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沖縄戦から70年、元白梅学徒隊が東京で戦争体験を語る !
「ひめゆり学徒隊」、“沖縄の痛み”
第二次大戦・日中・日米戦争の真相は、英米の大謀略であった !
T 元白梅学徒隊が戦争体験を語る !
(www3.nhk.or.jp:2015年6月20日 より抜粋・転載)
☆沖縄県民の4人に1人が犠牲になった、沖縄戦
沖縄戦から70年、元学徒が東京で体験語る
沖縄戦から70年となる今月23日の慰霊の日を前に、東京では、地上戦のさなか負傷兵の看護に動員された86歳の元学徒の女性が、当時の体験を語りました。
体験を語ったのは、沖縄戦で白梅学徒隊として負傷兵の看護に動員された那覇市の中山きくさん(86)で、東京・台東区の浅草公会堂にはおよそ80人が集まりました。
沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、県民の4人に1人が犠牲となり、中山さんら当時10代だった白梅学徒隊の女学生も、56人のうち22人が命を落としました。
☆戦争は、自然災害と違って、人間が止めることができる !
中山さんは「毎日怖い思いをして疲れ、死んだほうが楽だと考え、みずから死のうとしましたが、友人に反対され奇跡的に生き長らえました。
戦争は、自然災害と違って人間が止めることができるので、戦争を知らない世代が、再び戦地に行くことがないようにしていきたい」と語りました。
話を聞いた26歳の女性は、「改めて戦争はあってはならないことだと思いました」と話していました。
会場では、沖縄戦を体験したおよそ50人の証言や当時の沖縄の写真などが、21日まで展示されています。
沖縄では、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる今月23日、沖縄戦から70年の慰霊の日を迎えます。
U 「ひめゆり学徒隊」、“沖縄の痛み” “ 最後の同期会”開催 !
NHK・クローズアップ現代
沖縄戦の象徴とも言われてきた「ひめゆり学徒隊」に動員され、“沖縄の痛み”を抱えながら戦後を生きてきた女性たちの70年/NHK・クローズアップ現代
(www.at-douga.com:2015年4月3日より抜粋・転載)
日本人およそ18万人、うち12万人の沖縄県民が犠牲になったとされる沖縄戦から70年。沖縄戦の象徴とも言われてきた「ひめゆり学徒隊」に動員された沖縄県立第一高等女学校の“最後の同期会”が先月開かれた。
集まったのは、当時4年生だった38人。16歳だった少女たちは、いま86歳になった。
戦場で助けを求めてきた親子を置きざりにした体験を、戦後、教師として子どもたちに伝えてきた女性。
疎開して学徒隊に同行せず、自分だけが生き残ったことに思い悩んできた女性。
生きていく術として米軍基地関連の商売を続けてきた女性。
彼女たちは、同級生たちの遺影が並ぶ資料館や、自決があった海岸で何を思うのか…。
番組では「ひめゆり学徒隊」の“最後の同期会”に密着。“沖縄の痛み”を抱えながら戦後を生きてきた同期生たちの70年を見つめる。
引用元:クローズアップ現代
V 特攻隊の出撃基地があった 鹿児島県鹿屋市で追悼式
(www.nishinippon.co.jp :2015年04月05日より抜粋・転載)
太平洋戦争中、特攻隊の出撃基地があった鹿児島県鹿屋市で4日、58回目となる追悼式が開かれ、遺族らが花を手向けるなどして908人の霊を慰めた。
慰霊塔がある同市今坂町の小塚公園で開かれた式典には、遺族のほか市や海自鹿屋航空基地の関係者ら約400人が出席した。
=2015/04/05付 西日本新聞朝刊=
W 第二次大戦・日中・日米戦争の真相は、英米の大謀略であった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:
国民党と中国共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北
させようとしたことは、世界大恐慌後、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の
裏の戦略でもあった。
特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。
つまり、日本政府・陸海軍首脳は、英国・米国・ソ連・中国共産の仕掛けたワナに嵌められて、無謀な大戦に突入したのだ。
マッカーサー元帥は、この首脳を、12歳並と言った。自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである(『昭和史からの警告』。
X 太平洋戦争第一の戦犯は、 ルーズベルト大統領 !
(http://www.asyura2.com/より抜粋・転載)
投稿者 oobi 日時 2010 年 5 月 25 日
第二次大戦は、大恐慌後、巨大特需・景気回復を狙う、英国と米国の大戦略 !
我々日本人は、東京裁判史観の自虐史観をマスコミから植え付けられましたが、
大マスコミ・自民党は、誰も言わないが、太平洋戦争の本当の第一の戦犯はルーズベルトです。
第二は農村の極貧から軍務官僚が生まれた事と思います。
戦前、欧米列強がアジア諸国や世界を分割して植民地支配していた帝国主義の時代、世界大恐慌後、英米仏などによる経済ブロック封鎖は、日本国とって実に過酷な事だったと思われます。
昭和恐慌の中、資源も市場も無い新興工業国日本にとって交易出来ない事は、深刻な失業問題を引き起こしたと思います。
そして、不況で失業者が帰農した農村部では、米価の下落から深刻な貧困が起きています。
当時、帝国主義の時代、指導者層は満州国建国以外に、果たして有効な失業と貧困の解決策を他に打ち出せたのだろうかと思います。
満州国建国は国防上でも、ソ連と共産主義に対する朝鮮半島の防波堤になっていたと思います。
日本帝国滅亡とともに、北朝鮮までソ連支配下になった。
歴史的に見ると、満州は朝鮮半島の対ソ反共の防波堤だったと言える。
そして、北朝鮮人民は、今日でも極貧状態に置かれている。
日本は、満州国建国以降、日中戦争で軍部が暴走する失敗をした。
軍部独走への最大の問題事件は、二・二六事件ですが、この事件の原因として青年将校達が当時人口の大半を占めた農村部出身の人が多かった事が大きいと思います。
現在も防衛大学は学費免除ですが、当時、貧しい農村部の優秀な人達が続々と学費免除で将校になっていた様です。
彼らは、昭和恐慌時の農村部の貧困を憂いていたと思います。
今では考えられない、女子を身売りせざるを得ない農村の極貧。
農村の極貧を憂いた青年将校達は、二・二六のテロに走ってしまった。
そして、農村の極貧への憂いが軍部独走をさらに加速させてしまい日中戦争の泥沼に入り込んでしまった。日本の優秀な軍務官僚を育成していくシステムがアダとなってしまった悲劇と思います。
故郷を憂いた青年将校達の狭い判断(軍事で貧困の解決)が、
国家の外交、繊細な配慮を必要とする外交を狂わしてしまった。
日本軍の暴走に対して、米国による対日資産凍結、石油禁輸
のABCD包囲網の過酷な仕打ち。
最後、ハル・ノートを突きつけられて東条英機は、軍部を押さえられず開戦。緒戦健闘するも大量虐殺されて日本敗戦。
歴史を観ると日本は何か運命的に追い込まれて無謀な戦争に突入した事が解ります。
戦犯として第一に上げるのは、過酷な対日政策を、次ぎ次ぎ行った、
ルーズベルトと思います。
名大統領と言われる、この男・ルーズベルトが、本当の戦犯と言える。
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