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墜落現場・「御巣鷹の尾根」に慰霊登山 ! 鎮魂の山で、手合わせ !
遺族、「節目は関係ない」
T 「日航機墜落事故から30年」、
墜落現場・「御巣鷹の尾根」に慰霊登山 !
(www.tokyo-np.co.jp :2015年8月13日より抜粋・転載)
日航ジャンボ機墜落事故から30年を迎えた12日、遺族らは上野村の墜落現場「御巣鷹の尾根」に登り、犠牲者の魂が眠る墓標に手を合わせた。昇魂之碑の前では子どもたちがシャボン玉を飛ばす中、それぞれが亡き人に思いをはせ、空の安全を願った。
新しい家族を紹介する遺族もいれば、「今回が最後かも」と漏らす高齢遺族もおり、30年の時の流れがにじんだ。 (川田篤志、原田晋也)
登山口から八百メートルほど歩いて墓標に着いた、さいたま市の小林由美子さん(56)は流れる汗をぬぐった。事故で弟の博幸さん=当時(21)=を亡くした。家族とほぼ毎年続ける慰霊登山に今年は新たな顔触れが加わった。長男の弘樹さん(30)が五月に結婚。その妻睦世さん(28)が初めて参加した。
明るい性格だった博幸さんに辛気くさいと怒られそうで、いつもはこらえている涙があふれた。「今日だけは許してくれるはず。明日からはまた笑顔で頑張るから」
小林さんは「弟がいればいろいろ相談できたのにと、月日がたつにつれてそばに居ない寂しさが募るんです」と、遺族にとって三十年の節目は関係ないと強調する。
ここ数年は、安さを売りにする航空会社のコマーシャルが目につく。「安全が第一のはず」と違和感がぬぐえない。
能仁(のうにん)怜子さん(85)=徳島県阿南市=は、事故で三女の千延子さん=当時(22)=を失った。慰霊登山はずっと続けてきたが、八月十二日に登るのは初めてだ。家業の寺の仕事が忙しくなるお盆の時期に重なり手が離せなかったためだ。
体力が衰え、もう登れなくなるとの危機感などから、今年は命日となるこの日を選んだ。家族や友人に支えられながらの山登りに「登るのはもう最後」と漏らした。
涼しげなスゲノ沢のせせらぎが響く墓標の前。「まさか父と同じ年になるなんて…」。父の昭司さん=当時(50)=を失った若本千穂さん=神奈川県大和市=は五月に五十歳になった。
墓標に「一年一年を懸命に駆け抜け、あっという間だった」と語り掛けると、涙があふれた。「ついにお父さんの年齢を超えてしまうんだよ」
遺族たちの「8・12連絡会」は、被害者支援の大切さを長年訴えている。それに共鳴し、日本各地で大規模事故や災害に遭った遺族も慰霊登山に訪れた。
昨年九月の御嶽山(おんたけさん)噴火災害で、夫の保男さん=当時(54)=を亡くした伊藤ひろ美さん(54)さん=長野県東御市=も初めて参加した。今年四月に遺族会をつくり、九月には慰霊式をする予定で、「私たちも三十年たっても慰霊を続けられたら」と話した。
U 日航機墜落事故30年の日、
公明党・赤羽議員ら御巣鷹山で献花 !
(www.komei.or.jp:2015年8月13日より抜粋・転載)
520人が犠牲になった日航機墜落事故から30年となった12日夕、墜落現場がある群馬県上野村の「慰霊の園」で、遺族ら約350人が参列し追悼慰霊式が行われた。
墜落現場の「御巣鷹の尾根」の方向を向いて建てられた三角形のモニュメントの前には祭壇が置かれ、遺族は白い菊を1輪ずつ献花。
犠牲者の冥福を祈った。墜落時刻の午後6時56分、モニュメントの周囲に並べられた520本のろうそくに火がともされ、黙とうした。
日航によると、106家族406人の遺族が御巣鷹の尾根に慰霊登山をした。
追悼慰霊式に先立ち、公明党国土交通部会の赤羽一嘉部会長(衆院議員)と、新妻秀規副部会長(参院議員)は御巣鷹山を訪れ、山頂付近にある慰霊碑「昇魂之碑」に献花した。党群馬県本部の福重隆浩代表、水野俊雄幹事長、薬丸潔青年局長(いずれも県議)が同行した。
献花を終え、赤羽部会長は「悲惨な事故を二度と起こさないためにも、絶対に事故を風化させてはならない。安全・安心な社会をめざす」と語った。
(参考資料)
1985年・日航機・JAL123便墜落事故
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !
彼らは一体どこへ消えたのか!?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言 !
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
佐宗邦皇氏は、墜落事故の調査を行い、真実を
発信する大変貴重な存在だった !
★日航機は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんです !
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地
に向かって着陸体勢に入っていたが、着陸を拒否された !
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実を発信する活動をしていた !
★墜落現場123便第3エンジン付近に散乱する、
米国レイセオン社製空対空ミサイルの部品 !
★犠牲者の霊に導かれ…現場に小型中性子核ミサイル使用の痕跡を見る
★日航123便墜落事故は、米国の9・11事件と似通っている !
★機内に急減圧が発生 ?生存者の証言ではそんな事態は起こらなかった !
★機内の室温急低下 ?特に寒いということはありませんでしたと証言 !
★事故調査委員会の公式発表「圧力隔壁破壊」は「大嘘」だ !
★JAL123便は、右前方から接近する奇怪な飛行物体を発見した !
★何かが、123便の尾翼部に激突した !
★当局には最初からJAL123便の乗員乗客を救助する気はさらさらなかった !
★早々と現場で「全員即死宣言」をした自衛隊幹部 !
★はじめから生存者がいないと決めてかかっていたのではないか ?
★生存者を、現場に2時間近く放置、病院搬入まで3時間以上も費やしている !
まるで生き延びてもらっては困るかのように !
★災害派遣待機命令が発令されたが、その後出動ではなく中止命令が出たのはなぜか?
★なぜ、一番先に到着した機動隊員は、わざと足が遅く、ゆっくり歩くのか ?
★結局、全く違った場所に連れていかれたのはなぜか?
★なぜ墜落場所を地元民や黒澤村長が伝えても
NHK等報道機関は、違う報道をしたのか?
★なぜ、発見後、山頂に4時間近く、生存者が放置されたのか?
★つい先ほどまで生存していたと思われる人たちが約100名はいた !
◆核兵器使用の痕跡と、情け容赦無い殺害部隊の存在 !
★広島原爆の30倍以上と推定される衝撃、
これらは、小型の核爆弾使用を示唆している !
★この遺体散乱状況写真を見ると、123便の進行方向に
対し、右側からミサイルと思しき爆発物が命中 !
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