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朝食後、習慣的に「産経新聞」を開いて、無意識的にそのシリアルを見て、やっぱり「徳川葵の三百年」という歴史物語がまだ連載中だ。怒りを抑制して読み終わって、その中の多くの日本侮辱の論説にびっくりした!!その文章の作者は支那人で、支那人として我が大日本の歴史を評論する資格があるの?
この文章は何の目的で書いたのか、どうして事実を放っておいてそんなに日本の歴史を侮辱して醜悪化するのか分からない。巨大な社会影響力を持つ新聞として、あろうことかこのような大和民族の感情を傷つけるものを連載していて、自分の社会責任をまったく忘れて,私の激しい怒りを呼んだ!!!
余計な話を省略して、これから事実で話す。白い紙に書かれた黒い文字のように、惚けることを許さない。この間のシリアルで、最初から、その支那人が軽蔑した口調で日本人の名字をからかっている:
「日本人はいつも名字を変えるのだ。名前だけでなく、苗字さえ変える。その理由がいろいろある:他人の家業を継ぐ(養子となる)とか,これは勿論。元々の名前が親から与えたので,選ぶ権利がなくて、成人して耳障りだと思って変えるとか、家の良いことを証明するとか。甚だしきに至っては、わけもなく半生が苦しい生活をしたので運を転換したいから変えることもある。要するに、彼らは考えられるすべての理由を考えだして、名前を変えるのだ。」
「織田信秀という人は、具体的に言えば織田信長の実の父親で、簡単に言えば当時の尾張の国の統治者で、「尾張の虎」と言われた。しかし、「虎」と呼ばれても、やり手とは言えない:日本人は彼らが思うやり手を「〇〇の虎」と呼ぶが、この称号を得る人が実に多すぎて、例えば、甲斐の虎、尾張の虎、上野の虎(黄斑)、さらに東美濃の虎など。しかし、私の不全面的な統計によれば、全日本の歴史でこのような称号を持つ人の中で、「虎」と呼ばれる人は二番目しかなくて、一番目は「鬼」、三番目は「軍神」。」
名前はただ一つの略号だ。作者を聞きたいけど、人は自分の名前を変える権利がある?親さえ何の文句を言わなくて、君がここで指摘する資格があるの?「虎」、「鬼」、「軍神」はもともと大和武士の莫大な栄誉で、極大な努力を払ってこそ得るもので、その支那人が「虎」と呼ばれても,やり手とは言えない。」ようなことを言う。
もっと耐えられないものはその後ろにある。その支那人が天皇将軍から大名武士まで我が大日本帝国の歴史人物をからかって、彼の文章で、この英雄たちがみなピエロになる。
周知のように、織田信長は我が国戦国時代の大軍事家と政治家だ。しかし、その支那人の文章で、まず彼のことを「間抜け」と呼ばれて、そして「火星人」とよく呼ばれて、さらに「非地球人」「ウルトラマン」などと呼ばれた。彼は私たちの英雄をからかう資格があるの?このような文は文章のどこでも見られる:
「織田信長という人は、近くで有名な間抜けだ。近くで有名というのは実に彼のメンツを立てるのだ。全日本有名な間抜けと言ってももっと客観事実と合っているのだ。話によると、明朝出身の海賊王王直さんさえ彼を知っていて、彼はどうやら日本に少しの国際影響力を増すのである。」
「信長は歩ける頃から、人間らしいことをあまりしていなかった。
他の子供は勉強している時、彼は‘川で泳いている。他の子供は身なりを整って親戚回りをしている時、彼はぼろをまどって町で馬に乗っている。他の子供はかわいい女の子と理想を話している時、彼は頑丈で醜い女の子を集めて相撲試合を行って、さらに「勝った人を嫁にする」と公に表明した。しかも、「頑丈な女の子は頑丈な赤ちゃんを生む!」ともっとらしく話した。
今にしてみてば、もし信長はブログを開けば、ビデオを貼りつけて、人気が出るかもしれない。しかし、当時の日本で、彼のことをひとつの言葉で言わなければならない——尾張の間抜け。」
「ここで、信長の火星人のイメージはもう自分で徹底的に潰れて、彼がすべきことは全新な方式で、以前の地球の英雄たちと全然違う方式で、地球上の苦しんでいる人々を幸せの生活にさせることだ。このことからわかることで、彼はウルトラマン——光の力を失っているウルトラマンのはずだ。
凡人のウルトラマンとしての信長がすぐ日本を制覇する能力がないことは明らかで、だから、彼はステップバイステップでするしかない。」”
織田信長のほかに、その支那人は「東照神君」の徳川家康もあれやこれやと誹謗して、神君を臆病で無力で世間をよく知らない恥知らないやつに描き出した:
「娼婦のことをしてはいても、鳥居を立てなければならない。幸いなことに、この仕事はあまり大きくない。どうせ死人だから,その中で気に入ってしかも多少の関係がある人を一人選んで、もし関係がなくてもなんらかの関係を作れる人を祖先にしてもいい。これから、家康は鳥居の仕事を始めた。」
「家康の人数は武田家の三分の一で、大体「不若」の類に属したが、彼は自分の軍隊を「敵の十倍」として「敵を包囲攻撃した」。本当に「ポケットに二元しかないのに、胸には五百万がある」ような意味があるのだ。
もしこの度負けないなら,これから負ける人がないだろうか。」
「家康はもう自分がどのように浜松城に着くのか、どのようにこの门に入ったのか全然わからなかった。ただ、馬から降りるとき、「ハハッ、主君は驚いて馬で大便をした!」と大久保忠世から笑われた。
「バカ,これは味噌汁だ!」と家康が大声で答えた。
「臆病な江户幕府の初代将军から臆病な東照政権が見られる。
これはみなさんが欲しいイメージではないから、彼にいくつかのラベルを貼って、彼を身贔屓しない英雄になって、背中を156センチから196センチまで伸びったように感じさせる。」
もっとひどいのは彼が神君の祖父と父の死さえからかった:
「弥七郎さんが抜刀術を練習している時、抜き出したその瞬間、刀本体と刀の柄が別れてしまった。ニュートンの法則によって、刀本体は慣性で清康の頭を刺した。」
「もしこの死因がどこかで見たことがあると思えば、おめでとう、君が私が行った記憶力テストをパスした(賞なし)。前にも言ったけど、彼の父親——松平清康もこのように死んだ。この度、広忠を過失致死したのは片目弥八という家臣だ。話によると、ある日この弥八さんは広忠を見てから、全身痙攣して震えて、親友を久しぶりに見たように,何も言わないで自分の宝刀——村正を抜き出した。もし君もこの刀さえ覚えているなら、同じようにおめでとう、君が私が行った記憶力テストをパスした(依然と賞なし)。そして、それで自分の主君と挨拶してから、自分の主君がもう血の海に倒れたことをきづけて、その場で死んでしまった。(今はこの観点を持つ人数は一番多い)。」
豊臣秀吉は私が一番崇拝する英雄人物だ。彼は日本を统一して、戦力的な見識に富んで、残念ながら、あまりにも早く死んで,人々にため息をつかせる。その支那人はもちろん彼への侮辱を忘れなくて、彼の文章で、豊臣秀吉を醜いゴロツキっぽい人に描き出した:
「一般的にはもし実の父が死んで、母が再婚してから継父ともう一人の息子を生むなら、君の暮らしはきっと苦しんでいるだろう。実は秀吉は確かだ、これからの日々で、彼は家出してあちこちでぶらぶらしていい加減に日を過ごして:農民をやったこともあるし、今川家で兵士をやったこともあるし、町で露店を出したこともあるし、商人に雑用をしたこともあるし、さらに違法組織を参加した(盗賊)こともある。いわゆる生活経験が豊富で、明朝の開国皇帝朱元璋よりもっと強い。朱元璋はただ物乞いをして,職務の便を利用して山川を訪問するしかないが、労働者農民兵士をやったことのある秀吉と比べることにならない。しかし,両者にも共通点がある:第一,醜いこと,第二,地位の低いこと,だから第三の共通点を産んだ——人々に嫌がらせること。朱元璋はともかく、秀吉はその放浪した日々で、たいへん苦しんでいる。猿と似ているので、皆は彼を人間に見なしないで、口であっても心であっても彼を非人の「猿」と見なした。」
「対立して十数秒、秀吉は人々に驚かせることをした——自分の陣羽織をめくって、そして、コ川家の皆さんはびっくりした:このやつはパンツを着ていない。
秀吉はみなさんが驚いていた頃で、自分のお尻を叩いて、その声が空高く響きわたった。その同時に「敵将のお尻はここにある。大したものなら来なさいよ!」と叫んだ。」
後世から尊敬すべきでかわいそうな英雄たちは逝去して何百年後、このような支那人からこれとこれと辱めるなんて!!!
ほかに、その文章で同じような論説はどこでも見られる。以下は私が勝手に選んだもの:
足利義満将軍について:「三代目の幕府の将军は有名で、私たちが幼いごろからリクリエーションで登場した足利義満将军で、アニメの「一休さん」でひどくからかわれた間抜け者である。」
日本の仏教の流派について:「まず、このような流派は少なくとも当時でたいへん人気があるのだ。そして、ある苗字が「釈」からはじまる太い坊主はたぶん彼らと同じ流派だろう。」
日本の忍者について:「一言で言えば:下忍は放火殺人強盗活動をし、中忍は現場でそれを指揮し、上忍は雇い主の大名の意思で自宅でそれを計画することだ。」
「第一兵書」の「 甲陽軍鑑」について:「この本を読んで、私は作者は妻を勝頼に奪われないなら、母親が勝頼に殺された。要するに、この作品で勝頼に対する極端な恨みが溢れている。その中で,同時に恨まれるのは長坂釣閑と跡部勝資で,この二人は多分小幡さんの負債を負うだろう。」
もう一つ、その支那人何故か日本茶道に不満があって、このシリアル全体で、茶道と少しでもの関わりがある人はわざと醜悪化されて、甚だしきに至っては見え見えの人身攻撃だ。
戦国三雄の一人の松永久秀は茶道に精通して、彼が収蔵した九十九発茄子と平蜘蛛茶釜は日本第一の茶器と言われたが、その支那人はそれを省略して、彼の「大天魔」の悪名を強調して,確かに疑わしい。
茶道巨匠の織田長益については、その文章で正史を捨てて,どこで見つけた野史伝闻を使って、彼を死を恐れて道義を重んじない小人で、自分がお茶を入れられるために自分の盟友さえ裏切た人に描き出した。
细川藤孝は日本文化の第一人だが、その支那人の文章で、彼をコロコロ変わて信義を重んじない小人で、「転職の王」と自称して自分で面白く思う人に描き出した。その支那人は本当に腹の底で何を考えているか分からない。
豊臣秀吉とコ川家康の二人については、その支那人は前の中傷のスタイルを継承して、この二人を徹底的に教養のない文化人振る人に描き出して、彼らに不ざまな行為をさせて、本当に憎らしい。
以上の内容はすべて私が勝手に選んだものだ。このように事実をゆがめて,英雄を醜悪化することで注目される恥知らない行為は本当に多すぎる!
大和民族は世界で最も優秀な民族の一つで、長い歴史があって、英雄が輩出して,一人一人の国民がその栄誉を守るべきだ!!中立的立場で知られた「産経新聞」はこのような日本侮辱の言説と大和民族の尊厳を損ねる文章を連載するなんて、私は理解できない。これに対して、私は強く抗議して、連載の中止と全国民への謝罪を望んでいる!
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- 投稿可能になりました。本番投稿をお願いします。 管理人さん 2010/6/11 00:46:39
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