配を支援し続けた歴史を持つ、CIAとその手法を考慮して、謀略の裏には、米国CIAの動きを指摘している)
1. 悪徳弁護士・山崎正友の駆け込先は「自民党」 !
山崎正友が仕掛けた、「宮本宅盗聴事件」暴露で、日本共産党までを私怨に巻き込み、「創共反目」という手土産を持って、山崎は、政権党・自民党に駆け込んだのである。「創価学会攻撃」のウラには、底知れぬ黒々とした「巨悪の構造」があったのである(170〜173頁)。
2.改革勢力への分断工作として利用された日顕一派 !
ロッキード事件・リクルート事件・東京佐川急便事件など多発する政治腐敗を批判し、政治改革を期待する世論を背景に非自民・非共産の八党派が結束し、「細川連立政権」が発足した。
自民党は自ら反省・改革することを忘れ、他党を攻撃して、「謀略で政権奪取」を狙った。
“狙うべき標的は、細川連立政権を支える強固な大組織・公明党・創価学会へのあからさまな攻撃”である。一方、創価学会を破門し、信者が激減、離山する青年改革僧侶からも、「日顕、悪いのは、お前だ!」などと弾呵され、窮乏した日顕。
すっかり落ち目の大自民党と凋落一途の「日顕」一派は、同病相哀れむもの同士となり、公明党・創価学会を「共通の敵」とすることで、しっかりと結びついていった。
3.反学会・自民党議員グループの講師はペテン師・山崎正友 !
1993(平成5)年12月、山崎正友は主に自民党議員で構成される「民主政治研究会(代表・島村代議士)の勉強会の講師として招かれた。
刑務者出所間もない犯罪者・山崎講師のご意見を拝聴しようという、国会議員グループの大半は自民党国会議員であった(229頁)。
4.反学会・「憲法20条を考える会」設立総会を「自民党本部」で挙行 !
悪徳・山崎講師のスキャンダルタップリのご高説が国会議員諸公の攻撃精神に火をつけた。
勉強会から一週間もしない内に、50名超の国会議員からなる、「憲法20条を考える会」の設立総会が、「自民党本部」で開かれている。
山崎が火をつけるや、自民党議員がすばやく動く。そして、マスコミも同調し、その誹謗・中傷を増幅するマイク役となって煽る。個々バラバラの咆哮ではなく、明らかに「連携プレー」になっている(229~236頁)。
5.自民党がビラ・資金も含めて、
悪徳・弁護士山崎の学会攻撃を支援 !
−以下省略−
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。