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与党推薦の学者、安保法案「違憲」とバッサリ、
自公推薦・長谷部教授が語った「立憲主義」 !
長谷部教授の日本国憲法への「考え方」は?
(第2回)
(弁護士ドットコムニュース:2015年06月05日より抜粋・転載)
◆衆議院の「憲法審査会」で憲法学者全員、与党の安保法制に「違憲」の評価 !
◆安倍政権は、「違憲でない 」と火消しに躍起 !
◆自公の推薦・参考人:集団的自衛権の行使=「憲法違反である」
◆自衛隊の活動は、外国の軍隊の武力行使との一体化の恐れが極めて強い !
◆長谷部教授の「立憲主義」等の「考え方」は?
◆中世ヨーロッパは「キリスト教」が政治権力を制限していた !
◆「多様な価値観・世界観の共存」が近代立憲主義の前提 !
◆どちらの価値観が正しいかという議論は「意味がない」
◆「私の領域」と「公の領域」を区別して考える
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
●憲法が改正しにくいのは「人が感情や短期的な利害にとらわれがち」だから
こうした近代立憲主義に立脚する憲法、これは通常の法律に比べますと変更することが難しくなっていること、つまり硬性憲法であることが、これまた通常でございます。
いま述べました基本的人権を保障する諸条項、民主政治の根幹に関わる規程、これは政治の世界におきまして、選挙のたびに起こりうる多数派・少数派の変転や、たまたま政府のトップである政治家の方がどのような考え方をするか、そういったものとは切り離されるべきだから。
つまり、その社会の全てのメンバーが中長期的に守っていくべき基本原則だからというのがその理由であります。
また、憲法の改正が難しくなっている背景には、人間の判断力に関するある種、悲観的な見方があると言ってもよろしいでありましょう。
●憲法改正は、本当に将来世代も含め我々の利益に、本当に繋がるのか、
国民全体を巻き込んで改めて議論し考えるべきだ
人間というのはとかく、感情や短期的な利害にとらわれがちで、そのために中長期的に
見たときには合理的とは言いがたい、自分たちの利益に反する判断を下すことがままあります。
ですから、国の根本原理を変えようというときは、本当にそれが将来生まれてくる世代も含めまして我々の利益に本当に繋がるのか、国民全体を巻き込んで改めて議論し考えるべきだ、ということになります。
それを可能とするために憲法の改正は難しくなっております。
さらに、改正を難しくするだけではなく、国政の実際においても、憲法の内容が順守され、
具体化されていくよう、多くの国々では違憲審査制度が定められております。
●戦前の日本も「近代立憲主義に基づく国家とは言いがたかった」!
近代立憲主義の内容とされる基本的人権の保障、そして民主的な政治運営は、ときに普遍的な理念、普遍的な価値だと言われることがあります。
ここで普遍的というのが、世界の全ての国が、大昔から現在に至るまで全てこの、近代立憲主義の理念に沿って運営されてきたと、そういう意味であればこれは正しい言い方ではございません。
実際には、現在でさえ、こうした理念に則って国政が運営されているとは言いがたい国は少なからずございます。
また、日本も第二次世界大戦の終結に至るまでは、この近代立憲主義に基づく国家とは
言いがたい国でありました。
●日本国憲法には「改正の限界」がある !
さらに民主主義について申しますと、19世紀に至るまでは、民主主義はマイナスのシンボル
ではあっても、プラスのイメージで捉えられることはまずなかった、と言ってよろしいでありましょう。
それでも現在では、「基本的人権の保障」や「民主的な政治運営」は、普遍的に受け入れられる「べき」ものとされております。
ただ問題は、憲法典の中に基本的人権を保障する条項、民主的な政治制度を定める条項が含まれているか否か、それには限られておりません。
これらの条項の前提となる認識、つまり、「この世には人としての正しい生き方、あるいは
世界の意味や宇宙の意味について、相互に両立し得ない多様な立場があるということを認め、異なる立場に立つ人々を公平に扱う用意があるか」。
それこそが実は普遍的な理念に忠実であるか否かを決している、ということができます。
そして、近代立憲主義の理念に忠実であろうとする限り、たとえ憲法改正の手続を経たとしても、この理念に反する憲法改正を行うことは許されない、つまり「改正には限界がある」ということになります。
●国独自の理念・制度は「近代立憲主義と両立」する範囲内でなければならない !
ただ、近代立憲主義の理念に立脚する国々も、各国固有の理念や制度を憲法によって保障していることがあります。
日本の場合で言えば、天皇制や「徹底した平和主義」がこれにあたるでありましょう。
こうしたそれぞれの国の固有の理念や制度も、これもその時々の政治的多数派・少数派の移り変わりによっては動かすべきではないからこそ憲法に書き込まれているということになります。
もっともこれら、国によって異なる理念や制度は、普遍的な近代立憲主義の理念と両立しうる
範囲内にとどまっている必要があります。
つまり、特定の人生観や宇宙観を押し付けるようなことは、近代立憲主義のもとでは、
憲法に基づいても認められないということになります。
「憲法を保障する」という言葉も色々な意味で使われることがございますが、現在の日本
で申しますと、価値観や世界観、これは人によって様々である。
しかし、そうした違いにもかかわらずお互いの立場に寛容な人間らしい暮らしのできる公平な
社会生活を営もうとする、そうした近代立憲主義の理念を守るということ、そして憲法に
書き込まれた日本固有の理念や制度を守り続ける、それが憲法を保障することのまずは
出発点だということになるでありましょう。
以上、誠に雑ぱくな話でございますが、以上で立憲主義に関する私の説明を終わらせて
いただきます。
どうもご静聴ありがとうございました。 ―(弁護士ドットコムニュース)
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