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安倍政権が集団的自衛権行使に執念を燃やす理由は ?
戦後の平和主義を根本的に転換し本気で軍事大国めざす !
「共に血を流せ」とする米国の圧力の強まりをインペイする自公政権・マスコミ !
第1次安倍政権の明文改憲政策を破綻させた九条の会の運動 !
「戦争ができる軍隊」に自衛隊を変える事が、安倍改憲の大きな目標 !
(第2回)
井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
(bylines.news.yahoo.co.jp/:2014年7月1日 より抜粋・転載)
渡辺治一橋大学名誉教授:
渡辺治一橋大学名誉教授に3時間を超えるインタビューを行いました。ごく一部ですが集団的自衛権の問題を深めることができますので紹介します。
★安倍自公政権が集団的自衛権行使に執念を燃やす理由
★憲法と野党の運動の力が海外派兵を許さなかった
★「自衛のための必要最小限度の実力」に制約
★親分・アメリカの要請:「共に血を流せ」に応えられない
「自衛隊は海外派兵しない」とする憲法に基づく解釈なら
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
★安倍政権前の自民党は、明文改憲でなく解釈改憲で乗り切る道を選択 !
この課題に対して、自民党政権は明文改憲による9条廃棄という路線を取らずに、
憲法9条をそのままにしてその中味を解釈や立法で変えてしまう解釈改憲で事態を
乗り切ろうとしてきました。
改憲案は41も出されたのですが、自民党政権は、国会で改憲案を通して、国民投票で
明文改憲を行う路線は取らずに、解釈改憲で行うことを決めたのです。
その理由は2つありました。
1つは、アメリカの要求が急すぎて、明文改憲をやっている時間がなかったということです。
湾岸戦争から始まって、アメリカは次々と戦争を行い、その度に早く自衛隊を出せと
言ってくるわけで、明文改憲を行っているのでは間に合わないのです。
2つめは、明文改憲は、政権にとって危険すぎるという点です。
明文改憲を行った場合は、アジアの人々だけではなく、日本国民の強烈な反発を受けるため、自民党政権は解釈改憲の道を取ったのです。
それを実行に移したのが小泉政権です。
2001年の9.11テロ事件に対して、アメリカがアフガンのタリバン政権攻撃に乗り出すと、
小泉自公政権は「国際貢献」を理由に、ついにインド洋海域に自衛隊を派遣しました。
そして、2003年にイラク戦争が始まると、ついに他国の地上に自衛隊を派兵した。
これを、憲法をいじらずに解釈によって強行したわけです。
ここで大きく憲法の状況は変わったのですが、実はこの自衛隊のイラク派兵やインド洋海域への派兵は、解釈改憲の限界を持たざるを得ませんでした。
その最大の限界は何かというと、アメリカが最も強く求めていた「共に血を流せ」、
つまり自衛隊が海外でアメリカ軍と共同軍事行動をとることができなかったという点です。
海外には行ったけれど、当時の解釈改憲は、政府が60年以降再三にわたって作り上げてきた、「自衛隊は海外派兵をしない」「集団的自衛権行使は認められない」「武力行使と一体になった活動はできない」「攻撃するための兵器は持たない」という解釈の体系を壊さないで、それをすり抜ける形で自衛隊を派兵したのです。
小泉政権の解釈改憲というのは、憲法9条についての解釈を変えてしまうのではなく、
政府解釈を維持した上で、それをすり抜ける形でやった。
「自衛隊の海外派兵はしない」という原則は変えません、「自衛隊のイラクへの出動は、
政府が禁止している派兵ではなく派遣です」という形で突破したのです。
★「共に血を流せ」とするアメリカの圧力の強まり
では、禁止されている「海外派兵」とは何か。武力行使目的で自衛隊を進駐させた場合
は海外派兵だから、これは認められない。
しかし復興支援に行く、あるいは今回フィリピンに行っているように、災害復旧支援に行く、
そのために自衛隊が海外に出動するのは「派遣」であって「派兵」ではない。
これは認められるという形でイラクに派兵したわけです。
既存の政府解釈を維持したまま行ったために、サマワに行った自衛隊は
1発の銃も撃つことができなかった。
★派遣された自衛隊は、多国籍軍と違い、イラクの国民を殺さなかった !
その結果、極めて皮肉にも、未だにイラクの国民からは「日本の自衛隊は英米の
多国籍軍とは違う」と言われています。
何が違うかというと、彼らは、私達イラクの国民を殺さなかった、
銃を向けなかったというわけですね。
また自衛隊の側からいえば、1人の自衛官も戦闘で死んでいない。
そういう意味では極めて特異な形、制限された形でしか行けなかったわけで、
それがアメリカにとっては気に食わない。
「13年かけてそれだけか?」ということで、解釈改憲の限界を突破して、「共に血を流す軍隊に変われ」と、2003年のイラク派遣の後にブッシュ政権から強く言われるようになりました。
★第1次安倍政権の明文改憲政策を破綻させた九条の会の運動 !
そこで、解釈改憲の限界を突破するには、明文改憲を行うしかないということで、登場したのが第1次安倍政権です。
第1次安倍政権の明文改憲政策は、まさにアメリカの強い圧力と苛立ちを受け止めて、
小泉までの政権でできなかった解釈改憲の限界を突破するというものでした。
ところが、この明文改憲はものの見事に失敗します。
安保闘争のような数十万の人間が国会を取り囲む状況にはならなかったけれど、九条の会が全国で7,500もつくられる。
そして、その九条の会が全国津々浦々で様々な形で集会や9の日行動を行うようになりました。
おそらく100万人以上の市民が動いたと思いますが、その中で、大きな変化が生まれた。
国民の憲法についての世論が大きく変わってきたのです。
九条の会が増えるのと並行して、憲法改正に関する世論に変化が現れました。
読売新聞の世論調査でも、九条の会ができた2004年には、65%あった改憲賛成の世論が、
九条の会が増えるにしたがって減り、改憲反対の世論が増える中で、2008年4月の世論調査では、改憲賛成42.5%、反対43.1%と逆転してしまったのです。
★改憲反対の方が賛成よりも多くなり、第一次安倍政権の改憲政策破綻 !
そうなってくると、明文改憲の最後のハードルである国民投票を行っても、改憲反対の方が賛成よりも多いという状況がつくられてしまうので、明文改憲に打って出られない。
こうした国民的な運動がつくりだした状況の中で、第1次安倍政権における明文改憲政策は
ものの見事に破綻しました。
今回の第2次安倍政権は、そのリベンジとして登場したのです。目標は同じで、集団的自衛権の行使を容認して、軍事行動できなかった自衛隊を、今度こそアメリカ軍と共同の軍事行動を行える軍隊に変える。
「戦争ができる軍隊」に自衛隊を変えることが、安倍首相の改憲の大きな目標です。
だから国会の中でも安倍首相は、「集団的自衛権の行使を容認する」、
ここに焦点を合わせるんだと発言するわけです。
安倍首相が、国会で集団的自衛権行使を容認することをめざすと明言したのは、
今国会の施政方針演説が初めてです。
そういう意味では、安倍政権の目標がそこ(「戦争ができる軍隊」に自衛隊を変えること)
に設定されていることは非常にはっきりしています。
―この続きは次回投稿します―
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