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  テレビ小説「べっぴんさん」と大東亜戦争 !  米軍等による、日本本土空襲 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/6908.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2016 年 10 月 09 日 21:49:08: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


連続テレビ小説「べっぴんさん」と大東亜戦争 !

戦時中、米軍等による、日本本土空襲の概略 !

坂東すみれ(芳根京子)は、幼なじみの潔(高良健吾)に思いを寄せていたが、姉のゆり(蓮佛美沙子)と結婚することになり、思いを告げることなく失恋する。潔に召集令状が来、やがて出征した。

中国等とアジアで戦争中なのに、日本の20倍の国力の米国とも戦争した。

☆国民大多数は、無謀な戦争の実態を知らされず、

神の国・日本は、勝利すると、思い込まされていた。

マスコミ・学校教育・町内会等、あらゆる手段で、

国民は洗脳され、騙されていたのである。

潔とゆりの結婚式の時、祖母のトク子(中村玉緒)から父・五十八(生瀬勝久)と母・はな(菅野美穂)の苦労話を聞いたすみれは家への思いを強くし、五十八からきた縁談話をすぐに承諾するが、その相手は幼なじみの田中紀夫(永山絢斗)だった。
つかみ所のない性格の紀夫との生活が始まるが、ある日、妊娠したことを告げると感情を爆発させて喜ぶ紀夫の姿に、改めて愛情を深めるのだった。

しかし、紀夫に召集令状が届き、お腹の子供を託されたすみれは、夫不在の中、娘のさくらを出産する。戦況が厳しくなり、近江の坂東本家に疎開するすみれとゆりだったが、おじの長太郎(本田博太郎)一家の態度は冷たい。そんな中、神戸で大きな空襲があったと五十八からの知らせが入る。

昭和20年8月、終戦の日を迎えたすみれは、様子を確認するため、神戸に戻る。そこで目にしたのは、焼け野原になった街と、焼け崩れた屋敷の姿だった。大きな衝撃を受けたすみれだったが、娘・さくらのため、母として前を向くのだった。

*補足説明:戦死者(中学校・社会科教科書から抜粋・転載)

日本:約310万人、中国:約1000万人、その他アジア諸国:約1000万人。


(参考資料)

T 侵略戦争の犠牲者数は本当か?

(www.jcp.or.jp:2004年11月4日(木)「しんぶん赤旗」より抜粋・転載)

〈答え〉 1945年8月15日、天皇制政府は、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏しました。15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(63年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。 

戦後、日本政府は、一貫して、侵略戦争と認めることを拒否し、犠牲者数をなるべく過小に計算する見地で資料を作成し、戦争の惨害の本格的な資料を作成してきませんでした。
前記の厚生省資料も、太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会の調査によって推計したものです。

 日本の侵略戦争は、アジア・太平洋各国に2000万人以上の死者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。この数は、各国の政府公表あるいは、公的発表にもとづくものです。
中国1000万人以上(「中国の人権状況」中国国務院=ただし37年7月〜45年8月まで。他に2000万人との報告もある)―以下省略−


U 戦時中、米軍等による、 日本本土空襲の概略 !

(ウイキペディアより抜粋・転載)

◆空襲の主力となったB-29戦略爆撃機による爆弾投下

1945年(昭和20年)8月1日に広島や長崎その他33都市に投下された。裏面には軍施設への攻撃予告と避難指示、日本国民を軍事政権から解放する旨の文章が記載。

日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)期、連合国軍(アメリカ軍とイギリス軍)が日本各都市に対して行った空襲、戦略爆撃である。連合国軍による攻撃は、特に1944年(昭和19年)末頃から熾烈となり、最終的には無差別爆撃(絨毯爆撃)として行われた。

攻撃は、ボーイングB-29に代表される戦略爆撃機による爆撃のみならず、英米の機動部隊艦載機や硫黄島などから飛来する機体による爆撃や機銃掃射というかたちでも行われた。また、航空戦力によってだけではなく、沿岸部の都市では艦砲射撃によっても攻撃されたところもある。

空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説あるが100万とするものもあり[1]、被災人口は970万人に及んだ[2]。

被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した[2]。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。


◆ナパーム焼夷弾の開発[編集]

ドイツ軍が焼夷弾によるロンドン爆撃をおこなうと、米空軍は焼夷弾の開発にふみきり[3]、1942年には投下後ばらばらになって着地すると尾部からナパームを噴射しながら跳びはねるという強力な着火能力をもつ小型焼夷弾M69が開発された[4]。

M69を開発した国家防衛調査委員会(NDRC)焼夷弾研究開発部門長でスタンダード・オイル社副社長のラッセルは「軍需工場を爆撃する精密爆撃よりも焼夷弾による市街地絨毯爆撃をおこなうべきだ」と主張した[4]。

1943年のNDRC作成の情報部焼夷弾レポートでは「日本の都市はほとんどが木造住宅でしかも過密なため大火災がおきやすい、住宅密集地域に焼夷弾を投下して火災をおこさせ、住宅と混在する、ないしはその周囲にある工場も一緒に焼き尽くすのが最適の爆撃方法である」と報告された[4]。

◆外地・台湾空襲[編集]

アメリカ軍による日本空襲以前には、日中戦争中の1938年(昭和13年)2月23日に当時は日本領外地だった台湾の台北松山基地にソ連空軍志願隊と中華民国空軍が共同で空襲を行い、民間人に若干の被害を生じたことがあった。

1938年(昭和13年)5月20日に中国軍のB-10爆撃機が九州に侵入し、爆弾ではないが、反戦ビラを投下した。その後、日本軍は同年12月から重慶爆撃を開始した。
1943年(昭和18年)11月25日には台湾に対する新竹空襲が、1945年(昭和20年)5月31日には台北大空襲が行われた。

◆日本本土への初空襲(ドーリットル空襲)[編集]

第二次世界大戦における日本本土の初空襲は1942年(昭和17年)4月18日のドーリットル空襲で、航空母艦「ホーネット」から陸上機である16機のB-25中型爆撃機を発進させ、東京、川崎、名古屋、四日市、神戸などへの空爆に成功した。その後、日本軍も6月と9月にアメリカ本土空襲を行った。

B-29爆撃機による空襲[編集]:日米開戦直前、アメリカ政府はボーイング社に試験飛行もしていないB-29爆撃機を250機も発注したが、真珠湾攻撃で発注数を倍加、翌1942年2月にはゼネラル・モーターズ、ノース・アメリカン、ベル社にも協力を求め1600機の生産を命じた[4]。しかし、実現まで2年を必要とした[4]。

1944年(昭和19年)6月にB-29爆撃機による初めての空襲が八幡製鉄所を目標にして中国の成都の基地から行われた(八幡空襲)。成都からの爆撃はB-29の航続距離の制約で九州北部しか爆撃できず、成都へのB-29用燃料の輸送の困難さのため出撃回数も限られていた。

これらの問題を解決するためにアメリカはマリアナ諸島を攻略し、大規模な航空基地を建設した。
マリアナからの初空襲は1944年11月24日で、B-29の増強とともに大規模な日本本土爆撃へと進み、北海道を除く日本本土の大半が攻撃目標となった。空母搭載機による日本本土への攻撃も、沖縄に対する1944年10月10日の十・十空襲、1945年2月の関東地区空襲(ジャンボリー作戦)などが行われた。

1945年4月7日以降は硫黄島に配備されたアメリカ陸軍のP-51やP-47などの戦闘機も空襲に参加し、B-29爆撃隊の護衛にあたるとともに、地上施設の攻撃を行った[5]。硫黄島は日本爆撃の際に損傷したり故障したB-29の不時着用の基地としても大きな役割を果たした[5]。

また、B-29は関門海峡や主要港湾への大規模な機雷投下も行い日本の海上輸送を妨害した(飢餓作戦)[6]。なお、空襲以外の日本本土への攻撃として、釜石艦砲射撃や室蘭艦砲射撃のような艦砲射撃も行われており、日立、清水、浜松など製鉄所や軍需工場が存在するいくつかの工業都市が破壊された。


◆カーチス・ルメイ少将

B-29による初期の空襲は軍需工場を目標とした通常爆弾主体の高高度爆撃(高度8000m〜10000m)であったため、命中率が低く攻撃目標の損害は限定的であった。

そこで、「戦果が少ない」と判断された爆撃軍司令官のヘイウッド・S・ハンセル准将は更迭され[7]、1945年1月、ヨーロッパ戦線でドイツに対する絨毯爆撃の実績があり、中国戦線での漢口大空襲で焼夷弾絨毯爆撃の経験もあるカーチス・ルメイ少将が、グアム島第21爆撃集団司令官に着任した。

ルメイ少将はまず爆撃高度を少し下げることを行ったが[8]、次いで都市部に対しては3月10日の東京大空襲をかわきりに夜間に低高度(高度2000m程度)から焼夷弾を集中投下する無差別爆撃(地域焼夷弾爆撃[9])を開始した。

焼夷弾空襲は耐火性の低い日本の家屋に対して高い威力を発揮し、なかでも東京大空襲では死者10万人の大きな人的被害をもたらした。


◆原爆投下まで[編集]

B-29による空襲は、東京および四大都市といった大都市から、主要な地方都市の多くに及んだ。多いときは一度に500機以上のB-29が飛来した。主要都市のうち、京都・広島・小倉・新潟は、原子爆弾の攻撃目標候補となったため、後述のように小規模な空襲は受けているものの大規模な焼夷弾空襲は免れた。

その後、ハリー・S・トルーマン大統領が、婦女子の被害を避けるため原爆攻撃目標から東京と京都は除くようヘンリー・スティムソン陸軍長官に指示し、原爆投下目標都市は広島・小倉・新潟・長崎と決定された[10]。スティムソンも戦後への影響を考慮して京都への攻撃に反対していた。

そして、広島市への原子爆弾投下と長崎市への
原子爆弾投下が行われて、日本側は大きな被害を出した。

なお、京都が大規模空襲を免れた経緯について、文化財保護の目的で作成されたウォーナーリストによって京都の大規模空襲が避けられたという説が日本国内で流布したが、実際には初期の段階で原爆投下目標都市として京都が計画されていた上に、小規模ながら西陣地区などの京都空襲も行われており、文化財保護の為に京都を空襲しなかったという説は根拠性が乏しい。

◆東京[編集]

1942年(昭和17年)4月18日 - ドーリットル空襲。
1944年(昭和19年)11月24日 - マリアナ諸島のB29による初空襲。B29・111機が出撃し、途中故障で引き返した機を除き88機が爆撃に参加。中島飛行機武蔵製作所(現在の武蔵野市)が目標。 東京はこれ以後106回の空襲を受けた。11月27日には中島飛行機武蔵製作所2回目の空襲。中島飛行機武蔵製作所は初回から最後の翌年の4月12日まで11回空爆される。
1945年(昭和20年)2月16日 - 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲(ジャンボリー作戦)。関東の航空基地と軍需工場が標的。(ドイツでは2月13日からドレスデン爆撃)
3月10日 - 東京大空襲(下町大空襲)。死者約8万-10万。負傷4万-11万名。焼失26万8千戸。
4月13日 - 城北大空襲。B29・330機。死者2459名。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。
4月15日 - 城南京浜大空襲。B29・202機。死者841名。焼失6万8400戸。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。
5月24日 - B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。
5月25日 - 山手大空襲。B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。国会議事堂周辺や皇居の一部も焼失。


◆名古屋[編集]

1944年(昭和19年)12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む63回の空襲を受けて死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。
1945年3月12日 名古屋大空襲 B29・288機。死者602名。負傷者1238名。全焼2万9千戸。
3月19日 死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
6月9日 熱田空襲 B29・43機。死者2068名。負傷1944名。
6月21日 B29・120機。死者426名。負傷者327名。


◆大阪[編集]

空襲後の大阪市街
大阪は1945年(昭和20年)2月26日以降、 下記の大空襲を含む33回の空襲を受けた。
1945年3月13日 大阪大空襲 B29・279機。死者3115名。焼失13万2459戸。
6月7日 B29・250機。死者1594名。負傷者4967名。焼失5万6千戸。
6月15日 B29・469機。死者418名。負傷者1842名。焼失4万9千戸。
7月24日 B29・約400機を含む大小二千機。死者187名。負傷317名。焼失554戸。
8月14日 B29・約100機。死者173名。負傷89名。焼失二千戸。大阪城にあった砲兵工廠が目標であった。


◆神戸[編集]

詳細は「神戸大空襲」を参照

神戸は1945年(昭和20年)1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。同年3月17日の大空襲で旧市街地の西の地域を中心に焼失する。1945年3月17日 神戸大空襲 B29・309機。死者2598名。負傷者8558名。全焼6万5千戸。
罹災人口23万6千名。
5月11日 B29・92機。死者1093名。負傷者924人。
6月5日 B29・481機。死者3184名。負傷者5824名。全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。


 

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