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与党推薦の学者、安保法案「違憲」とバッサリ、
自公推薦・長谷部教授が語った「立憲主義」 !
長谷部教授の日本国憲法への「考え方」は?
(弁護士ドットコムニュース:2015年06月05日より抜粋・転載)
◆衆議院の「憲法審査会」で憲法学者全員、与党の安保法制に「違憲」の評価 !
《発言全文》安保法案「違憲」とバッサリ、与党推薦の長谷部教授が語った「立憲主義」
憲法審査会で語る長谷部教授(衆議院インターネット審議中継より)
国会で「安保法制」の審議が行われている最中の6月4日に開かれた衆議院の「憲法審査会」で、自民党、公明党が推薦した、憲法学者の長谷部恭男・早稲田大大学院
法務研究科教授が、与党の安保法制に「違憲」の評価を突きつける、
異例の事態が起きた。
もともと、この日の議論のメインテーマは「立憲主義」だったが、民主党の中川正春議員が「率直に聞きたいんですが、先生方は、今の安保法制、憲法違反だと思われますか。
先生方が裁判官となるんだったら、どのように判断されますか」と参考人の憲法学者3人
に質問したところ、全員揃って「違憲だ」と明言するという展開になった。
◆安倍政権は、「違憲でない 」と火消しに躍起 !
菅義偉官房長官は、同日夕方の記者会見で火消しに動き、「全く違憲でないという著名な
憲法学者もたくさんいる」と断言した。
一方で、憲法学者の南野森・九州大教授は《菅官房長官によれば、「全く違憲でない」
と言う「著名な」「憲法学者」が「たくさん」いるらしい。是非ご教示賜りたい。》
とツイートした。
◆自公の推薦・参考人:集団的自衛権の行使=「憲法違反である」
民主党・中川議員の質問に対して、自民・公明党が招いた参考人である
長谷部教授の回答は、次の通りだった。
「安保法制は、多岐にわたっておりますので、その全てというわけには
なかなかならないんですが・・・。
まずは、集団的自衛権の行使が許されるという点につきまして、私は
『憲法違反である』という風に考えております。
従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明が付きませんし、
法的安定性を大いに揺るがすものであるという風に考えております。
◆自衛隊の活動は、外国の軍隊の武力行使との一体化の恐れが極めて強い !
それからもう一つ武力行使、外国の軍隊の武力行使との一体化に自衛隊の活動がなるのではないかという点ですが、その点に関しては『一体化するおそれが極めて強い』と考えております。
従前の戦闘地域・非戦闘地域の枠組みを用いた、いわばバッファーを置いた、余裕を持ったところで明確な線を引く、その範囲での自衛隊の活動に留めておくべきものであるという風に考えております」
また、民主党推薦の参考人・小林節・慶應大学名誉教授と、維新の党推薦の笹田栄司
・早稲田大政治経済学術院教授もそろって「違憲」と述べた。
◆長谷部教授の「立憲主義」等の「考え方」は?
長谷部教授は2014年3月まで東大で教授を務めており、1990年代に自衛隊合憲論を唱えたり、
2013年12月成立の「特定秘密保護法」に賛成を表明するなど、憲法学者の中でも「個性的」な人物とされている。
ただ、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使について、新聞対談などで繰り返し反対の立場を述べていた。
長谷部教授の考え方は、この日、審査会冒頭で12分間、「立憲主義」について話した内容に色濃く表れているため、以下、その全文を引用する。
◆中世ヨーロッパは「キリスト教」が政治権力を制限していた !
《本日はこのような形で発言の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。本日は主に立憲主義についてお話を申し上げようと思います。
立憲主義という言葉は色々な意味で用いられますが、大きく「広い意味」と「狭い意味」を区別することができます。
広い意味の立憲主義、これは、政治権力を何らかの形で制限する考え方、これを広く指して用います。
例えば中世のヨーロッパにも立憲主義があったと、そう言われる時には、この意味で「立憲主義」という言葉が使われております。
中世のヨーロッパでは、当時の支配的な宗教であり、世界観であるキリスト教に基づきまして、何が正しい生き方かが、あらゆる人にとって決まっておりました。
為政者についても当然、政治権力の正しい行使の仕方が決まっています。
そして、それに違反をすれば、教会を破門され、臣下の服従義務が解かれる。そうしたリスクに晒されておりました。
また、ローマ教皇についても、彼が異端の思想に染まったときは、全クリスチャンの代表からなる公会議によって、あるいはさらに公会議を代表する枢機卿会議によって、教皇がその地位を追われる、それもあり得ると考えられておりましたし、実際コンスタンツの公会議におきましては、教会を分裂させた三人の教皇を廃位いたしまして、新たな教皇を選出しております。
キリスト教という一元的な思想、そして世界観に基づいて、政治権力も制限されていたわけです。
◆「多様な価値観・世界観の共存」が近代立憲主義の前提 !
他方、現在日本を含めた先進諸国で共通に立憲主義として理解されておりますのは、「狭い意味の立憲主義」です。
これは「近代立憲主義」とも言われ、近代ヨーロッパで確立した考え方です。
当時のヨーロッパは、一方では宗教改革後の激烈な宗派間の対立を経験し、他方では大航海時代でもありましたために、世界各地で多様な暮らしぶりや考え方に出会った経験から、人にとっての生き方や世界の意味づけ方が、これはただ一つには決まっていない、「多様な相互に両立し得ない価値観、世界観があるのだ」と、そのことを事実として認めざるを得ない状況におかれておりました。
宗派間の対立をとってみますと、プロテスタントにしろ、カトリックにしろ、それを信仰する人にとっては自分にとっての正しい生き方、世界の意味づけ方を教えてくれる大事な、かけがえのないものであります。
そうである以上、自分だけでなく他の人も全て信じてしかるべきだと考えるのが人としての自然の傾向でありますが、ただ、その自然の傾向のままに、各人にとっての「正しい信仰」をほかの人に押し付けよう、押し付けようとしますと、そうするとここに深刻な対立が起こります。
現在でも世界の各地におきまして、何が正しい信仰であるか、それがもとになって大変に激しい紛争が起こっていることはご承知の通りであります。
◆どちらの価値観が正しいかという議論は「意味がない」
これに対しまして、近代立憲主義は、「価値観や世界観は人によって様々である」と、これを正面から認めるべきだと、そういう認識から出発をいたします。
多様な価値観、世界観について、いずれがより正しいかを議論しても「意味がありません」。客観的に比較するものさしが、そもそもそこにはないからであります。
どのような世界観、人生観を持つ人であろうと、人間らしい平和な社会生活を送ることができるようにするためには、どのような社会のあり方、それを基本とすべきか、それをまず考えるべきだということになります。
ホッブズ、ロック、ルソー、カントといった近代立憲主義の基礎を築いた政治思想家たちは、いずれもこの問題に解答しようとした人たちであります。
◆「私の領域」と「公の領域」を区別して考える
近代立憲主義は、そうした社会生活の基本的な枠組みといたしまして、公(おおやけ)と私(わたくし)とを区分することを提案します。
私(わたくし)の領域におきましては、各自がそれぞれ「自分が正しい」と思う世界観に従って生きる自由が保障されます。志を同じくする仲間や家族と生きる自由も保障されます。
他方で、社会全体の共通の利益にかかわる公(おおやけ)の領域におきましては、各人が抱いている世界観はひとまずわきに置いて、どのような世界観を抱いている人であっても人間らしい、社会生活の便宜を享受するためには、何が必要なのか。
各自がどのようにコストを負担すれば、公平な負担と言えるのか、それを落ち着いて理性的に話し合い、決定をしていく必要がございます。
日本国憲法もそうですが、近代立憲主義に立脚する国々の憲法、これは基本権、憲法上の権利を保障する条項を定めていることが普通です。
それらは一方では、私(わたくし)の領域におきまして、それぞれの人が自らの信ずる宗教を奉じ、各自が正しいと考えることを表現し、プライバシーの守られる空間で、自らの財産を使いながら生きる自由を保障します。
自由な私(わたくし)の領域を確保するための、さまざまな権利が保障されております。他方で、報道の自由、取材の自由、結社の自由、参政権と、主に公の領域におきまして、社会全体の利益を効果的に実現するために何が必要か。
それを理性的に審議し決定するために保障されているさまざまな権利もあります。
そうした権利に支えられた民主政治の具体のプロセスについて定める統治機構に関する規定も、これももちろん備えられております。
―この続きは次回投稿します―
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