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 昭和40年代、日中国交正常化に 民間外交で尽力した公明党・創価学会 !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 5 月 04 日 14:26:03: jobfXtD4sqUBk
 

  
昭和40年代、日中国交正常化に民間外交で尽力した公明党・創価学会 !

自公連立前の公明党のスタンス:自民党政権を打倒、政権交代で改革実現 !

今の安倍自民党・自民連立公明党と大違い !



T 田中首相の日中国交正常化に先駆けて民間人として尽力した創価学会

1)日中国交正常化のため三要点を提案

小説「新・人間革命」:革心2

 山本伸一(池田第三代会長)は、十年の来し方を振り返った。
 一九六八年(昭和四十三年)九月八日、東京・両国の日大講堂で行われた、第十一回学生部総会の席上、伸一は、日中問題について言及し、問題解決への方途として、三点を訴えたのである。
 第一に、中国の存在を正式に承認し、国交を正常化すること。
 第二に、中国の国連における正当な地位を回復すること。
 第三に、日中の経済的・文化的な交流を推進すること。

 そして、こう呼びかけた。
 「諸君が、社会の中核となった時には、日本の青年も、中国の青年も、ともに手を取り合って、明るい世界の建設に、笑みを交わしながら働いていけるようでなくてはならない。
 この日本、中国を軸として、アジアのあらゆる民衆が互いに助け合い、守り合っていくようになった時こそ、今日のアジアを覆う戦争の残虐と貧困の暗雲が吹き払われ、希望と幸せの陽光が燦々と降り注ぐ時代である――と、私は言いたいのであります」

 この提言に、大反響が広がった。
 日中友好を真摯に願ってきた人たちは、諸手を挙げて賛同したが、同時に、その何倍もの、激しい非難中傷の集中砲火を浴びた。
 学生部総会三日後の日米安全保障会議の席でも、外務省の高官が、強い不満の意を表明している。
しかし、提言は、すべてを覚悟のうえでのことであった。冷戦下の、不信と憎悪で硬直した時代の岩盤を穿ち、アジアの、世界の未来を開くべきだというのだ。命の危険にさらされて当然であろう。
 命を懸ける覚悟なくして、信念は貫けない。
 伸一は、さらに、翌六九年(同四十四年)の六月、「聖教新聞」に連載していた小説『人間革命』の第五巻で、こう訴えた。
 ――日本は、自ら地球上のあらゆる国々と平和と友好の条約を結ぶべきであり、「まず、中華人民共和国との平和友好条約の締結を最優先すべき」である。


2)周恩来総理は、池田会長の「日中平和友好条約」提言に注目した !

小説「新・人間革命」:革心3

 山本伸一(池田第三代会長)が提言した、日中国交正常化、「日中平和友好条約」の締結に、中国の周恩来総理は注目した。
 また、代議士を務め、日中両国の関係改善に生涯を懸けてきた、松村謙三は、この提言の実現を願い、伸一が中国を訪問し、周総理と会見することを強く勧めた。

 しかし、伸一は、“国交回復の推進は、基本的には政治の次元の問題である。したがって宗教者の私が、今、訪中すべきではない”と考え、自分が創立した、公明党の訪中を提案したのである。

 一九七〇年(昭和四十五年)春、日中覚書貿易の交渉の後見役として訪中した松村は、伸一のこと、また、公明党のことを、周総理に伝えた。
 翌七一年(同四十六年)六月、公明党の訪中が実現し、周総理との会見が行われる。総理は、国交正常化の条件を示した。それを盛り込んだ共同声明が、公明党訪中代表団と中日友好協会代表団との間で作成され、七月二日に調印が行われたのである。国交正常化への突破口が開かれたのだ。

 この共同声明は、「復交五原則」と呼ばれ、その後の政府間交渉の道標となっていった。
 それから間もない七月半ば、ニクソン米大統領は、テレビ放送で、翌年五月までに訪中する計画があることを発表。既に大統領補佐官のキッシンジャーが訪中し、周総理と会見していたことを明らかにした。歴史の流れは、大きく変わり始めていたのだ。

 日中両国の政府間交渉は進み、遂に、七二年(同四十七年)九月二十九日、日本の田中角栄首相、大平正芳外相と、中国の周恩来総理、姫鵬飛外相によって、北京で「日中共同声明」が調印されたのである。

 そこでは、日中国交正常化をはじめ、中国の対日賠償請求の放棄、平和五原則による友好関係の確立などが謳われていた。

 伸一の提言は、現実のものとなったのだ。
 声を発するのだ! 行動を起こすのだ!
 そこから変革への回転が開始する。

3)病床にあった、周恩来総理は池田会長との会見で、

中日友好は私たちの共通の願望と発言 !

小説「新・人間革命」:革心4

 「日中共同声明」のなかには、両国の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結に向けて交渉することも記された。条約が締結されれば、それは、法的拘束力をもつ。予備交渉は、一九七四年(昭和四十九年)十一月から始まった。

 山本伸一(池田第三代会長)が、周恩来総理と会ったのは、翌十二月の五日であった。総理は病床にあったが、医師の制止を押し切って会見したのだ。

 総理は、「中日友好は私たちの共通の願望です。共に努力していきましょう」と述べたあと、気迫にあふれた声で言った。

 「中日平和友好条約の早期締結を希望します」――その言葉は、遺言のように、伸一の胸に響いた。

万代にわたる友好への願いを、託された思いがした。彼は、一民間人の立場で、「日中平和友好条約」の実現に全力を尽くそうと、深く、固く、強く、心に誓った。

 翌年一月、伸一はアメリカで、キッシンジャー国務長官と会見。「日中平和友好条約」について意見を求め、賛同の意思を確認した。そして、訪米中の大平正芳蔵相と日本大使館で会った際に、その旨を伝えた。

 この年四月、伸一は三回目の中国訪問を果たし、ケ小平副総理と会談した。ここでも平和友好条約について、意見を交換した。

 「日中共同声明」には、アジア・太平洋地域において覇権を確立しようとするいかなる国の試みにも反対することが謳われていた。日本には、この反覇権条項を、平和友好条約からは除くべきであるとの意見があった。覇権を確立しようとする国とはソ連を指し、これを盛り込めば、ソ連を敵視することになり、日ソ関係が険悪化するというのだ。

 平和友好条約は、この問題をめぐって難航し続けていた。事実、ソ連は、反覇権条項は除くよう、強硬に訴えていたのである。

 伸一は、忌憚なく、反覇権条項についての中国の見解を、ケ小平副総理に尋ねた。
 どんなに複雑そうに思える問題も、勇気をもって、胸襟を開いた率直な対話を交わしていくならば、解決の糸口が見いだせるものだ。


U 自公連立前の公明党のスタンス:自民党政権を打倒、政権交代で改革実現 !

過去20年間、公明党は、「野党・社・公・民路線」から「親小沢・反自民党路線・政権交代路線」へ、そして、1999年後、「反小沢・自民党との連立」へと路線変更をしてきた。

自民党と連立することで、「政権交代を阻止」する行動と主張を15年以上継続することになるのである。
国民目線で政治を進める、小さな声を聴く力がある、生活者の心が分かる、平和の党である、
の公明党スローガンと自公連立後の公明党の軌跡・実態は大違いでないか?

自公連立前の公明党は次のように主張していた。


(1) 自民党の一党支配を打破し、新政権軸を目指す ! 

(石田委員長)

公明党の基本路線:
自民党一党支配が永続→『政治腐敗が起こる 改革が叫ばれる改革が実現しない選挙で政権が動かない また腐敗が起こる』の悪循環を政権交代で改革実現 !―

1993年7月、総選挙に臨む基本姿勢について、石田委員長は「自民党の一党支配の下で、『政治腐敗が起こる 改革が叫ばれる 改革が実現しない 選挙で政権が動かない また腐敗が起こる』というような“悪循環”が何度となく繰り返され、今まさに政治不信はその極に達している。

この『“悪循環”を繰り返してきた最大の原因』は、“自民党に代わる政権の受け皿がなかった”ということであると思う」と日本プレスセンターで発言しました。
さらに、「政治を刷新して、緊張感を持たせる、また、政・官・財の癒着を断ち切るには、どうしても二つの問題が重要になってくる。

1つは“政権交代のシステム”であり、もう1つは“抜本的政治改革”だ」と主張しました。
1993年7月、細川政権が誕生した頃は、次のように述べていました。

「戦後政治史を画する歴史的な非自民連立政権がついに樹立される。
“自民一党支配打破と政権交代の実現は、公明党にとって悲願の結実”といえる。

大枠社・公・民を軸とする野党連合政権を1回目の挑戦とすれば、今回が2回目の試みだった。昨年11月の党大会で、自民党に代わる『新しい政権の軸』づくりを提唱して以来、政界に政権交代の大きなうねりを巻き起こしてきた」
                 
非自民連立政権樹立前後、「“自民党の長期一党支配が日本の政治腐敗を生んだ”のだ。
野党の無気力も同時に生まれている。これを壊したい。壊して“政権交代のある新しい日本の政治”を生み出したい」と公明党は、主張していました。

多くの野党が連立することに対する、自民党側からの「野合」批判については、公明党は、次のように述べていました。                            

「『政権の担い手が代わる』ということが今回の選挙の大きなポイントです。
ですから、従来の政党同士の行き掛かり上の多少の違いとかがあっても、そこは乗り越えて、

とにかく自民党の長期一党支配を崩して、『非自民』の政権をつくることが大きなことだと思います。

“権力の担い手が代われば、政治は大きく変わる”
 ということです」

また、腐敗防止について、「私どもも腐敗防止を絶対やらなければいけない。
これは政治とカネの問題、腐敗の問題をどうするかというのが一番、政治改革の核心ですから、これ(腐敗防止)が中心だと考えております」と公明党は訴えていました(1998年まで、

この政権交代を目指す路線を続け、自民党・マスコミから昭和32年の大阪事件以来、迫害・誹謗中傷をうけていました。公明新聞1993年7月6日号3面)。


(2)政権を選択できる、二大政党制をつくりたい ! 

(浜四津敏子代表):
日本が構造改革のできない行き詰ったシステムになったのは、自民党一党支配の政治できたからです。

これを脱却し、健全で成熟した民主主義を発展させるには、一党だけが長期に政権を握り続ける体制は好ましくありません。

つまり、国民が政策・政治姿勢を判断し、「今回は、こちらの政権に日本の政治を任せてみよう」という、政権を選択できる二大政権政党もしくは二大政権勢力が日本に存在することが、中長期的に好ましいと思います(浜四津敏子代表「公明新聞1998年8月16日号1面」)。

 

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