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米キューバ首脳が歴史的会談=59年ぶり、国交正常化交渉加速へ !
そもそも、キューバ革命を成功させたカストロ氏を反米に追いやったのは、
米国の外交姿勢にあった !
米国対スペインの戦争後、キューバを植民地支配 !
T オバマ米大統領とキューバのカストロ国家評議会議長の会談
(news.yahoo.co.jp/: 時事通信 4月12日より抜粋・転載)
【パナマ市時事】オバマ米大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長は11日午後(日本時間12日早朝)、パナマ市で開かれた米州首脳会議の会場内で会談した。
米国メディアによると、1961年に断交した両国の首脳会談は56年以来、59年ぶり。
両首脳は双方の立場の違いを主張しつつ、大使館の早期開設を含め、1月に始まった国交正常化交渉の加速を確認した。
首脳会談は約1時間、会場内の小さな会議室で行われた。
オバマ大統領は冒頭、「これは明らかに歴史的な会談だ」とカストロ議長に語り掛け、「われわれはページをめくり、新たな関係を築くことが可能だ」と表明した。
一方で「(キューバの)民主主義と人権に関する懸念を提起し続ける」とも強調した。
カストロ議長は、キューバの改革を含め、あらゆるテーマを米国と議論するが、忍耐も必要だと述べた。
また「両国の意見が異なる幾つかの事柄は、やがて同意できるだろう」と語った。
米政府高官によると、両首脳は会談の中で、大使館開設をめぐる障害を解決するよう担当者に直接指示した。キューバ側が要求しているテロ支援国家指定の解除については、オバマ氏が、政権内での見直し作業が完了し「(指定解除の是非を)数日中に決断する」と方針を伝えた。
カストロ氏は、米国の対キューバ制裁の解除も求めたという。両者は率直なやりとりを重ね、室内に緊張感はなかったとされる。
オバマ、カストロ両氏はこれに先立ち、米州首脳会議の全体会合に出席した。
オバマ氏はこの場で「(米国の)キューバ政策の変更は地域の転換点になる」と強調。
カストロ氏は、オバマ氏を「正直で謙虚な人物だと思う」と評価した。
U 米国・キューバ国交正常化交渉の衝撃
(diamond.jp >:2014年12月25日 より抜粋・転載)
中間選挙敗北で“Free Hand”を得たオバマ大統領
田岡俊次 [軍事ジャーナリスト] 【第44回】 2014年12月25日
オバマ米大統領が、キューバとの国交正常化交渉に入ることを発表したことは、世界を驚かせた。
ただ、そもそもキューバ革命を成功させたカストロ氏を反米に追いやったのは、米国の外交姿勢にあった。
キューバに対する、これまでのContainment(封じ込め)政策を失敗と断じ、Engagement(抱き込み)に転じようとする、オバマ大統領は、米国にとりノドに刺さった骨であった、キューバ問題を、ついに終息させた功績を残すことになりそうだ。
★実際には多くの観光客がキューバを訪問
オバマ米大統領は、12月17日ホワイトハウスで演説、キューバとの国交正常化交渉に入ることを発表した。
1961年の国交断絶以来53年、米国はキューバの孤立化を図ったが、今日キューバと国交がない主要国は米国の他、韓国、イスラエルだけで、日本はもちろんカナダや近隣のカリブ海諸国もキューバと国交を保っている。
オバマ氏は「孤立化政策は機能しなかった」とし、従来の対キューバ政策を「失敗してきた時代遅れの手法」と断じた。
オバマ氏は11月4日の米中間選挙で野党の共和党が上下両院で多数を占めたため“Lame Duck”(機能喪失)化と言われたが、大統領として2期目の後半2年はもはや選挙を気にする必要がないため、歴代の米政権が大票田フロリダ州に多い亡命キューバ系アメリカ人の反発を恐れて実行できなかったキューバとの国交回復に踏み切った。オバマ氏はむしろ“Free Hand”を得た形だ。
共和党の中には「キューバの米国大使館の開設予算は通さない」と息巻く反キューバ議員もいるが、1977年以来、米国は、首都ハバナに「利益代表部」を置き、大きなビルを持っているから、看板を「大使館」に替えるだけで済みそうだ。
米国は、建前上はキューバとの輸出入を禁止してきたが、実際にはキューバは、米国農産物の輸出先となっている。
米国は、自国民観光客のキューバへの渡航も禁止しているが、カナダ等を経由して、観光に訪れるアメリカ人は多く、キューバへの外国人観光客は、2012年に284万人で、同国にとり、ニッケル輸出に次ぐ主要な外貨獲得源となっている。
キューバの国内総生産(GDP)は、国連の統計によれば、2000年の305億ドルから2012年には710億ドルに伸び、人口1116万人の1人当りGDPは6300ドル余で、中米諸国の中では中程度だ。
キューバは、2011年から市場経済の導入を進め、自動車の売買も自由化しているため、米国が輸出入や金融取引の規制を緩和すれば、いまは超旧式の車が多いだけに、米国の自動車産業にとっては輸出市場になりそうだ。
★キューバに軍政を敷いたアメリカ
キューバはC・コロンブスが1492年の第1回の航海で到達し、スペインの植民地となったが、1868年から独立戦争が起こり、スペインはキューバに自治権を認めて収拾した。
だが、1895年に第2次独立戦争が始まり、独立派は、島の半分以上を支配したが、1898年2月米国人居留民保護のため、ハバナ港に停泊していた米戦艦「メイン」が、突如爆発、沈没した。
冷房設備のない時代には、熱帯地域で停泊中の軍艦の爆薬庫や石炭庫の温度が上昇し、火薬や石炭からガスが出て、爆発した事例はあったのだが、アメリカの新聞は「スペインの仕業」と世論を煽り、米国政府は、4月「キューバ人をスペインの圧政から解放する」と称して、宣戦布告し「米西戦争」となった。
V 『米国対スペインの戦争』
米国は、『対スペイン戦争』に勝利、キューバに軍政を引き、
保護国として事実上、植民地化していく。
(blog.goo.ne.jp/.:2009年02月15日 より抜粋・転載)
アメリカの戦艦メイン号がハバナ港内で原因不明で爆沈する。この事件を引き金にアメリカとスペインが開戦(米西戦争)した。
かつて、世界的強国であった、スペインは、19世紀後半までの数世紀の間に国力が低下し、太平洋、アフリカおよび西インド諸島など、少数の散在した植民地しか残っていなかった。
その中で、キューバやフィリッピンでは、長年に渡る独立運動が続けられ、ゲリラ戦争が行われていたが、当時のスペイン政府は、これらの反政府活動を一気に壊滅させるだけの軍事力を持っていなかった。
そこでスペイン政府は、キャンプを構築し、住民と独立軍を分離し、独立軍への支援を止めさせる手段を取った。
さらに、反逆者と疑わしい人々の多くを処刑した。また、反乱分子のいると思われる村々に対しては虐殺を繰り返すなどの、1960年代のベトナム戦争と同じような事が行われていた。
一方、アメリカの新聞は、キューバ人に対する残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激した。
その結果、キューバへの介入を求める、国民運動が巻き起こった。
さらに、アメリカ財界も開戦を要求していた。
当時のネブラスカ州上院議員は、露骨に、本音を語っている。
『スペインとの戦いは、アメリカの鉄道ビジネスおよび所得を増加させるだろう。
それ(対スペイン戦争)は、すべてのアメリカの工場の出力を増加させるだろう。
そして、産業と国内通商のすべての流通を刺激するだろう。』
アメリカは以前からキューバへの軍事介入を狙っていた。
ハバナ湾で米海軍の戦艦メイン号爆発の原因に関する証拠とされたものは矛盾が多く決定的なものが無かったが、当時の米国のメディアは、スペイン人による犯行であると主張した。
この報道は、一層米国民を刺激することとなった。
戦争をしたくない、スペインは、爆沈事件の合同調査をアメリカに申し入れるが、アメリカに拒否される。
スペイン首相サガスタは、キューバから国民を撤退させて、キューバ人に自治を与えるなど、戦争を防ぐ為の多くの努力をしたが、アメリカとの関係を修復ことはできなかった。
一方、アメリカでは、4月19日にキューバの自由と独立を求める共同宣言を承認する。
これを受けて、スペインは、アメリカとの外交関係を停止した。
5月1日のマニラ湾で、アメリカ太平洋艦隊が、スペイン艦隊を攻撃し、6時間でスペイン艦隊は壊滅した。
5月19日に、パスクワル・セルベラ提督率いるスペイン大西洋艦隊がキューバのサンチャゴ湾に入港した。
アメリカとの戦いを準備したが、アメリカ大西洋艦隊は、サンチャゴ湾を封鎖し、陸海軍共同でスペイン艦隊を攻撃するなど、アメリカは、圧倒的な軍事力で、スペインを圧倒し、戦闘の勝敗は、数時間で決する。
スペインは、太平洋艦隊、大西洋艦隊を失い戦争を継続する能力を失い、その結果、交戦状態は1898年8月12日に停止した。
和平条約は1898年12月10日にパリで調印され(パリ条約)、アメリカは、フィリピン、グアムおよびプエルトリコを含むスペイン植民地のほとんどすべてを獲得し、キューバに軍政を引き、保護国として事実上、植民地化していく。
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