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『日本の本当の黒幕』
自公政治家・NHK等が隠す、自民党体制の先祖たちの明治維新革命の真相 !
(第4回)
(www.snsi.jp/tops/kouhou/1690 より抜粋・転載)
「1399」鬼塚英昭(おにづか・ひであき)氏の『日本の本当の黒幕』(下)を読む。戦前の日本政治の闇を象徴する田中光顕(たなか・みつあき)という怪物を知る。
それは現在の日本政治を支配するヤクザたちを知ることでもある。
2013年9月1日、副島隆彦を囲む会の中田安彦(アルルの男・ヒロシ)です。今日は2013年9月1日です。
◆維新の志士・田中光顕(たなか・みつあき)
『日本の本当の黒幕』(下巻)68ページ:(引用終わり)
★田中光顕への対応を誤ると、田中がやけっぱちに
なっていろいろなことをやりかねない !
★田中光顕は、三菱財閥や頭山満などの右翼の大物とも接点を持っている !
★田中光顕・宮内大臣をしたほどの男が「ヤクザ」とつながっていた !
★田中光顕の権力の源泉が、「三菱財閥」とのつながりにある !
★岩崎家には、田中光顕に贈るベき相当額の年金が家憲によって定められていた !
★宮内大臣を辞めた後の田中光顕が、右翼の大物の頭山満とも近くなった !
★財閥経営にも表と裏があって、裏の汚れ仕事を
引き受けたのはヤクザであり任侠である !
★田中光顕は、血盟団事件の実行犯である井上日召とも深い関係が有る !
★井上日召は、田中光顕に「謀反」をやるつもりであると話したことを書いている !
★田中光顕は、5.15事件や2.26事件の首謀者の助命嘆願をしていた !
★井上日召や小沼正が田中光顕の部下で合ったことは確かだ !
★井上日召は、国柱会の創始者・田中智学に敬服していた !
★田中智学は田中光顕にも影響を与えている !
★田中光顕は、ボスである山縣有朋が失脚した後もカネに不自由していない !
★田中光顕は、三菱の代理人として政界におけるフィクサーではないか ?
★田中光顕は、静岡県に2つの別荘を持っている !
宝珠荘と古谿荘だ !
★東京都文京区・護国寺にある田中光顕の墓
★田中光顕は暗殺を恐れた、暗殺するに足りる秘密を抱えているから !
以上は前3回投稿済みです。以下はその続きです。
鬼塚氏がその秘密の最たるものは、明治天皇その人自身の秘密であると書く。
その根拠を、鹿島昇の『裏切られた3人の天皇』という本に引用された、三浦芳聖(1904年生まれ)(みうらよしまさ)という人の『徹底的に日本歴史の誤謬を糾す』(1970年)という本の中にある、田中光顕のものとされる発言である。三浦に対して、田中光顕は次のように語ったという。
(引用開始)
★実は、明治天皇は孝明天皇の皇子ではない !
斯様申し上げた時に、田中光顕伯爵は、顔色蒼然となられ、暫く無言のままであられましたが、やがて、「私は60年来曾って一度も何人にも語らなかったことを、今あなたにお話し申し上げましょう。現在此の事を知っている者は、私の外には、西園寺公望公爵只御一人が生存していられるのみで、皆故人となりました」
と前置きされて、
「実は、明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。孝明天皇はいよいよ大政奉還、明治維新と云う時に急に崩御になり、明治天皇は孝明天皇の皇子であらせられ、御母は中山大納言の娘中山慶子様で、御生れになって以来、
中山大納言邸でお育ちになっていたと云う事にして天下に公表し、御名を睦仁親王と申し上げ、孝明天皇崩御と同時に直ちに大統をお継ぎ遊ばされたとなっているが、
実は明治天皇は、後醍醐天皇第十一番目の皇子満良親王の御王孫で、
毛利家の御先祖、即ち大江氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち、
やがて大内氏が滅びて、大江氏の子孫毛利氏が長州を領し、代々長州の萩に於て、
この御王孫を御守護申し上げて来た。
これが即ち吉田松陰以下、長州の王政復古維新を志した勤皇の運動である。
◆『徹底的に日本歴史の誤謬を糾す』
(1970年)
◆『日本の本当の黒幕』
(上)102ページ:
(引用終わり)
★「明治天皇すり替え説」に関連する記述だ !
これは、いわゆる「明治天皇すり替え説」に関連する記述である。
この三浦芳聖の証言が本当かどうかは私にはわからない。
というのは、三浦という人物は、第二次世界大戦で日本が降伏した後に、南朝正統の皇胤であることを主張した「自称天皇」たちの一人だからだ。
私は鹿島昇が一連の著作を発表する前に、この明治天皇すり替え説がどのように存在していたのかもよく知らない。
★イギリスの外交官が、「孝明天皇が
暗殺された」ということを日記に書いた !
ただ、イギリスの外交官であるアーネスト・サトウが、「孝明天皇が暗殺された」ということを日記に書いていることを知っている。鹿島昇が書くように、孝明天皇は佐幕攘夷だったのであり、父の遺訓を無視して、睦仁が倒幕開国に鞍替えするのは不審ではある。
★長州の忍者部隊やそれと結んだ岩倉具視
が孝明天皇を暗殺する可能性はある !
また、孝明天皇の息子の睦仁が、後に明治天皇として知られる人物と全く異なる身体的特徴をしている、という指摘をする鹿島昇の言うことももっともだと思う。
幕末・明治維新というのは、テロの時代であり、明治時代より前には天皇というのは神聖不可侵でも無かったことを考えれば、倒幕(=革命)を目指すテロリストの一派である、長州の忍者部隊やそれと結んだ岩倉具視が孝明天皇を毒殺なり刺殺をすることで暗殺してもおかしくはない。
★明治維新というのは、どこの馬の骨か
わからない若者を明治天皇にすり替えた ?
しかし、このことを公式の歴史は一切認めないだろう。
これを認めた途端、明治維新というのは、どこの馬の骨かわからない若者を孝明天皇の息子ということで明治天皇に据えたということになり、万世一系という神話が崩れてしまうからである。
★鹿島昇は、睦仁と、明治天皇の身体的特徴
や性格のあまりにも違う点を指摘した !
だから、こんなことを認めた公文書が残っているはずもない。
一級資料で明治天皇すり替え説を証明することは不可能に近い。ただ、鹿島昇は、孝明天皇の死去の経緯や、その息子の睦仁と、明治天皇の身体的特徴や性格のあまりにも違う点を指摘し、明治維新というのは明治革命であり、王朝交代劇だったとしている。
仮にそうだとすれば、明治維新を見てきた田中光顕が、その秘密を知っているのは当然だろう。
★田中光顕は、その期間に様々な
「宮中の秘密」を見聞きした !
これは一つの壮大な仮説だが、仮にそのようなすり替えの事実はなくとも、山縣系の宮内官僚として、明治天皇の10年もそばに付き従った、田中光顕はその期間に様々な「宮中の秘密」を見聞きしたに違いない。
山縣が失脚した宮中某重大事件にも宮中から追い出された田中光顕が関わっていると鬼塚氏は見立てる。
宮中某重大事件とは、当時の摂政宮(昭和天皇)の后に内定した、久邇宮邦彦王の第一女子の良子(ながこ)に色盲の気があるとして、山縣有朋がその婚儀に反対したという事件だ。
★田中光顕は、「宮家の縁談に骨折ったことは数限りない !
鬼塚氏は、村本喜代作の田中光顕についての記述の中に、田中が「宮家の縁談に骨折ったことは数限りないが、島津侯爵家の姫を久邇宮家に斡旋した」事があるのに注目している。
良子の母が、母は12代薩摩藩主公爵島津忠義の七女俔子(ちかこ)であることを述べている。
大正天皇の后である貞明皇后=九条節子(くじょうさだこ)の選定にも、明治天皇と親しかった田中光顕が関わっているという。
鬼塚氏は資料として村本の著作の記述を何度も引いているが、更に独自の解釈を加えている。どこまでが鬼塚氏の解釈でどこまでが村本の文章からそのまま読み取れることなのかは、いずれ村本の著作を図書館で確認する必要がある。
ただ、田中光顕が皇室の結婚事にくちばしを挟んでいたのだということは、当時の日記の記録に記述がある。それが原田熊雄による『西園寺公と政局』という日記で、原田は西園寺公望の秘書であった人物である。
この中で西園寺が田中光顕について否定的に述べている部分があるのだと鬼塚氏は発見する。
―この続きは次回投稿します―
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