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防衛省、追悼式実施・殉職顕彰碑:機雷掃海など殉職者・79人 !
戦時中、米軍が仕掛けた、6万7千個の機雷除去作業で !
元掃海隊司令、安保法制に「心配」!
米国からの秘密の要請に基づき、出動、乗っていた掃海艇が、触雷して殉職、
21歳の自衛官 !
海外派遣された自衛隊員が帰国後に、54名が自殺 !
自民党体制下、真相を長年インペイ !
毎日新聞 2015年05月31日 09時05分(最終更新 05月31日 09時13分)
★集団的自衛権行使の事例、中東ホルムズ海峡での機雷掃海は危険 !
太平洋戦争の終戦後、日本近海に残った機雷の除去(掃海)などで殉職した、79人の顕彰碑が、海上安全にゆかりのある金刀比羅宮境内(香川県琴平町)に建っている。
政府は、安全保障関連法案の審議で、中東ホルムズ海峡での機雷掃海を集団的自衛権行使の事例に挙げる。時代が変わっても掃海作業は危険を伴う任務だ。
安保論議を見守る遺族や海上自衛隊関係者は、「二度と殉職者を出してはならない」と訴える。
★機雷の除去作業中の爆発事故などで78人もの命が失われた !
防衛省によると、米軍などは太平洋戦争中、日本近海に約6万7千個の機雷を仕掛けた。
旧海軍省は、1945年10月、掃海隊を編成して、機雷の除去作業を開始した。
1952年に全国の主要航路・港湾で安全宣言が出されたが、その間、作業中の爆発事故などで78人もの命が失われた。
顕彰碑は、全国の港湾都市の首長が発起人となって、1952年に建立された。
縦約6メートル、横約2.4メートルの巨大な石碑で、碑文は、吉田茂首相(当時)が揮毫(きごう)した。
1963年に掃海訓練中に事故死した海自隊員1人を含めて79人の名を刻み、毎年初夏に追悼式が催されている。
毎年参列している櫛野弘さん(85)=広島県福山市=の兄勲さん(享年20)は1945年10月、大分県沖の瀬戸内海で掃海作業中、船が機雷に触れて沈没し亡くなった。
1944年秋に徴兵され、終戦になって帰郷した翌月だった。
安保関連法案の論議では機雷掃海が焦点になっているが、櫛野さんは「一般の人は、機雷といわれてもピンとこないし、掃海の怖さを知らないと思う」と懸念する。
「二度と人の命が奪われることがあってはならないが、上の人が決めたら行かなきゃいけないのは今も昔も同じ。国は残される人のことを考えてほしい」と訴えた。
★安倍首相がはっきり答弁しないので安保関連法案の思惑がよく分からない !
残存する機雷の掃海作業は、海自が引き継いだ。
元掃海隊司令の松藤信清さん(67)=同県呉市=は「安倍首相がはっきり答弁しないので思惑がよく分からないが、法整備で自衛権の発動が明確化されるのはありがたい。
できるだけしっかりした任務や目的を与えてほしい」と話す。
掃海技術は、時代を追って格段に向上し、安全性も高まった。
1991年には、湾岸戦争後のペルシャ湾に、海自の掃海部隊が派遣された実績もある。
それでも松藤さんは「心配がないかというと、うそになる」と複雑な心境を語る。
今年の追悼式は、5月30日午前に営まれ、遺族や掃海部隊OBら約280人が参列した。
犠牲者の冥福を祈った。【伊藤遥】
(参考資料)
T 「戦没者」なのに戦死にあらず ?
米国からの秘密の要請に基づき、出動、乗っていた掃海艇が、触雷して殉職、
21歳の自衛官 ! 真相を長年インペイ !
整理が必要な自衛隊員の死を巡る不都合
(jbpress.ismedia.jp : 2012.10.18(木) 桜林 美佐より抜粋・転載)
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今年も東京・市ヶ谷の防衛省で自衛隊殉職隊員追悼式が執り行われた。
10月13日、その日は土曜日にもかかわらず、早朝から10台ほどはあっただろうか、大型バスが敷地内に入る。観光バスではない。ここに乗っているのは皆、殉職した自衛隊員の遺族である。
防衛省内の慰霊碑がある一角、メモリアルゾーンと呼ばれるエリアには、これまでの自衛隊殉職者だけではなく陸軍全航空部隊戦没者慰霊碑や、終戦時に責任を取って自決した阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相、杉山元第一総軍司令官、大本営作戦参謀だった晴気誠(はるけ・まこと)少佐の碑などもある。
晴気誠少佐はサイパン陥落の責任を取る形で、この地、市ヶ谷台で割腹自殺した。
享年33だった。
この若さで作戦の失敗を一身に背負い死出の旅路とは、いかなる心境であったか、現代の感覚では想像を絶することである。
こうした先人たちに見守られるように、殉職自衛隊員の慰霊碑はある。今年も全国から多くの遺族が集まり、70遺族123名が参列。
新たに殉職と認定されたのは、陸自3柱、海自3柱、空自2柱、そして事務官1柱の計9柱で、これまでの自衛隊殉職者は1831柱に及ぶ。
☆機雷除去中の事故死を口止めされた海上保安官 !
今年は、東日本大震災で登庁する途上で津波により殉職した空自隊員や、災害派遣活動中に亡くなった方も2名含まれているが、殉職者の大半は訓練中などの事故が原因だ。
しかし、海外での活動が本来任務化され、そのニーズも高まっている昨今、活動範囲の広がりとともに、これからは今まで経験したことのない殉職というケースもあり得る。
それを考えれば、いろいろと整理しなければならないことも多い。
☆米国からの秘密の要請に基づき、出動、乗っていた掃海艇が、触雷して殉職、
21歳の自衛官 !真相を長年インペイ !
思いは、今から60年以上前の秋に遡る。1950(昭和25)年の10月に朝鮮戦争が勃発し、当時、海上保安官だった、中谷坂太郎さんは、朝鮮へ特別掃海隊として赴いた。
米国からの要請に基づき、近海に敷設された機雷を除去するためだ。
しかし、乗っていた掃海艇が、触雷して殉職。当時21歳の誕生日を迎えたばかりだった。
U イラク帰還自衛隊員の自殺は一般の15〜17倍 !
(bylines.news.yahoo.co.jp:2015年5月28日 より抜粋・転載)
★隊員54名が自殺 ! 海外派遣された自衛隊員が帰国後に、
井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2014年度末現在、イラク派遣の陸上自衛官が21名、航空自衛官が8名、計29名。
アフガン派遣の海上自衛官が25名。合計54名の海外派遣された自衛隊員が帰国後、自殺しています」
昨日(5月27日)行われた国会答弁で防衛省が報告したものです。
防衛省のサイトにあるイラク派遣の結果報告を見ると、イラク派遣された陸上自衛官は600名で、航空自衛官は210名です。
★一般の人の自殺死亡率と比較、陸上自衛官は175倍、航空自衛官は190.4倍 !
警察庁によると、自殺死亡率は、人口10万人当たりの自殺者数を示し、その計算式は、「自殺者数÷人口×10万人」となります。
これで計算すると、イラク派遣された陸上自衛官の自殺死亡率は3,500で、航空自衛官の自殺死亡率は3,809.5になります。
警察庁公表の2014年の日本全体での自殺死亡率は20.0なので、陸上自衛官は175倍、航空自衛官は190.4倍も多いことになります。
防衛省は、2004年から2014年までの11年間の自殺者数と言っていますので、これを11で割るとして、陸上自衛官は15.9倍、航空自衛官は17.3倍になります。
以前、「イラク帰還の陸上自衛隊員の自殺率は日本平均の14倍以上」とブログで書いたことがありますが、やはり近い数字になります。
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