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NHK・大河ドラマ「花燃ゆ」「八月十八日の政変」が勃発 !
尊皇攘夷派の七卿と長州藩は、京都から追放された !
田布施町・高松八幡宮に、七卿が逗留、近くに南朝・
後醍醐天皇の末裔を名乗る大室家があった !
安倍晋三の先祖・佐藤信寛と大室家の関係は ?
(第3回)
T NHK ・6月6日放送「花燃ゆ」
(www.facebook.comより抜粋・転載)
U 七卿落ち(八月十八日の政変)とは ?
(jiyodan.exblog.jp/より抜粋・転載)
☆尊攘派の長州・毛利藩(萩藩)と過激派公卿 !
☆公武合体派:孝明天皇・薩摩藩・会津藩等は倒幕には反対 !
☆尊皇攘夷派の七卿と長州藩は、京都から追放された !
☆京都に居た長州藩の藩兵は、本拠の長州に落ち延びる !
V 熊毛郡・田布施町(たぶせちょう)
(jiyodan.exblog.jp/より抜粋・転載)
☆久坂玄瑞は、七卿に吉田松陰門下の伊藤博文・井上聞多を引き合わせた !
☆高松八幡宮に、七卿が逗留、近くに南朝・後醍醐天皇の末裔を名乗る大室家があった !
☆幕末の動乱期、孝明天皇(突然死・暗殺された説)の皇太子・睦仁親王が明治天皇に !
☆明治維新後、明治帝は、大柄な左利き、相撲好き、乗馬好きの別人に大変身 !
睦仁天皇(孝明天皇の皇子)は、暗殺され、大室寅之祐がすり替わったから。
☆吉田松蔭に、「大室家」の存在を教えたのは、安倍晋三の先祖・佐藤信寛だ !
☆佐藤信寛氏は、維新後は、知事、県令の官職に就いていた !
☆北朝天皇から南朝天皇の入れ替・陰謀は、吉田松蔭が画策、義弟の久坂玄瑞、
伊藤博文と井上馨等が引き継ぎ、実行した !
☆小さい町・田布施町などから伊藤博文等、3人の総理が誕生の理由は ?
☆明治帝・睦仁は、北朝系なのに、維新後突然、「南朝正統」主張の理由は ?
☆佐藤信寛氏の子孫・岸信介氏・佐藤栄作氏・安倍晋三氏が総理になる理由は ?
☆二代遡ると入れ替わった明治天皇の実家・大室家と縁がある ?
以上は前2回投稿済みです。以下はその続きです。
巷に流れる噂話が真実なら、南朝こそ正統な皇統であり、今の皇室も「密か」に正統と言える。
☆総理が誕生した、田布施町の岸家、佐藤家、伊藤博文、「縁戚関係の可能性がある」
岸家(安倍晋三の祖父の家)は、江戸時代、熊毛郡一帯の代官を務めた毛利藩毛利(長州)藩士の名家で、その支配領域に田布施があり、佐藤家も、毛利(長州)藩士として、七卿落ちの滞在地・田布施に在地している。
☆岸家・佐藤家は、すり替え・明治天皇の実家・大室家と関係あり !
その両家が、同じ田布施の大室家と、永い歳月の間に婚姻関係を含む「接点が無い」とは考えられず、隣接する光市(熊毛郡束荷村字野尻・現山口県光市束荷字野尻)出身の、総理大臣を四回も勤めた。
伊藤博文元首相を含め、少なくとも「縁戚関係の可能性がある」と考えられる。
伊藤博文(いとうひろぶみ)は、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現・山口県光市束荷字野尻)に生まれ 、六歳まで過ごした生家は熊毛郡田布施町に残っている。
*孝明天皇・睦仁天皇弑逆の実行隊長は、岩倉具視・伊藤博文達と指摘されている。
☆松下村塾の伊藤博文は、4回総理を勤めた !
吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作、井上馨(聞多)らと倒幕運動に加わり、維新成功後は、初代・第五代・第七代・第十代の内閣総理大臣および初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長・兵庫県知事(官選)を務めた明治期の元勲である。
伊藤の生まれ育った、山口県光市束荷字野尻は、良光(ながみつ)親王の末裔を名乗る「大室・某」の住まい、山口県熊毛郡田布施町とは隣接地である。
この熊毛郡・田布施町に隣接する現在の光市の前身に古い地名として光井村や室積村が在ったのだが、これが良光(ながみつ)親王や大室家と関わりが在る地名の可能性がある。
また、田布施町を根元として瀬戸内海に突出した半島・熊毛(くまげ)半島は、古くは室津半島とも言う。
これらの地名、やはり偶然の一致と言うには出来過ぎの感が在るのだ。
大室家の出自に疑いを持ち「調べた結果百姓の出」など非難する者が居るが、それは余りにも歴史に未熟な証である。
そもそも論から言えば、本姓の百姓は氏族であり、ましてや毛利家・長州藩に在って維新以前より立派に「大室と言う氏姓(しせい)を永く名乗って居る」と言う事は、長州藩が認める家系を大室家が有していた事になる。
この大室の意味だが、後醍醐帝の南朝を退けて足利尊氏が起こした「室町幕府拠りも大なりの意味」と穿(うが)って見たが、我輩のこじ付けだろうか?
伊藤が、四度(四回)も内閣総理大臣を勤めた他、新政府の要職に在り続けた理由の一つに、吉田松陰の命を受けた、桂小五郎(木戸孝允)と伊藤博文が「大室某を養育していた」と言う彼の経歴にあるのではないか?これらの多くの縺(もつ)れた糸の全てが、熊毛郡・田布施町(たぶせちょう) で一つに繋がっていたのだ。
☆岸信介氏は旧姓佐藤で、同じく元首相の佐藤栄作氏の兄である !
戦後政治に大きな足跡を残した元首相の岸信介氏は旧姓佐藤で、同じく元首相の佐藤栄作氏の兄である。
岸信介・佐藤栄作両元首相を輩出したのがこの山口県熊毛郡田布施町で、岸信介氏は父・佐藤秀助、母・茂世の次男として生まれた。
☆岸信介・佐藤栄作両元首相の父は、、維新後に
島根県令まで務めた、佐藤信寛の子である !
佐藤秀助の父親は、佐藤信寛(さとうのぶひろ)と言う長州藩士で、維新後は島根県令まで務めた新政府の官僚だった。
佐藤家は士族であり、維新後は酒造業を家業としていた名家だった。
曽祖父・信寛は長州藩士として長沼流軍学を修め、明治になると浜田県知事、島根県・県令等を務め、祖父・信彦は漢学者であった。
父・秀助は、元山口県庁官吏であり、岸家より佐藤家に婿養子として入り、その次の代に次男・信介を岸家に養子として戻した事になる。
☆岸家は、江戸時代、熊毛郡一帯の代官を務めた名家である !
佐藤家から岸信介氏が養子に行った岸家は、江戸時代、熊毛郡一帯の代官を務めた
名家である 。
元首相の佐藤栄作氏は実弟、兄の佐藤市郎氏は海軍中将である。
長男の岸信和氏の妻・仲子は元山口県議会議長で山口県政界の大物・田辺護の次女で、まさに政界一家である。
岸信介氏娘婿の安倍晋太郎氏は、岸氏と同じく自民党幹事長を務め、その息子で岸の外孫に当たる安倍晋三氏も、現在有力な首相候補である。(注・安倍晋三氏は、この小説脱稿後首相に就任している)
ちなみに安倍晋三氏の弟・岸信夫氏(参議院議員)は、岸信和の養子となって岸家の方を継いでいる。
―この続きは次回投稿します―
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