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安保法案賛成派と反対派の討論 !
切れ目ない安保法制の整備めざす政権(上)
集団的自衛権行使容認・閣議決定に至った安倍政権の考え方は ?
現憲法下での集団的自衛権行使容認は、憲法違反だ !
政権が変われば、憲法解釈が大きく変わると、内閣法制局
のステータスを、根底的に揺るがす事になる !
(第2回)
賛成派:礒崎陽輔
反対派:長谷部恭男・柳澤協二・小村田義
(何にでも対応できる法律は、歯止めが効かない〈『Journalism』6月号より抜粋・転載〉
2015年06月10日。
◆集団的自衛権行使容認・閣議決定に至った安倍政権の考え方は ?
☆昨年の閣議決定は、政府の憲法解釈を不安定化させた !
☆安倍内閣の憲法解釈の変更は、明確であったものを不明確にした !
★礒崎:憲法解釈の変更が違憲だという話は聞いたことがない !
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
☆憲法改正を目指す考えと集団的自衛権の行使を認めることは、「違憲である」
ということとイコールだ !
現憲法下での集団的自衛権行使容認は、憲法違反だ !
長谷部: 違憲というふうに言う方がいらっしゃらないというお答えでしたが、集団的自衛権を行使するためには、テクストとしての、憲法9条自体を変えなくてはいけないのだ、という政府の考え方は、集団的自衛権の行使を認めることは、「違憲である」ということとイコールのはずなわけです。
ですから、今回の憲法解釈の変更は、おかしいというのは、当然、集団的自衛権の行使は、憲法に違反するという主張を含んでいるはずです。
それから、「政府が持っている解釈権限なのだ」というお話ですが、これはどこの国の政府でもそうですが、行政府としても、法解釈あるいは、憲法解釈については、特定的に担う機関というものを持っています。フランスで言えばコンセイユ・デタ(国務院)であり、アメリカで言えばOffice of Legal Counsel(法制意見室)という政府の有権解釈を担う機関があるわけです。
☆専門知識に基づいて、「整合性」・説得力のある理屈、権威のある答えを出すのだという、
「公正中立さ」が必要だ !
なぜそういう有権解釈を担う機関があるかというと、体系的、整合的に不明確に見えるような問題に対して、明確な答えを与えなくてはいけない。
それについては、「整合性」それから、説得力を持つ理屈を与える、専門知識を備える人々が、必要ですし、かつ、そういう専門知識に基づいて、権威のある答えを出すのだという、「公正中立さ」に対する信用も必要なわけです。
☆政権が変われば、憲法解釈が大きく変わると、内閣法制局のステータスを、
根底的に揺るがす事になる !
政権が代わって、新しい政権を担った人が右と言うから右に変えなくてはいけない、左と言うから左に変えなくてはいけないということだと、日本で言うと内閣法制局が持っているはずの有権解釈を担う機関としてのステータスを、根底的に揺るがすことになるのではないかと思います。
立法も正しい憲法解釈の枠内で行わなければいけない話でして、その憲法に関する適切な考え方が何なのかということが、根底的に揺るがされたままの形で、はたして、適切な立法作業というのが行えるのかどうか、そういう問題があるのではないかと思っています。
礒崎: 長谷部さんがおっしゃることはよくわかるのですが、憲法解釈の変更というのは今までにもいくつか例があるわけです。今回の場合は閣議決定で憲法解釈の変更が完結したわけではなく、今後の法律の中で具体的に規定していくわけですから、そこである程度憲法解釈が固定化します。
政府は、法律を執行するために憲法も含めて法の解釈権を持たないと法が執行できません。立法権も、憲法はこういうものだということを認めて法律を作るわけですから、当然、解釈権が必要です。
☆憲法解釈の変更があるといっても、
真っ黒だというものを白に変えたという例は、ない !
長谷部: 憲法解釈が変わったことがあるというお話ですが、たしかにあります。
ただ私の知る限り、真っ黒だというものを白に変えたという例は、ないと思います。
靖国神社の公式参拝についての解釈の変更の例(注4)がよく挙げられますが、あれは、できるのかできないのかよくわからないという問題について、ここまでならできるという形で憲法の解釈を変えたということです。今回の例と類比可能なものでは、ないだろうと考えています。
礒崎: 憲法制定議会では、吉田茂総理は、「自衛権」は、当然有するのだが、戦力を持たないので、行使できないと答弁していたのです。
ところが、昭和29年に自衛隊が発足する。こういうこともあったのでして、憲法制定当時からは大分話が変わってきています。
長谷部: その点も、戦争はできない、戦力は持てないというのは、今の政府でも立場は変わっていないはずだと考えています。
礒崎: それは変わっていないです。
司会:松本: 長谷部さん、昨年7月6日付の朝日新聞朝刊で、解釈改憲が「終わりのないプロジェクト」だともご指摘になっています。
従来の政府の解釈を変えてもかまわないのだということが今回明らかになったことで、今度は後の、別の政府が「集団的自衛権は行使できない」とひっくり返す可能性も生まれた。
その意味で「閣議決定による解釈改憲は大問題だが、これで日本が新たな局面に入ったかとい
うと、入っていない。今回政府は極めてあやふやで不安定なものしか得ていない」と述べておられます。
長谷部: これは2通りの考え方ができるのだろうと思います。おっしゃるとおり、去年7月1日の閣議決定による解釈の変更は、あれは間違っていたのだ、そもそもこんな変更ができるはずがないのだという立場を、後の政府がとるということは考えられる。
その場合には、多分、元に戻すことになるだろうと思います。
しかし、去年の7月1日のような閣議決定もありで、今まではできないと繰り返し明言してきたこともできるようになると、政府による有権解釈というもの自体のステータスが根本的に不安定化したのだということになる。
これからは政府が「憲法でこれができる」「これができない」と言っても、「今の政府は今のところはそう言っているね」という、ただそれだけの話になってしまう。そういうことになってしまっているのではないかと思います。
◆国際情勢の変化により集団的自衛権が出てきた !
礒崎: 形式論ですが、国会の議席の過半数を持てば法律を改正できるわけであって、3分の2を持てば、最後の国民の判断はありますけれども憲法でも改正できます。
憲法解釈の変更は、その時々の政府が議院内閣制の下で責任を持って判断することですから、政府が何とでも変えられるという、ご指摘は、おかしいと思います。
まず、先ほど言ったように憲法の範囲を明らかに外れているのかどうかということを法的に議論しなければならないと思うのです。
私たちは、昭和47年の政府見解(注5)の根本的部分を変えるものではないという議論の中で、最後は、ああいう形で当時の政府見解を引用する内容の「新3要件」に落ち着きました。
昔は、自衛隊が、海外へ行くということはなかったのです。
それから、国際情勢もこんなに緊迫化していませんでした。だから、そのころは個別的自衛権だけを言っておけばよかったのです。
従来、必要最小限度の自衛の措置に収まる、集団的自衛権はない、という判断をしていました。
しかし、国際化が進展し、国際情勢が大きく変化する時代の中で、我が国の安全保障を確実にするためには、必要最小限度の自衛の措置に収まる集団的自衛権もあるのではないかという、中身の議論をしてほしいのですね。
合憲性があるのか、ないのかという問題と、その解釈変更の妥当性という観点からしっかり中身も議論していただかないと、憲法解釈の変更がいいとか悪いとかいう外形的な話だけであれば、不毛な水掛け論に終わってしまう気がします。
司会:松本: では、柳澤さんのご発言をお願いします。
◆中国や北朝鮮の変化への対応も依然として個別的自衛権の問題だ !
柳澤: 切れ目のない対応ができるようにするという話がよく言われるのですが、どこに切れ目があるのだろうかというところがまずよくわからないのです。
今のお二人の話に関連して言えば、2003年のイラク特措法のときも、小泉総理の答弁は、集団的自衛権を行使するのであれば、「憲法を改」すべきだが、自分の内閣でそれをやるつもりはないと、はっきりおっしゃっていました。
そういう意味で、政府の解釈の変更ではあるのです。それが合理性を持つためには、それが必要になった客観的な事実との関係で見なければいけない。
☆2003年・小泉自公政権下、集団的自衛権
を使わなくても、国は守れると言っていた !
そして、国際情勢が変わったというのですが、2003年当時は、集団的自衛権を使わなくても、国は守れると言っていた。
10年ちょっとたった今日、なぜ守れなくなったのかという、その説明が必要なのだと思うのです。
たしかに、北朝鮮は、当時でも日本に届くミサイルは持っていたわけですね。
今は、それに搭載できる小型の核弾頭を持っているかどうかということが焦点になっている。
中国は、当時と比べれば、相当軍事力を強化しているというのはそのとおりです。
ただ、それでミサイルが、日本に飛んでくることからどう守るかというのは、依然として、「個別的自衛権」の問題なのです。そこでなぜ集団的自衛権がないと日本が守れないのか、というのがはっきりしない。
自衛隊が、海外に行くことは、かつてなかったというのもそのとおりなのですが、それは、しかし集団的自衛権の話ではない。
日本の防衛という観点で言うと、日本有事というのか、武力攻撃事態というのか、そういうケースがあって、そして周辺事態があり、平時があって、その組み合わせの中でそれをどう認定し、それぞれにどう対応していくか、私が現役だった時代にはそこまであったわけです。そのどこが欠けているかが本当にわからない。
新たな立法事実が、何なのかということをはっきり明確にできないと、まずこの立法作業そのものの根底がよくわからなくなってしまう。
私がこの一連のプロセスについて感じる最大の課題は、そこにあるのかなと思うのです。
―この続きは次回投稿します―
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