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稀勢の里、けが乗り越え、逆転優勝 ! 新横綱の優勝は、22年ぶり !
「稀勢の里V」相撲では負けていたが 最後は気持ち 一夜明け
稀勢の里のプロフィールは ?
T 新横綱・稀勢の里、逆転優勝 !
(www3.nhk.or.jp:2017年3月26日 19時44分より抜粋・転載)
大相撲春場所で新横綱・稀勢の里は、終盤戦でけがを負うアクシデントに見舞われながらも強行出場し、劇的な逆転優勝を果たしました。
稀勢の里は今場所、新横綱としての重圧を感じさせない落ち着いた相撲で順調に滑り出し、いったん押し込まれても力強く押し返すなど、貫禄も感じさせる内容で白星を重ねました。
中日以降は苦しい相撲も続きましたが、冷静さを失うことなく、逆転勝利で連勝を続けました。春場所は、17年ぶりの4横綱時代の幕開けとして注目が高まりましたが、白鵬が序盤で休場し鶴竜と日馬富士も中盤までに相次いで星を落となか、新横綱の稀勢の里は、ただ1人、勝ち続けました。
新横綱の初日からの12連勝は、年6場所制が定着した昭和33年以降、2位に並ぶ記録でした。しかし、13日目の結びの一番、今場所最初の横綱対決で日馬富士の低く鋭い出足に圧倒されて初黒星を喫し、左肩付近を痛めるアクシデントに見舞われました。
稀勢の里は救急車で病院に搬送され、翌日の出場は危ぶまれましたが、14日目は分厚いテーピングを施して強行出場しました。この日は、横綱・鶴竜を相手にほとんど相撲にならず、力なく土俵を割って2敗となりましたが、稀勢の里は「やるからには最後までやりたい」と、最後まで勝負を諦めない強い意志を示しました。
そして、26日の千秋楽で稀勢の里は優勝争い単独トップに立っていた大関・照ノ富士に本割と優勝決定戦で続けて勝ち、劇的な逆転優勝を果たしました。
新横綱の優勝は、平成7年初場所の貴乃花以来、22年ぶりの快挙で、稀勢の里は、大きな注目を集めた、新横綱としての責任を十分に果たし、横綱としての強い意地を示しました。
U 「稀勢の里V」相撲では負けていたが 最後は気持ち 一夜明け
(news.yahoo.co.jp:2017年3/27(月) 11:10配信より抜粋・転載)
毎日新聞 :
<稀勢の里V>相撲では負けていたが最後は気持ち 一夜明け
優勝した大相撲春場所の千秋楽から一夜明け、記者会見する稀勢の里=大阪市港区で2017年3月27日午前10時38分、川平愛撮影
新横綱として臨んだ大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)を制した稀勢の里(30)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が劇的な逆転劇から一夜明けた27日、大阪市内の部屋宿舎で記者会見を開き、「一生の思い出になるような大阪場所だった」と語った。
【一夜明けの笑顔写真特集】
日馬富士に敗れた、13日目の取組で、左肩付近を痛め、翌日の鶴竜戦も一方的に敗戦した。
しかし、星一つの差で追う、大関・照ノ富士に、千秋楽の本割、優勝決定戦で連勝した。
「相撲では負けていたけれど、最後は、気持ちだった。今まで聞いたことのない歓声が後押しになった」と振り返った。
新横綱の優勝は、1995年初場所の貴乃花以来8人目で、入門時の師匠だった、故鳴戸親方(元横綱・隆の里)も、1983年秋場所で達成した。3連覇を目指す、夏場所は、4横綱の中で最高の東正位につく。
「相撲界に入った以上、それを目標にやってきた。満足することなく、今後もやっていきたい」と決意を新たにした。【坂本太郎】
(参考資料)
稀勢の里寛
(ウイキペディアより抜粋・転載)
◆プロフィール
稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市[2][3])で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。第72代横綱。本名は萩原 寛(はぎわら ゆたか)、愛称はハギ。身長188cm、体重175kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥、フグ刺し、紀州南高梅[1]。龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。
得意手は左四つ・寄り・突き・押し。血液型はB型。締め込みの色はナス紺。生まれつき左利きであり、矯正により両利きになったが主に左手を使う[4]。
◆力士として・取り口など[編集]
元々は突き押しを武器に出世した。特に左からのおっつけは幕内でも1、2を争うほど強烈で立ち合いを制した時はそのおっつけだけで相手を浮き上がらせ、そのまま一気に土俵の外に持っていくこともある[106]。
また番付を上げていくのと同時に左四つの型を身に付け[107]、特に大関昇進以後は左四つ右上手が絶対の型と言われるほどになった。
また土俵際に追い詰められたときの左からの突き落としも武器とは言い難いが強烈ではある。特に白鵬戦で良く出ることが多い。
弱点としては脇の甘さと致命的な腰高、そしてメンタル面の弱さが挙げられる。 メンタル面については多くの相撲界OBや好角家から言われており[108]、特に優勝の為の大事な一番になると極端に動きが悪くなることで知られる。
器用な力士とは言い難く、喧嘩四つの相手には差し手争いで手こずり自分の型になるまで時間がかかることが多い。 また絶対の型である左四つ右上手の型になってからの攻め手が基本的に寄り、もしくは右から抱えての小手投げぐらいしかなく、先述のように腰高でもある為なかなか寄れずに勝負をつけるのに時間がかかることも少なくない(それでもこの型になればほぼ負けない為絶対の型であることに変わりはない)。
脇の甘さ故に時折格下相手にも差し負け、右四つやもろ差しになられることもあり、こうなってしまうと呆気なく敗れてしまうことも多い。また、碧山のような強烈な突き押しを持つ力士に対しては、呆気なく土俵を割ってしまうことも多い。
良い時は横綱相手にも互角以上にわたり合えるが、悪い時は平幕相手にも呆気なく取りこぼす。 このようなメンタル面の弱さと力士としての不器用さが、実力がありながら初優勝までに89場所、優勝次点12回を要した要因であると言える。
非常に怪我の少ない力士であり初土俵から横綱に昇進した2017年1月場所まで休場は1度しかない(その一度は千秋楽での不戦敗なので星取表に休場を表す「や」と記載されたことは一度もない)。稀勢の里が怪我に苦しまず相撲を取れているのは関取になるまで廻しを一切取らなかったことと入門後も先代鳴戸から既成の食品をほとんど与えられなかったことによる[11]。
制限時間がいっぱいになると、顔面を2回たたいてから塩を取って仕切っている。
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