http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/5393.html
Tweet |
無謀な戦争開始と自民党の源流の秘密 !
私利私欲のために平然と売国奴になり切る者たち !
T、対米従属派・吉田茂と英米巨大財閥の深い関係 !
自民党清和会(安倍・町村の派閥)の源流。
(ブログ「心に青雲」より抜粋転載)
『マッド・アマノのパロディー・ブログ』
以下に、マッド・アマノ氏の記述を引用させていただく。
「“マッカーサーのペット”だった吉田茂をなぜ、今、あらためて英雄扱いするのか。その背後には米国政府をも動かす“奥の院”の存在があることを私たちは知るべきなのだ。
そもそも、吉田茂は戦前から米国のある筋(奥の院)と密通していたと言われている。太平洋戦争の前夜に日本の「対米英戦争」を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関するいわゆる「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大「売国スパイ」=暗号名「ヨハンセン」とは、「吉田茂」だった。
1、欧州財閥の子分・吉田家に茂は婿養子、吉田茂となる !
吉田茂の出自を見れば、この男が“奥の院=ロスチャイルド財閥”と繋がっていることが分かる。
吉田茂は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国 大学政治科を卒業後、外務省に入省した。
大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任 した。
養父・吉田健三とは何者か?ここがポイントなのだ。
吉田健三は、「英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長」に就任。
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげた。
ジャーディン・マセソン商会は国際巨大財閥ロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出であった。
2、 吉田茂は、巨大国際財閥「ロスチャイルド=モルガン」に寵愛された !
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。
吉田茂の妻は牧野伸顕伯爵(大久保利通の次男)の長女・雪子である。
雪子は、「米国駐日大使」ジョゼフ・グルーの妻アリス・ペリー・グルーとは幼馴染みであり、アリスから世界経済や政治についてレクチャーを受けていた。
実はアリスはペーリ提督の末裔にあたる。
このアリスから雪子をはじめ「昭和天皇の母」である九条節子と秩父宮妃でもある鍋島伸子の娘3人は、ロスチャイルド=モルガンの情操教育=洗脳教育を受けていた。
アリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いた悪名高きキャポット一族である。
“吉田茂は、妻の雪子を通じて、巨大国際財閥「ロスチャイルド=モルガン」に寵愛”され、出世街道を上昇していく。
ちなみに雪子は麻生太郎元首相の祖母である。
つまり、吉田茂の娘が産んだ息子が麻生太郎である。
3、 米国の子分になりきる吉田茂だから長期政権の首相になった !
前述の通り、吉田茂は“日本最大の売国奴”だった。
米国にとっては最も便利な男だった。
その功績で、トルーマン米大統領とマッカーサーの決定で戦後最長の長期政権の首相になったことは言うまでもない。
NHKドラマ「負けて勝つ」はまさか吉田茂が“売国奴”だったことなど触れるわけがないだろう。
5回にわたるドラマは最も重要であり「真実である部分を隠蔽」するに違いない。
この点を凝視する必要がある。
2012年9月〜10月、 解散総選挙が視野に入りつつある今、保守本流と言われてきた吉田茂を持ち上げるドラマが放送されることに、違和感を感じなければならない。」
「ジャーディン・マセソン」とは、「英国ロスチャイルド系企業」であり、日本の明治維新を裏から誘導した「陰の支配者」であると見られる存在だ。
明治維新の陰の主役である「長崎のグラバー商会」は、ジャーディン・マセソン商会長崎代理店である。
U 明治維新で日本を乗っ取った、「長州藩田布施一味」
1、「朝鮮人部落」の人間が、金融財閥の家来=明治政府権力者 !
鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で「長州藩田布施一味」に国家を乗っ取られたということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、「山口県熊毛郡出身の政治家」らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この「田布施一味の末裔」である。
2、「ユダヤ国際金融権力」は、被差別部落の
「弱み」を握って、「支配してきた」!
「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た〜安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなった時の遺骨を見ても、韓国系の体型だったと言っている。
“田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が、国の権力を握っている”ことに変わりはないようだ。
安倍晋三は、「統一教会と縁が深い」のだからまさに「朝鮮半島勢力」である。
例えばとして、鬼塚氏の研究によれば、幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の「被差別部落」を調査させている。
3、 幕末維新革命の真相
(欧州財閥による日本支配が実態)
・・・・サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。
その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
天皇弑逆の実行隊長は、岩倉具視・伊藤博文達と指摘されている。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して日本を守るという孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
4、 長州藩の正体(日本人が知らない「人類支配者」の正体)!
欧州巨大財閥に徹底利用された長州藩 !
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。