http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/4015.html
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昭和天皇は、戦争責任から逃れること、天皇制を守る事のため米国に隷属、
琉球諸島の軍事占領を指示 !
痛いところを突かれた質問を、翁長氏と会場が一体になって封じ込める、沖縄 !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2015/05/02より抜粋・転載)
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1)日米安保条約を制定して、半植民地状態に移行し、沖縄は切り棄てられた !
4月28日は、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約発効の日(1952年)であった。
2年前の2013年4月28日、安倍政権が出席した「主権回復の日式典」はね「天皇陛下万歳」の合唱で閉幕した。
サンフランシスコ講和条約で日本は主権を回復したが、それと引き換えに切り棄てられたのが沖縄である。
また、主権回復とともに占領軍の撤退が定められたが、例外規定を設けて、日米安保条約を制定して、米国軍の駐留を継続させた。
日本は米国の属国、半植民地状態に移行し、沖縄は切り棄てられた。
沖縄が切り棄てられることになった、直接の契機は、昭和天皇による「沖縄メッセージ」である。
昭和天皇は、1947年9月20日に「天皇メッセージ」を発した。
2)「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」
宮内庁御用掛の寺崎英成を通じ、GHQの政治顧問シーボルトに、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」と伝えたのである。
「天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立つ」と伝えられた。
この事実は、筑波大学名誉教授の新藤栄一氏によって初めて明らかにされた。
その新藤栄一氏が4月28日付琉球新報で次のように指摘している。
3)戦争責任から逃れること、天皇制を守る事のため米国に隷属を指示 !
「天皇は、(中略)基本的に戦前体制を維持しながら、米国にすり寄って日米同盟の中で新日本を築き上げようとした。日米同盟基軸路線だ。天皇メッセージは、そのための道具として沖縄を差し出しますよ、と提案したもので、
天皇制を守るために、沖縄を『捨て石』にする考え方だ」(天皇メッセージの狙いは天皇制の存続か、との質問に)「もっと直接的だ。戦争責任から逃れることだ」
沖縄問題については、「アリの一言」様ブログ(旧「私の沖縄日記」)http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara
の記述をぜひご熟読いただきたい。常に冷徹な視点から現実を解析されている。
4)翁長氏当選後も埋め立て承認の撤回、取消に進んでいない !
昨年11月の沖縄県知事選で当選した翁長雄志氏が、辺野古埋め立て承認の撤回・取消を確約してこなかったこと、そして、いまも埋め立て承認の撤回、取消に進んでいないこと、の問題点を鋭く問いただしてきたブログでもある。
翁長雄志氏は、昨年9月13日に、千数百人の支持者を集めて出馬記者会見を行った。
私は、昨年10月9日付ブログ記事、「沖縄の主権者必見「翁長雄志氏出馬表明会見」に、この会見での翁長雄志氏の発言を取り上げた。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-004e.html会見での記者の質問と翁長雄志氏のやり取りを改めて掲載する。
会見の模様はYOUTUBE投稿動画で確認していただくことができる。
5)翁長氏記者会見、「異様な」聴衆の「ヤジ」が轟いていた=翁長タブー
「今大議論となっている翁長市長、県知事選出馬記者会見2」、
https://www.youtube.com/watch?v=aZEIXJRXFiY#t=421、4分45秒経過時点〜6分45秒経過時点のやり取りを文字化した。
読売新聞:すいません、読売新聞のカイヤと申します。よろしくお願いします。
あの、少し、しつこいようなんですが、あの重大な問題なので重ねてお聞きしたいんですが、あの辺野古移設に関して、ま、具体的な方法論は、ま、今後というようなことでしたけど、ま、現にいまあのー、名護では、名護市長が、明確に反対を唱えながら、政府は一貫して移設計画を進めています。
で、知事選の結果にもかかわらず、移設計画に影響はないという方針を示していますが、そういうなかで、反対はしたけれど、政府に強行されて、造らせてしまったと、いう結論になったときに、どう、こう、有権者に、絶対に造らせないという部分を、こう、まあ担保してゆくというか、選挙戦の前には具体的なものをきちっと明記されていくお考えでしょうか。
翁長:私はね、まあ、あなたは、マスコミだからそれでよろしいかと思うんですが、普通の人がそういう質問をするとね、大変失礼だなっと思うんですよね。
日本政府とアメリカ政府を相手にね、沖縄県は、69年間戦ってきたんですよ。
10万人集会も何回もやったんですよ。このこう要請行動に、県41市町村長、41市町村議長、ね、みんなそろってだめですよと言って一顧だにしないんですよ。
こういう政府を相手にね、私たちにね、具体的に何も見えなかったらね、あんた責任に負えないんじゃないんですか、などというのはね、よくあなたがそういう考え方を持っているんならば、もしあれば、こういうことも考えられるん
じゃないでしょうかという話をね、すると日本政府もね、ちょっと折れ曲がるんじゃないですかという話があれば少しはいいんですが、それをね、とっても厳しい中をね、僕らはね、穴を開けてね、そしてそれをね、みんなでね、力で阻止をして、やっている。
と方法論は、いまこれだけの人間がね、価値観を持ちながら来てますので、必ずね、相談をしながらね、いい形でね、えーやっていける。これが・・・。」
上記の「アリの一言」ブログ様が、この会見について、次の指摘をされたことを上記ブログでも紹介させていただいた。
会見では、翁長氏に対する、厳しい質問を許さないという「異様な」聴衆の「ヤジ」が轟いていた。
これがいわゆる「翁長タブー」である。
6)結局、政府に押し切られた、という形にならないか ?
「沖縄県知事選「翁長出馬会見」の驚愕」http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20140915
「そしてそのヤジは、ある記者の質問でピークに達しました。記者は「辺野古反対といいながら、結局政府に押し切られた、という形にならないか」と聞いたのです。実に的を射た質問です。
ところがこれに対し質問の途中から大きな怒声のヤジが何度も飛ばされ、翁長氏はそれに乗じるように、「普通の人がそういう質問をすると大変失礼なことになる」と、暗に記者を罵倒したのです。
この光景に背筋が寒くなる思いがしました。これは翁長氏と会場の支持者が一体になった記者への圧力であり、質問封じではないのか。
7)痛いところを突かれた質問を、翁長氏と会場が一体になって封じ込める !
痛いところを突かれた質問を、こうして翁長氏と会場が一体になって封じ込めるなど、民主主義社会では、絶対にあってはならないことです。
そもそもこういう異例・異様な「記者会見」にしたこと自体に疑問を禁じえませんが、その懸念がはっきり表れた光景でした。
会場にはいわゆる「革新」といわれる政党やその支持者、「反基地」でたたかっている人たちが多数いたはずです。その人たちは、この光景をどう受け止めたのでしょうか。
熱狂的空気の中で、「翁長擁立」で「がんばろう」と拳をあげた人たちは、この異様な「記者会見」に何も感じなかったのでしょうか。
もしもそうだとするなら、私は沖縄の「民主主義」に大きな疑問を抱かざるを得ません。」
安倍首相は、沖縄の「屈辱の日」に日米首脳会談に出席し、辺野古米軍基地建設を米国のオバマ大統領と確認した。
―この続きは次回に投稿します―
(参考資料)
旧日本軍部の中枢=A級戦犯等が売国者=米国の子分では勝てる訳がない !
「大本営陸海軍発表。帝国陸海軍は本日未明、西大平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」――昭和16年(1941年)12月8日、早朝ラジオの臨時ニュースは日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入したことを報じた。
日本はこの日より国家滅亡への道をひた走りに進んでいくのである。日本が米英を相手に戦いを始めたことは、大局的かつ戦略的な失敗であった。だが、はたして当時の日本に他の選択肢があったかと言えば、それはなかったとしか言いようがない。
明治以来、日本はアジア諸国を決して友邦として扱ってこなかったのみならず、アジア人を一段低いものとして「蔑視」すらしてきた。
中国や朝鮮と連帯するどころか、植民地支配を続け、
抗日、侮日のナショナリズムを高揚させたのである。
“日本はアジアの中で孤立し、ABCD(米・英・中・蘭)
包囲網によって経済的に追いつめられ”ていった。
日本が描いた「大東亜共栄圈」の夢もアジア諸国の理解を得られたものではなく、「日本が西欧植民地にとって代わる」というスローガンでしかなかった。満州事変を正当化した「王道楽土」の建設も、結局中国人には通用しなかったのである。太平洋戦争はまさに「清水の舞台から飛び降りた」(東条英機)ものであった。
だが、太平洋戦争が勃発せざるを得なかったのは、英米等による、日本を戦争にひきずり込む、「数々の歴史の罠」と歯車が存在したからである。
“太平洋戦争は海軍が主体の戦争”であった。
アメリカを相手に戦って日本が勝つ見込みはほとんどなかったが、日本側にもし本来の高度な戦略とそれを実行する優秀かつ愛国心に燃えた将官がいれば、戦局は大いに違ったものとなっていただろう。
“日本帝国海軍の中枢は「欧米派」で色どられ、その内の主要な人物はユダヤ・フリーメーソン”ですらあった。
このため日本の海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。
“それは、敵に手ごころを加え、まるで負けることを目的としたかの如き戦いぶり”であった。
また陸軍についても同様のことが言えた。
大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに「無謀極まる作戦計画」を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。
陸軍参謀本部といえば陸軍大学を優秀な成績で卒業したエリート中のエリートである。その彼らが、まるで痴呆のように拙劣な作戦を立案してはそれを強行し、日本軍に取り返しのつかない打撃を与え続けたのである。
“参謀本部のエリートたちもやはり日本を敗北に導くために「世界支配層」によって操られた者たち”であったのだ。
彼らの一部は“ユダヤ・フリーメーソンであり、またその一部はソ連と通謀した共産分子”であった。
国家としてあろうことか、日本はこのような「売国的戦争指導者たち」(その子孫が自民党体制の権力者によって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。
太平洋戦争は大きく分けると4つの局面で展開していく。
それは「開戦・進攻」、「戦局反転」、「特攻・玉砕」、「斜陽・終戦」である。
そしてそれぞれの局面で日本軍はいつも決定的な失策を犯し、戦局は暗転していくが、その失策を犯す人間は「ある特定の人物」であり、その人物の指導により日本軍は決まって壊滅的な打撃を受けるのである。
戦略や作戦に携った司令官や参謀たちの多くが無能であった
という以上に、「敵と密通」し日本が敗北することを望んだ
奸たちがいた”からに他ならない。
日本は戦う前にすでに敗れていたのである。
U あの無謀な戦争指導者たちが自民党=米国・国際金融財閥の手先の先輩である !
太平洋戦争の全容は、実に膨大であり、その戦闘のひとつひとつを語ることは数十冊の本をしても不可能に違いない。(中略)
それぞれの戦局で「日本軍を敗北に導く役割」を果たした主な人物たちは次の通りである。
● 米内光政 ………海軍大将、海軍大臣、首相。フリーメーソン
● 山本五十六 ……連合艦隊司令長官、海軍大将・元帥。フリーメーソン。
● 南雲忠一 ………真珠湾攻撃時の第一航空戦隊司令長官、海軍中将、ミッドウェー海戦 時の第一機動部隊指揮官。
● 源田実 …………第一航空艦隊参謀、海軍大佐。
● 井上成美 ………海軍軍務局長、第四艦隊司令長官、海軍中将。
● 原忠一 …………真珠湾攻撃時の第五航空隊司令官、海軍少将。
● 服部卓四郎 ……大本営参謀作戦課長、陸軍大佐。
● 辻正信 …………大本営参謀本部作戦課参謀、陸軍大佐。
● 瀬島龍三 ………大本営参謀本部作戦評参謀、陸軍中佐。
● 牟田口廉也 …支那駐屯歩兵第一連隊長・ビルマ方面第一五軍司令官・陸軍中将。
● 栗田健男 ………第二艦隊司令長官、海軍中将。
もちろん、彼らだけがすべてではない。日本の陸海軍の組織は複雑な派閥で形成されており、人脈は網の目のようにはりめぐらされていたから、日本軍が敗北していく過程には何百人、何千人という「多くの協力者が暗躍した」のである。
重要なことは、日本軍や政財界の中には、日本が天皇制軍事国家であることを望まず、米英(ユダヤ)やソ連(ユダヤ)と「通謀して日本の国体破壊にひたすら協力した者」が
大勢いたということである。
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