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ストックホルムで、ノーベル医学・生理学賞大隅教授10日に授賞式 !
研究者の懸念:
基礎科学への予算が減り続ける日本 !
(www3.nhk.or.jp:2016年12月10日 5時52分より抜粋・転載)
ことしのノーベル賞の授賞式が、現地時間の12月10日、スウェーデンの首都ストックホルムで行われ、医学・生理学賞に選ばれた東京工業大学栄誉教授の大隅良典さんにスウェーデンの国王からメダルと賞状が贈られます。
スウェーデンの首都ストックホルムでは、10日の午後4時半(日本時間11日午前0時半)から中心部にあるコンサートホールで、平和賞を除くノーベル賞の授賞式が行われます。
◆オートファジーを解明した、大隅教授
日本からは、細胞が不要になったたんぱく質などを分解するオートファジーと呼ばれる仕組みを解明した東京工業大学栄誉教授の大隅良典さんが医学・生理学賞を受賞します。
授賞式には、選考委員会のメンバーやスウェーデン政府、それに外交官など1500人余りが招待され、大隅さんの業績が紹介されたあと、スウェーデンのグスタフ国王から記念のメダルと賞状が手渡されることになっています。
授賞式のあと、受賞者は市庁舎に移動して、スウェーデンの王室のメンバーなどとともに晩さん会に出席することになっています。
6日に現地に到着して以降、さまざまな行事に参加している大隅さんは、8日、妻の萬里子さんとともに記者会見し、「とてもすばらしい授賞式を楽しめれば最高です」と式に臨む気持ちを話していました。
◆ノーベルの命日に行われる授賞式
ノーベル賞の授賞式は、平和賞を除いて、アルフレッド・ノーベルの命日に当たる12月10日(日本時間11日未明)にストックホルム中心部のコンサートホールで行われます。
ステージ上にはおよそ100人が席につき、最前列に、ことしの受賞者と、グスタフ国王などスウェーデンの王族が並びます。
式典では、まず、各賞の受賞理由について説明があり、そのあと、受賞者が1人ずつ名前を呼ばれ、ステージの中央で国王からメダルと賞状を手渡されます。
式典には受賞者の家族や関係者など1500人余りが招待されていて、出席者は、男性はえんび服に白色のタイ、女性はイブニングドレスの正装が求められます。
◆受賞者の家族なども招待 晩さん会
ノーベル賞の晩さん会は、日本時間の11日未明に行われる授賞式のあと、ストックホルム中心部の市庁舎で行われます。
ファンファーレの音色とともに王族や受賞者らが会場につながる階段を降り、席につきます。
晩さん会には受賞者の家族や研究者仲間なども招待され、出席者はおよそ1300人に上ります。
会場内は、その年のテーマに合わせた多くの花が飾られ、シェフ40人がかりで作るコース料理がふるまわれます。
晩さん会は毎年、4時間近くに及び、受賞者が王族らと会話を楽しむ様子が見られ、会が終わりに近づくと、各賞の受賞者の代表がアルフレッド・ノーベルが遺言で残した賞の順番に従って、スピーチを行います。
晩さん会は1901年から30年近くストックホルム中心部にあるグランドホテルで行われていましたが、1934年からは、毎年、市庁舎で行われています。
(参考資料)
Listening:
<論点>ノーベル賞と基礎研究
(mainichi.jp:2016年12月9日より抜粋・転載)
毎日ジャーナリズム:毎日新聞:
今年のノーベル医学生理学賞に選ばれた大隅良典・東京工業大栄誉教授(71)の授賞式が10日、開かれる。自然科学分野で日本の存在感が増しているなか、基礎研究は苦境にあるとの懸念が科学界に広まっている。国の予算が年々縮小しているのも一因だ。
将来、日本人受賞者が出なくなるとの悲観論も。基礎研究の重要性と社会のあり方を、基礎研究分野に取り組み、ノーベル賞に輝いた3氏と考える。
◆白川英樹氏:
科学者は子供に魅力紹介を 白川英樹・筑波大名誉教授
ノーベル賞のメダルの図柄をご存じだろうか。物理学賞と化学賞は共通で、薄いベールをまとった自然の女神が雲の上に立ち、科学の女神がベールを持ち上げている。つまり、科学はたくさんある未知の自然現象を解き明かす行為ということだ。知的な好奇心の表れで、本来、役に立つとか立たないとかいう次元の話ではない。
基礎科学は人類共通の知的財産だからこそ、それを支えるべきは国の予算だ。私が筑波大教授のころ、大学を通して国から割り当てられた教授1人の研究費は、年200万〜300万円あった。毎年確実に入ってくると約束されたお金だ。現在では「効率化」の下で大幅に減らされている。それでは科学界が疲弊し、世界を席巻する成果が生まれるとは思えない。
今年2月、興味深い論文が発表された。コロニー(集団)の中に必ず2〜3割は働かないアリがおり、他のアリが疲れて動けなくなった時、代わりに働いて集団の長期存続に貢献するという内容だ。これは研究者の世界にも当てはまるだろう。
ただ、数年間で成果を出せない研究者を予算削減によって排除し続ければ、長い目で見れば科学者集団の弱体化につながり、良い研究が減るという状況を招くと言える。
私は、2001年に総合科学技術会議(現総合科学技術・イノベーション会議)の有識者議員になった。当時は04年度の国立大の法人化直前で、そうなっても国が交付する研究費は減らさないように主張したが、逆方向に向かっていることは残念だ。それは何にも拘束されないお金だからこそ、自由な発想が生まれる。じっくり腰を据え、興味に従って基礎分野を深く研究する環境は、成果主義にはなじまない。
確かに、国が主張するように、何の役に立つのか分からない研究にお金を出すことは、納税者に説明がつきにくいという考え方もあろう。これは研究者も自戒しなければならない。本来は、いかに基礎科学がおもしろく、重要なことかということを科学者が市民に説明すべきだ。それを怠った結果、市民と科学者の感覚の隔たりが大きくなり、役に立たなければ無駄だという発想につながってしまったのではないだろうか。
そこで、基礎科学への理解を広げるため、科学者が中高生らに積極的に自らの研究内容を紹介し、時には実験してもらうなどの活動が有効だ。日本学術振興会も十数年前に活動を始めている。子供が魅力を感じることで科学の裾野も広がり、納税者である親も将来への有効な投資だと気づくことになるだろう。
今年のノーベル医学生理学賞に決まった大隅良典・東京工業大栄誉教授が指摘しているように「3年連続でノーベル賞が出ていることに浮かれている場合ではない」という指摘に同感する。大隅氏らノーベル賞受賞者の業績の多くは20年、30年前にさかのぼる成果だ。果たして今、20〜30年後のノーベル賞につながる芽を発見できる研究環境があると言えるのか。
社会全体として真剣に考える時が来ていると思う。【聞き手・渡辺諒】
◆梶田隆章氏:
人材失われる予算減に限界 梶田隆章・東京大宇宙線研究所長
現場にいて強く感じるのは、(2004年度の)国立大学の法人化以降、(文部科学省が各国立大に出し、基礎研究を支えてきた)運営費交付金が毎年減り、呼応するように研究者マインドがしぼんでいることだ。
人が減っているためか業務量が増え、研究をする上で本来不可欠なはずの「余裕」もない。例えば、宇宙線研究所でセミナーを開いても、自分の研究に直結しなければ参加しない者を見かける。それでは将来の研究の芽を自ら摘んでいるようで、とても好ましくないと懸念している。
多くの国立大では、運営費交付金が減って人件費が工面できなくても学問分野は減らせないので、教授を残して助教を減らしてきた。こうして若手ポストが急激に減ったという構造的な問題も生じている。
近年は「クロスアポイントメント」と言って、教授が理化学研究所など外部の研究者を兼務し、その分大学が出す人件費を抑制する取り組みが行われている。その浮いたお金で助教を雇う。少しでも若手を確保しようと工夫し、何とかやりくりしている。
地方の国立大ではこのようにできない所もあり、人材の確保に苦労しているという話をよく聞く。地方の大学の疲弊を見ると、研究の裾野が急激に失われているという危機感ばかりが募る。学問的に、一部の大学が生き残ればよいということはない。日本の大学システム全体が機能し続けないと、レベルの高い成果を出し続けることは不可能だ。
ノーベル賞受賞などを機に、中高生に基礎科学研究の重要性や、受賞対象でその一つでもある「ニュートリノ振動」について話す機会があるが、最近は驚かされることが増えた。
それは「何の役に立つのですか」という質問が多いことだ。中高生にはもっと純粋でいてほしいが、世の中がそういった方向に向いていて、子供にまで同様のマインドが定着していることに衝撃を受ける。私は「ニュートリノ振動は役に立ちません。
でも人類共通の知の創造として重要だからやっている。そんな活動があってもいい」と訴え、分かってもらうように努力している。
日本はきちんと高等教育を受けた人を社会に輩出しづらい点も指摘したい。国際的には、企業や省庁で決定する立場にある人の多くは博士号を持っている。日本では、博士課程に進むと「(就職先がなく)将来が不安」と多くの学生が話すように、博士号を持った人が活躍しにくい。
加えて、大学院生に対する経済的なサポートも貧弱だ。限られた大学の大学院を支援するようなプログラムはあるが、それを院生が享受するとしても期間が7年程度のプログラムのため、学生が在籍する5年間がフルに入るかは運次第だ。
世界やアジアの中で、東大の学問レベルのランキングが落ちてきている話を耳にすることがあると思う。アジア諸国が近年、高等教育や科学技術研究の重要性を認識し、多額の公的資金を出すようになっているためだと考えられる。一方で日本は正反対。「予算は減らすけれども頑張れ」と言われることに限界が来ている。【聞き手・渡辺諒、写真も】
◆益川敏英氏:
成果を狙ってばかりでは… 益川敏英・京都産業大教授
基礎研究というのは、川で言えば上流部分に当たる。東北地方においしいカキが取れる湾があったが、ある時から取れなくなった。調べてみると、上流で開発が行われて森林が荒れ、十分な栄養が流れて来なくなったことが原因だった。
科学も同じで、上流の基礎研究を枯らしてしまうと、いい成果が下流部分で出てこなくなる。
日本では基礎研究よりも、すぐに成果が出る実学的なものを重視する傾向が強まっている。もちろん、基礎研究を無視しているとまでは言えない。僕と一緒にノーベル賞を受賞した小林誠君(名古屋大特別教授)がいる「高エネルギー加速器研究機構」(茨城県つくば市)には、毎年かなりの予算が投じられている。
ただ、湯川秀樹先生や、僕の師匠の坂田昌一先生(元名古屋大教授)といった素粒子物理の分野を世界的にリードしてきた先人の努力、長年の蓄積があってこそという面も否定できない。実績のない分野の基礎研究が置かれている環境は厳しい。
背景には、研究資金の配分方法の変化がある。研究者が自由に使える研究費は減り、公募で選ばれたプロジェクトに配分する競争的資金の比重が高まった。予算を申請する段階で成果の見通しを説明するよう求められ、定期的に進捗(しんちょく)状況を報告しなくちゃいけない。
この仕組みでは、確実に成果が期待でき、社会へのアピールにもつながる研究が予算を獲得しやすい。しばらく論文を書かず、新しいものに挑戦していくような基礎研究は細っていく。
初等教育や中等教育にも問題がある。日本社会は教育熱心と言われるが、正確には、教育結果に対して熱心なのだと思う。目の前の試験や入試を重視するあまり、高得点を取るテクニックばかりが発達し、研究者の素養として重要な深く考える力が育ちにくい。
例えば、こんな話がある。水が半分入ったコップを傾けた時、水面がどうなるかという問題を小中学生と高校生に解かせた場合、正解率は高校生が最も低かったという。
少し考えれば答えは分かるはずなのに、受験テクニックとして、「見たことのない問題は飛ばして次に移れ」と教わっているから、多くの高校生がその言いつけを守って手をつけなかった。逆説的なことに、日本では長く教育を受けた者ほど考えなくなるのだ。
研究というのは、自分で問いを立て、その前に座り込んで考えるものだ。未知のものに挑む基礎研究では、特にこの傾向が強い。
基礎研究を重視するのであれば、教育の仕組みを変える必要がある。
文系の学問を「役に立たない」と断じる風潮も、基礎研究の軽視と同じ文脈にある。だが、おかしな話だ。僕は名古屋大の学部生時代、哲学の本も随分読んだ。理解できない部分があるが、役に立たなかったわけではない。
基礎研究の場合、問い立てや目のつけどころには、研究者の世界観が表れる。哲学だってその土台になったはずだ。科学は最終的に、人々の生活を豊かにしなければならないとは思う。だが、そのことばかりを狙って達成できるほど単純なものではない。【聞き手・大久保昂】
◆運営費交付金12年で12%減 !
基礎研究の苦境の背景にある予算削減の中心は、国立大が人件費や研究費の資金とする文部科学省の「運営費交付金」だ。2004年度の大学法人化後の12年間で1470億円(12%)減り、16年度は1兆945億円。このため国立大は教員の新規採用を抑え、40歳未満の若手研究者が年々少なくなっている。
教員1人の研究費も減少。このあおりで、運営費交付金とは別枠で研究者が取り合う「科学研究費補助金」の獲得競争が激しくなっている。
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