http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/4426.html
Tweet |
安保法案反対、母親グループ発足 !
7月26日渋谷で安保法案・反対デモへ !
熊本県の女性議員・元議員が、安保法案反対を訴える !
瀬戸内寂聴(93歳)、新安保法案に反対する集会に参加した !
車イスに乗って、京都から駆けつけた !
安保法案賛成の公明党・創価学会は、女性活動家が大部分だが、
平和・生命尊重の理念は言葉だけ !
T 安保法案反対、母親グループ発足
(www.tokyo-np.co.jp :2015年7月13日 19時59分より抜粋・転載)
「だれのこどもも、ころさせない」を合言葉に、安全保障関連法案に反対する母親たちのグループが発足し、13日に東京都内で記者会見した。
「人々の声を無視する政治にはもう我慢できない」と安倍政権を強く批判。賛同する母親は全国に広がっており、26日には「ママの渋谷ジャック」と銘打って東京・渋谷でデモをする予定だ。
グループは「安保関連法案に反対するママの会」。
3人の子どもを育てる京都大大学院生西郷南海子さん(27)が会員制交流サイト(SNS)で呼び掛けたのをきっかけに活動を始めた。
13日正午までに2267人から「私も何かしたい」などメッセージが寄せられたという。
U 熊本県の女性議員・元議員が、安保法案反対を訴える !
(西日本新聞:2015年06月23日 より抜粋・転載)
国会で審議中の安全保障関連法案の廃案を訴える県内の女性議員や元議員たちが「戦争法案に反対する地方女性議員・元議員の会」を設立し、6月22日、県庁で記者会見を開いた。
今後、署名活動や集会などを行っていくという。
メンバーは、1984年から共産党の県議を3期務めた中島絹子氏や、現職県議の岩田智子氏(民主・県民クラブ)など、超党派の22人(22日現在)。
戦争法案が廃案となるまで連帯する !
会見では、政府が会期を延長して成立を目指す安全保障関連法案を「日本を海外で戦争する国に変える戦争法案で、立憲主義を否定するものであり到底許されない」「戦争法案が廃案となるまで連帯する」などとする声明を発表。
中島氏は、「女性の力で戦争を食い止めたい」と話した。
同会は、議員以外にも広く女性の賛同者を加えた「戦争法案を阻止するくまもと女性の会」をつくり、7月1日に熊本市中央区で署名活動を行うという。
=2015/06/23付 西日本新聞朝刊=
V 瀬戸内寂聴(93歳)、新安保法案に反対する集会に参加した !
車イスに乗って、京都から駆けつけた !
(mikanyuzuk.exblog.jp/.:2015年6月25日 より抜粋・転載)
☆最近の状況は、寝ていられないほど心を痛めていた !
僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん(93)が、国会前であった新安保法案に反対する集会に参加した。
約2千人の参加者を前に、「最近の状況は、寝ていられないほど心を痛めていた。
どうせ死ぬなら、本当に怖いことが起きているぞと申し出て死にたい」などと語りかけ、廃案を訴えた。
寂聴さんは、集会を主催する市民団体の一つの呼びかけ人でもあり、「最後の力を出して戦争に反対する行動を起こしたい。
国会前で抗議の座り込みをしてもいい」と申し出て、療養後初めて京都からかけつけた。
☆「戦争にいい戦争は、絶対にない。 すべて人殺しです」
衆議院議員会館前で「とめよう!戦争法案」などと書かれた横断幕やプラカードが掲げられる中、黒い法衣姿の寂聴さんは、車いすから降りて、歩道上でマイクを握って演説。
1922年生まれの私は、いかに戦争がひどくて大変か身に染みて感じた。
(参考資料)
牧口会長・戸田理事長等への戦時中・軍部権力による法難
@ 地元有力者や政治家からの迫害
牧口には、“教育にかかわりのない者が権力にものをいわせて教育に口を出すべきではない”という、一貫した強い信念があった。
大物政治家は、前々から、それが面白くなかったようだ。
そこで、地元有力者の意向を聞き入れ、牧口を左遷する。
権力におもねらず、信念を貫こうとすれば、迫害という嵐が競い起こる。それに負けぬ強さを持つことこそ、改革者の条件である[1]。
A 創価教育学会への国家権力からの迫害
創価教育学会の神社参拝拒否、神札の奉祀拒否の態度が、治安当局・特高刑事から監視されるようになった。起訴状によれば、牧口会長は、治安維持法違反と神宮に対する不敬罪で起訴されたことが記述されている[2]。
国家神道を宗教の正邪のうえから謗法として戒め、勇猛果敢に折伏を進める創価教育学会を、戦時中の当局が看過するはずがなかったのである。
戦時下にあっても、学会は折伏を展開し、入信に際しては神札などの謗法払いを厳格に行っていた。
そして、国家神道を根本にした政府のあり方は間違いであることを主張して譲らなかったのである。
当時、学会は、会員数3000人ほどの、まだ小さな教団にすぎなった。
しかし、当局は、牧口常三郎が、国家、社会の建設のために「教育改造」を掲げ、その根本的な方途が日蓮大聖人の仏法にあるとしていることに、警戒心を強めていったようだ。
軍国主義政府に、創価教育学会を襲った。
学会の、あの神札の拒否が、弾圧を決定的なものにしたのである。
7月6日、牧口常三郎、戸田城聖らが逮捕され、翌年3月までには、学会の検挙者は21名にのぼった[3]。
牧口はこの逮捕を、国家諫暁の好機であるととらえていた。
取り調べの場は、さながら折伏、弘法の観を呈した[4]。
B日蓮正宗総本山は保身のため牧口会長を「信徒除名処分」!
戦時中、日蓮正宗・僧侶・小笠原慈聞(おがさわらじもん)は、自らが宗門の権限を握ろうとする策謀実現のために、宗門の維新を断行せよと、軍国主義・国家権力を楯にして、宗務院当局弾劾の叫びをあげていた。小笠原慈聞一派は、「不敬罪」で、大石寺を警視庁へ訴えていた。
この「小笠原慈聞の告訴」が創価教育学会への弾圧・投獄の発端となった[5]。
日蓮正宗首脳は、昭和18(1943)年6月、ついに神札受諾を公的に徹底する方針を固め、それに頑強に抵抗していた牧口会長と創価教育学会幹部を大石寺に呼び、当時の法主・日恭の立会いのもと、創価教育学会も神札を祀るように命じた。
牧口会長はその受諾は、日蓮大聖人の仏法に背くものであると考えて、「神札は、絶対に受けません」と厳然と拒否した[6]。
一方、日蓮正宗・宗務院は、弾圧を恐れ、国家神道に迎合し、御書の発行を禁止したり、勤行の御観念文を、天照大神を異様に尊崇したり、「皇国守護」の文言を入れる、など改変したりした。
牧口会長は、逮捕される一週間前、再度総本山・大石寺へ行って、教義改変の方針を変更するように厳重に抗議したが、総本山は聞きいれず、弾圧から身を守るため、逆に牧口を「登山停止」「信徒除名処分」にした[7]。
C過酷な獄中でも国家神道・侵略戦争の誤りを正した、牧口会長等の信念 !
戦時中の獄中は、冬でも暖房・冬用の布団の差し入れを許されず、指も凍傷にかかるほど、極寒であった。冷蔵庫の中での生活のように寒かった。
食事は、コウリャンの混じったご飯と塩水のような味噌汁・タクアン程度の粗食であった[8]。
そのような過酷な獄中で、70代の高齢の牧口常三郎は、いささかも節を曲げることなく、堂々と国家神道の誤りを正した。
そして、昭和19年11月18日、73歳で、巣鴨の東京拘置所で獄死したのである。
粗食で痩せ細った、戸田城聖は、獄中で看守等から4回激しい暴行を受けた。ある時は、狂気の看守から、麻縄をムチにして、背中を二十数回もなぐられた。
牧口の殉教、そして、牧口同様戦時下の過酷な環境・食事状況で、戸田の2年間に及ぶ不退転の獄中生活は、信教の自由のための権力との壮絶な戦いであり、創価学会が、日蓮大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた永遠不滅の刻印となった[9]。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。